おとろし



 木漏れ日の奥に、ぽっと朱く、鳥居が立っている。常磐木の緑の透かしを貫き、目堂雅巳を引き留めた。
 目堂は鳥居へ足を向けた。なかば消えかけた道に落ち葉が積もり、鳥居までつづいている。
 木立に入ると、急に辺りが暗くなった気がした。ゆるやかな上り坂が山の奥へ続いている。風にざわざわと木々が揺れる。鳥居の根元まで来、後ろを振り返ると、さきほどまで居た公道が眩しく、描かれなかった絵の余白に見えた。
 鳥居は煤けていた。ところどころ色も剥がれている。笠木の片側に葉が寄り積もっている。目堂は若干心細く思いながらも鳥居をくぐり、奥へ進んだ。
 踏みしめる足下から青い草の香がにおいたつ。糸のように脚の細長い蜘蛛が、目堂から逃げるように地を走る。やさしく積もった落ち葉はやわらかく、人が通っていないことを示していた。落ち葉の下に、ところどころ平らな石が埋めてある。そのおかげで通るべき場所がわかった。
 危うげに倒れている木が何本もあった。見通しが利かず、目堂は奥深い山に迷い込んだような心地がした。
 この低山のことは、目堂は以前より遠目に眺めて知っていた。鴉が根城としている山で、夕方になると黒い羽が山の上空を埋め尽くす。鴉たちの住宅衛星都市だった。目堂は樹上を見上げた。日中だからだろうか、鴉の姿はない。他の鳥の声もしない。奇妙な静けさに包まれている。
 忽然と石の階段が現れた。急勾配の階段が蛇行している。土と葉で湿った石は滑りやすく、目堂は一段ずつ慎重に上った。足下に注意を払うばかりで、階段の先を見上げる余裕はない。
 上りきったところで、目堂はぎくりと身を強張らせた。朽ちた社が建っていた。
 藪に埋もれた社は、扉が壊れて内が晒されていた。床に筵が丸まっている。社の暗がりでは、中身が詰まっているかのように見え、目堂の指先を冷たく痺れさせた。最奥部には何もない。祀るための空間は設けられていたが、不在だ。目堂は社の脇に回ってみた。紙の札が乱雑に貼られている。千切れ、溶けて、文字は読めなかった。
 目堂は賽銭箱の前に戻った。箱の中で虫が這う気配がする。
 もぬけの殻だ、と目堂は周囲を黙視した。
 木々に囲まれているからか、まだ正午を過ぎたばかりのはずだというのに、夕刻のように暗い。既に日暮れであるならば、鴉の声が空にあってもよいはずだ。
 寂れていようとも、嫌な心地はしなかった。ただし、よい心地もしない。長く居座る場所ではないことは確かで、目堂は社の奥へ一礼し、踵を返した。
 靴が泥に汚れる。下りの道は葉がよく滑る。
 背中にピリピリと緊張が走った。
 転ばぬよう注意を払っていたはずが、いつの間にか散漫になり、早く帰ろうと焦っていた。
 踏みしめる葉の音が輪唱する。
 合の手が挟まれ、追随して増える。
 足音が目堂の背後で一定の距離を保ちながら厚みを増してゆく。
 止まることも、振り返ることもできない。直感が、してはならないと警笛を鳴らしていた。
 一礼をしたことがいけなかったのか、と目堂は後悔した。あの時、意識に浮かばずともそこに何者かがいるのを感じ取っていた為に、習慣で辞儀をしてしまったらしい。いや、そもそも鳥居を見つけた時から、足を踏み入れたのは迂闊だった。
 駆け出しそうになる足を、奥歯を食いしばり宥める。もし歩みを乱せば一気に間合いを詰められる予感がした。
 鳥居が見えた。歩調を変えずにくぐる。通り抜けると、追ってきていた足音が止んだ。
 身の緊張が抜けて軽くなった。冷や汗の滲んだ首に風が吹きつける。たちまち乾き、心音も凪いだ。
 目堂はそろりと鳥居を振り返った。
 向こうに何が見えるということもない。しかし、何かがそこにいるという気配が、みっしりと詰まっていた。鳥居に積もっていた葉の塊が崩れる。葉よりも重たいものが地面に落ちた音を、目堂は聞いた。かなしく引き留めるような音だった。