かつて慰めがあったように
:生きている最中の人が発したばかりの言葉は、意味を考えてはいけない。
:私と人の間には溝がある。行動と言葉で埋めようとしている。だが、信じて無となる、その誠実。
:人の姿でいることが、いつまでも馴染まず、どのように他人はこれが人だと見定めているのだろうか。
:これらは語られ尽くしている。けれどもここでは、語り尽くされていない。
⁂
:傲慢は天資だ。
:人は自分がそうだと認めたものを人間と呼ぶ。私は「他人が人間だと認めている大半の者たち」を、そうだと認めてはいない。たとえ一度、人間として接したことがあろうとも、それが昔からずっと続いて今も人間だとは限らない。
:断片が人間だったのか、私は疑い続けている。
:納得せずとも生きること、生かすことはできる。
:人はときに、人ならざるものと化す。いつ何時、如何にして、何故なるのか、定かではない。
:自分自身でさえ人間であるのかどうか定められず、しかし同時に、自分だけが人間だとも思う。
:この世では、信用ならない他人の目が審判を下す。
:真実の姿など誰にもわからない。妄想の型に嵌められている。
:否定されても、肯定されても不愉快だ。
:尊敬する人はいない。そもそも人を拒絶している。
:当然のように心の拠り所とする人がいない。共にいて落ち着ける人などいない。人は共にいることを望まない。表した感情は、全て不適切だった。
:根を嫌悪している。どんなに美しく魅力的とされるものが積まれても、慕うことができない。
:だが自身もまた、この世における怪しい他人のうちの一人である。
:このような私が、他者の何を分かっているのか。人間のことだけではない。人以外の全てにおいても、全く何も識らない。
:それでも人の存在をまず認めなくては話がすすまない。
:仮にも自分が人で、人の感覚を通しているのだから、他の何を頼るというのか。排除しようというのは無理がある。
:個が知ることの全てが、他者には不可知だといっても過言ではないかもしれない。
:分かりあうというのは妄想だ。知ったことも妄想だ。
:たとえば視界の端で虫が這っているのを見かける。焦点を合わせると、その虫は消える。虫以上に大きいものもいる。子犬や、蹲った人くらいの大きな塊がいる。確かに、いると認めたが、目を向けると……消える。
:壁の内側を這ったなら、壁紙が浮いて波打った形が残るか破れるかするはずである。壁を触る。見た目にも、手触りにも、不自然な凹凸はない。こうして確かめてみれば、壁の内側を這わなくなる。
:すると、床や家具の影をかすめるようになった。しかしやはり、そんなものはいないはずなのだ。五感を説得するには根気がいる。
:空白が、蠢く何かを見せるのだろうか。
:それならば信じるか信じないかという選択の話になってきた。
:私自身がどのような形の者であったのかを、自分で分かっているつもりでいつづけているのは、過去に受けてきた扱いの数々のおかげである。
:私は人の世に生まれた。そこには私と似たような形のものが大勢おり、人と呼ばれていた。
:或る人間のはらわたから捻出され、知らされないうちに生きることが始まっていた。生まれる、生きはじめる、生きるというのは、本人の意思などというものは関係もなく企てられることだ。
:人の腹から出るだけで、何人の手がそれを生かしただろう。少し時を遡れば、母胎もろともそれは生かされていた。
:産道を通る前に殺されることがなかったというだけのことだ。
:喜怒哀楽の何れの感情がそれに向けられていようと、生きるものとして扱われたことは事実だった。
:生まれてしまったからには仕方がないだろう。
:それは人の手によって育てられた。元は新鮮な肉塊だった。なぜ生きているのか。人が放っておかなかったからだ。
:だが父も母も無く自分が現れた気がする。
:既に色々なものから影響を受け、少なからず周囲に影響を与え、跡を残してきた。
:他人の思想が何を述べようと、自分の感覚で得たものに勝る真実はない。地に根ざした感覚として落とし込まれていないなら、自身にとって虚構だ。
:証明されないことであろうとも感覚を得た。だから真実だと言い張る。真の妄想だ。
:感情を許すとは、気持ちよい悪意である。
:人の声が、既にそこにいる気配が、厭わしい。
:しかしこの世からいなくなった者は違う。あの者らは何といっても、もうこちらに声をよこさないし、主張もしてこない。
:この世にいない者の話のほうが聞き取りやすく、含みがあるように思えるのは、自身が能動的にならなければ一切を無視できるからだ。
:早くその言葉に耳を傾けたいので、あちらへいってくれないかと願っている。
:歩く音は不幸の知らせ。声は呪詛。聞いた者の内臓が捻れる。近づいても遠のいても、害を為す。
:音を出すなと言うのは残酷だろうから、譲歩して言う。もっと静かに、と。
:お前は出てこなくてよろしい、という戒めを記す。出直した時には、静かになっているだろう。
:そもそも存在は常に過剰であることを肯定する。
:この世は在ることが規則で、無さえも在る。生命は死に向かいながら模倣と増殖を絶やさず、死に続け、死を生む。
:生産することを善しとした者たちの末裔が、物質世界を牛耳る。
:最初に人は暴力を振るう。望まれたかのように苦痛を与え、喜ぶ。人々は祝う。幸せになってほしい、と言う。
:存在することに、さも語るべき意義があるのだと信じている。
:なぜ、生きることを善しとするのか。なぜ、生きてゆけることを善しとするのか。なぜ、生が前提なのか。なぜ、これを目指すような態度でいるのか。問うことで乱れる調和は誰の借りものか。忌避したものは何か。なぜ……答えようとするのか。
:穏やかな口調だった。やさしく聞こえた。だが、その人の口角は歪み、下がっていた。
:粘土を盛ったような笑顔がこちらに向けられていた。顔の半分だけが吊り上がっている。鏡を布で隠した。
:つなぎの骨が軋んで煩い。
:気付かれないよう、人の横を静かに通り過ぎる。通り過ぎたのなら、あとは振り向かずにいることだ。もし確かめようと振り向けば、その人は今にこちらに気付く。
:夜道、前方の背を追う。向かう先が同じらしく、一定の距離を保って歩く。私は先をゆく背中を見つめていた。もし、私がここであの背中に詰め寄ったなら、と考えていた。前方の人が振り返った。こちらを認めたその人は、また前を向いて歩きだした。しばらくするとまた振り返った。しきりに背後を気にしていた。
:隣を歩く人はいないが、私の前方を歩いた人は大勢いたようで、足跡がたくさん残っている。しかしその足跡さえも、以前に自分が通った名残かもしれない。
:晴れやかな景色を見渡す。私は空を飛べる。下に落ちるわけがない。
:ふと目を伏せた先で、誰かが蠢いている。あれは、いったい何がしたいのだろう。他人事のように見つめる。
:不適合。個性は醜さの一歩手前。
:水に棲む者は、海藻のうねりを見て、陸の木のざわめきのようと表現するだろう。
:人に生まれ、他者の功績を介して生きている。依存し、生かされている。自分は恩恵を返せずにいる。搾取をして生きている。罪悪感がある。生きていることに否定的でいる。それでも息を止められずにいる。
:妄想の世界に逃げた。想像力のたくましさが自分を救うと同時に、痛めつけた。自己嫌悪ですら己に構う行為だ。自罰的であっても、それは慰めに繋がっている。
:己への愛を自分で試していた。
:ここで言った愛は、どうぞお好きなように解釈されるがよろしい。先人達は既に、無数の愛の形があると五月蠅く語ってきた。とても便利な言葉であるから、便乗させていただこうではないか。
:頭がおかしい、気が利かない、馬鹿で、精神が弱い、首を括ってしまえばいいような……そうだろうとも、と認めることで、自分を特別な存在として扱う。
:愛の善行を促され、たちまち反抗する。善意は、やさしさの皮を隠れ蓑とした脅迫だ。人にやさしくすることを道義として指示をする人がいる。対象から直接に要求があれば、まだやさしさを発揮できるだろうが、自分と対象の間に割って入ってきた第三者が、取るべき態度を指示するとは。誰かを喜ばせるために、他人を利用するとは。
:やさしくしてあげてください、と他人から言ってもらっている人を嘲る。嫌だと言う私の声を聞き入れない善人が、私を良心から引き剥がす。
:このようなことを一瞬でも考えない人が、幸せに笑って人と関わってゆける。
:生命は、疑わないものを愛する。
:ゆえに欺く。態度を改めよ。
⁂
:俯いて歩いていると、みみずが地面でのたうち回っていた。体の半分が黒く乾涸びていた。
:またある日は、蟬が地面に落ちていた。翅が点々と散らばっている。半身がすり潰されていた。粉の一部は誰かの靴の裏にこびりついているのだろう。もしかしたら前方に粉の道が続いているかもしれない、と顔を上げた。
:道の真ん中に、白く毛足の長い玉ころがぷかぷか浮いていた。風に吹かれて遊ぶ細い毛は、磯巾着が揺れているようだった。
:象徴を記憶した。みみずも蝉も、地上の白い磯巾着も、覚えておくべきだとみなした理由は、そこにあったからではない。
:人の話を聞いているのか、と問われ、頷くことができない。ではあなたは人の話を聞いているのか、と聞くこともできない。だが何か返さねばいけないということだけはわかる気がするので、もう少し聞いていようと考えていたんだと返そうとしているが、できた試しがない。
:その時は確かに無価値な会話だった。屑籠のちり紙のほうが、価値があるように思えた。屑籠の編み目や、ちり紙に皺が何本あるかということは、今ここにいる自分がつぶさに観察しなければ見落とされてしまうと切実に感じていた。そうして大事にしているものが、人にはわからない。大事なものが同じ瞬間に一致するとは限らない。
:同一であることを求めている。それが幻覚であろうとも、同じであれば喜んで神輿を担ぐ。
:さて、どの部分からほつれて破綻するだろう。
:見なかったら、何を見るのか。
:何かがおかしい。視界がぼやけている。手触りが既知と異なる。食べものから香りが消えた。硬くて噛み切れない。これは食べものなのか、指なのか。
:言葉が理解できなくなったとき、名を失ったものたちの境界が見えなくなった。
:しかし即座に、あれは「何か」だ。それは「何か」だ。つまり「何か」である、と即席の名をつけ、窮地を脱する。巧みに機能する性質を備えている。
:記憶の中の渓谷は、木々が川に向かってせり出し、鬱蒼としていた。岩は苔むして水に濡れていた。住宅地にありながら、生活から切り離された空間だった。しかし今、川は整地され魚は一匹も泳いでいない。木は伐採され、渓谷沿いの家が丸見えだ。渓谷はあばらを数本、抜き取られたようだ。目に寒い。しばらくここには来まい。
:散歩途中の和菓子屋で買った菓子を食べる。乾いた饅頭だった。味がしなかった。餡には白髪が練り込まれていた。
:日が暮れて、公園に立ち寄った。日中は子供が遊ぶ賑やかな公園だというのに、夕暮れには人々が遊びに来るようには思えないほど陰鬱な気配が漂う。常緑樹ばかりで、冬も葉が閉鎖的な蔭をつくっている。
:ベンチに腰掛けた。半刻もしないうちに帳が下りた。見上げて視界におさまらない大樹の、葉と葉の間から誰かがこちらを見ているような気がする。あれが気のせいでなければよいと思う。そこに誰も知らないような未知の何かがいてくれたら、どんなに脳を麻痺させて、心臓を躍らせるだろう。
:初めは恐ろしくとも、触れる生の感覚がすぐに上回り、恐怖は鈍る。
:暗がりに慣れることと畏れを忘れることは同じではない。近頃は暗がりを照らしすぎるので、息づかいを感じられるものと逢うことが難しい。自ら暗がりに身を置こうとしなければ、一寸も見えない。
:息。身近な循環。渦巻く真っ只中である。つむじは渦を巻いているし、指紋も渦を巻いている。思考も渦を巻く。
:渦中にて、かの人を知る者が、かの人と話したときの風景を再現した。しかし、かの人を知っているのは再現したその一人だけだったので、人々は別の者を慕った。いかにもくどくど泣く、演技をした者を真の姿であると称賛した。
:久しぶりに連絡をとり、変わらぬ声にカランと空虚な響きがあった。まるで昔と変わらない気の抜けたやりとりをする声が不愉快だった。自分の内面が変わりすぎたのかもしれない。親しい口調が、今となっては耳障りだ。
:大事にしていたものを燃やされたとき、怒っただろうか。否、平気な顔をしていた。ああ、そう、大事なものだったのだけれど、燃やしたのか。わかった。それならこれも、燃やすのかい。大丈夫だ。これも全く大事ではないから。
:愛する人というのは幻で、この手で愛そうと関わった時点で、愛した人でなくなっている。
:ここから何里も離れた森の、木の葉の間を抜ける風を聞くかのように、耳をそばだてる。人のしがらみを忘れているあいだは、生も死もない気がする。そう、気がするばかりだ。
:あのふたりの間では、目を合わせるだけで何かがわかって、声をあげて笑わずにはいられないらしい。ふたり以外には隠されており、見当もつかないような、目に見えぬものがあるらしい。
:体が重い。汚れている。醜い。這いつくばる。わけもなくかなしくなり、きっかけもなく活気づき、元気になったと思えば潰える。何があるということもない。何とかして気を逸らそうとしても、頭が働かず、この状況を打ち明ける相手もいない。
:項垂れて手のひらを見る。重ねてきたものを思うと吐き気がする。
:椅子に座るのがいよいよ面倒で腹ばいになる。狭い部屋の地平線が、ずいぶん遠くに見えた。
:本当は全て、人の臓物のなかで起こっており、目の前には何もない。
:だが気のせいでもなく、誰かが家にいる。こちらへ向かってくる足音がする。一、二、三、四、五、六歩。戸には鍵をかけていたはずだ。最初から同居の者はいない。人がいるわけがない。
:幻聴だと理解していれば、笑い声がたびたび聞こえても、まだ耳元では聞こえていないのだから気に病むことはないだろう、と落ち着いていられる。
:たまたまここにいると思っているにすぎない。ありとあらゆるところに点在し、自らを知らぬままに、のばしたり引っ込めたりしている。いったい自分はどこにいるのか。自分が知っている自分は、どこにいってしまったのか。
:ものを数えられなくなった。何をしたか覚えていられない。うまくやらなければ排斥されるだろうと険しい顔で考え込んでいる。
:物陰に顔がある。壁を背にしていても、背後を知らない人が横切る。息切れをおこす。地に足をつけていようと踏ん張らなければ、倒れて頭を打ってしまう。
:目がかすむ、焦点が合わない。ぼやけているのは文字だけではない。
:見分けようとしている。そんなことは無駄なことだ。必要のない詮索だ。
:臓腑を見た。同じ機能をもった臓腑をどれだけ等しく揃えていても、一式をまとめると不揃いになった。
:何かしなければ生きられないということが全て不快だ。この疎ましい感覚をどうしたらよいのか、誰も答えない。
:問答にふさわしい場かどうか、考えた末に、沈黙を選んできた。すると、何も考えていないのだと侮られる。自刃を鞘におさめていたとはみなされない。
:この先も生ある人に、哀れな事実を聞かせて何になるだろう。その人に悲しい思い出が増えるだけだ。越権行為かもしれないが、事実は不要と判断し、黙っていた。ここには正義も美もない。
:その人の行為は「下劣」だった。私はその人に「理解」と「尊重」を掲げながら、胸の内では「屑肉」に分類した。すると却ってその人は寛ぎ、私に心を見せた。
:私の美意識は、負の感情を土台としている。
:だが拠り所がない。住む場所はあっても、寄る辺がない。気楽でいるが、同時に危機感に苛まれる。自由でありながら、どこにも留まってはいけない気がする。
:信仰と違和感に迷い、結局、疑心暗鬼に陥ったままだ。言葉は軽薄だ。穴だらけだ。
:この自分というやつは誰なのか。知らないうちに付き合わされて、辟易する。
:生来の気質だ。何もかもが苦痛だ。どうしようもない。
:百年経てば問答無用で自分がいなくなるといっても、今の慰めにならない。
:自分は注意深く隠してきた。深く関わらないことが、人と交わした約束だ。
:先陣を切る。それだけのこと。無闇に恐れたり嫌悪したりしなくてもよい。嫌だと駄々をこねるのをやめたい。興味が湧いたという、たった一瞬の気分で実行に移せる。
:ひとりでも充分だ、と本を貪り読んだとして、その本を書いたのは他の人だ。ひとりではない。
:孤独で夢見がち。現実を生きない。ないものを想い、片足を欄干にかける。自分は不幸だと自惚れる。
:人、人、人──人のことばかり。記されるのは人のことばかりだ。基準は人。うんざりする。
:縄は結えるためにある。望みを結ぼう。
:夢の中で別の人生を歩んだ。昨日が何十年も昔のことのように思われる。自分の心臓が脈打つ音が遠くに聞こえ、いつになったら目を覚ますのだろうと呆けている。
:草むらの間に、子供や恋人達が埋もれている幸福な絵を見た。
:「あの花壇に咲いているチューリップは何色ですか」という問いに「今年はたくさんのコスモスが咲きました」という答えを得たことで、切り捨てた関係がある。
:不要と言ったものを寄越し、必要と言ったものを唾棄する。対話はあってもなくても同じ。どのような返事をしても、道はひとつしかない。
:現象の羅列でさえ、文字になれば人を離れることはできない。
:体の感覚に基づいた言葉は不快を引き寄せた。
:身に即せなかった言葉が捉えられなくなってゆく。自分の言葉が消えてゆく。とどまらなければならない。多少強引な方法でも。
:心情を飾りつけたくどい不平は、たとえ元凶が責められるに相応しい行いをしていたとしても、並べるうちに人の耳と心に栓をさせ、反感の種を育てる。
:異端者を倫理的優位に置く。他者の倫理を揺さぶる体裁をとる。その実質は、異端者の無自覚な糾弾だ。
:書きとめようとすると言葉に迷う。書きとめるつもりがなく、ただ座ってぼんやりしていると、迷わずに言葉が集まってくる。ただし、まとまっているというわけではない。
:感覚は言葉になった時点で、もとの生命を削がれている。言葉は死骸を指す。
:人を借りて自身の感情を語る怠惰。わかったような気になっている傲慢。
:協力とは服従することだと教わった。その人が「協力してください」と口にするとき、それは「わたくしが思い描くように従いなさい」と言っている。本人は相手の為にもなる善いことを促していると思って、清い面をしている。思考も感覚もねじくれていることに気付いていない。そんな状態を美しく正しいと思っている。
:苦しみを負わずに人から大切にされることはないと思いたかった。
:思い出を何度も取り出しては眺める。幸せがいくつもあった。思い出に嘘をつく。どこが嘘なのかは知らない。
:つまらない過去を回顧する日がある。今日を過ごさなかったが、体は明日へと運ばれる。
:もしかすると幸福な幼少期があったのかもしれない。けれども自分が思い出せるのは選択肢に死が輝いたあの時からばかりで、それより前の、選択なく生きていた頃は思い出せない。言葉を知るより以前の自分は、この世に何を見ていたのだろう。
:大人という者は、子供はこういうものだろうとわかった顔をするが、そんな大人へ務めを果たそうとして、欲しがるそぶりを見せたり喜んだふりをしたりするのが子供だ。
:幼いからといって、考えられないのではない。うまいこと伝える術にまだ出会っていないか、表現を許されていないだけだ。
:私がおかしいのか、彼らがおかしいのか、それは見る人によって意見が変わるだろうが、物質世界に生きる以上、どんなことであっても、最終的に殺そうとなれば、大勢で包囲するのが上手い手だ。私には肉体がひとつしかないことを思うと、孤軍も甚だしく、不利である。
:結ぶ糸はない。今後、糸を結ぼうとすることもない。なぜならあなたは存在しない。あなたは見えない。たとえ過去に糸を結んでいた気がしても、それは記憶違いだ。
:自分がもう一人いたらよいのにと考える。もう一人の自分は自分と同じように語ることをよしとするので、居心地がいいに違いない。だが他の人はそうは考えないらしい。もう一人の自分がいても面倒なだけだとか、自分の嫌な部分は直視したくない、と言う。
:昔はとてもやさしかったのに、などと言っても無駄だ。都合のよい人はもういない。自覚もなしに、心を踏み躙りつづけたのは、他でもなく誰か、言わせるつもりか。
:泣いたとて、もう遅い。修復のための選択肢は何度も踏み躙られた。己が何をしているか顧みようとしなかった。踏み躙られてなお我慢し続けた者が、どうしてまた踏まれろと命じられて従うのか。
:恨みを唱えずに去るのだから、ありがたいことだろう。元凶がなくなるのだ。今、たとえ涙が流れようが、この先は煩わされずに済む。これ以上に穏やかなことがあるだろうか。
:ああ、それらしく振る舞うことをやめてよかった。
:早く離れなければ、生涯を終えることになっていた。
:もし自分があと少しでも、やさしい気遣いを備えた人であったなら、今頃は土の下にいた。
:いなくなれ、と頭蓋骨の内から聞こえる声は、かつてはもっと明瞭に聞こえていた。最近はなりを潜めつつある。それでもふとした瞬間に、まだか、と耳元で声がする。はっとして立ち止まる。純粋な目が、内側からこちらを見ている。まだか、と聞かれる度に自分は黙り込む。今じゃないならいつなのか、と焦れたように問い詰められる。いつだってよいけれど今はまだ、とはぐらかす。
:今となっては、いないほうが都合がよい。
:気難しげで近寄りがたいといわれるので、微笑みをたやさず朗らかにいることを心がけていると、必要のないところで嗤う嫌なやつだといわれる。では、と自然にまかせて気をぬいていると、不機嫌でいるなと罵られる。結局どのようであれ、人を不愉快にさせる。諦めて付き合いを減らそう。
:普通の感覚がわからないのに人並みがいいなどと考えるのは莫迦だ。
:そこにあるもの全てを己の内に、流れに身を任せ、ただあるものをあるままに自らと同化させようとする。純と無と、理屈などなしに触れる。全て幻であろうとも、あまりにも現実に感じられる。
:感じるからこそ、誰と関係を築こうと、徒労に終わる。
:ろくに知りもせず自分を信用しきらないこと。それは見えず聞けず触れず、自分には関わることができないものかもしれない。そういうものがあると覚えておくこと。
:崇高な感情を輝きで表すことに異を唱えたくなった。崇高は輝かなくてはいけないものではない。自分が知る限り、澱みの中に沈んでいたあれほど崇高なものはいなかった。あれが輝いていると感じたことはない。あれは暗がりをさまよい、いるのかいないのかもわからない。畏怖とも違う。
:当然のごとく、たまには笑ったのだ。当然のごとく、その者もまた人だった。
:大切にしているものが大切に扱われないことに、まだ納得していない。
:望みもしないものを日々与えられるというのは、こうも不自由なものか。善意は人の自由を侵す。ほどこす側はいつもわからないものだ。それは自分も同じ。
:未来に謁見するために、過去と現在を否定する必要があった。
:四六時中生きることは喧しい。
:生きているあいだ、話すことは必要とされていない。
:夢の中でさえ眠りを妨げてくる人がいる。
:後頭部の声は自分を導いてきた。幼い頃からいる声で、落ち込んだとき、頭こそ撫でてはくれなかったが、一緒になって空想に付き合ってくれた。この声を空想の中で痛めつけ、あそんだ。
:一度抱いてしまった希死念慮というのは終生なくなるものではなく、ただ表面に出てきにくくなるだけで、そこにあり続ける。ふとしたときに水の底から形を現すように浮き上がってきて、石か、魚か、わからなかった何かであったそれが死体であったことを知らせてくる。浮かび上がったそれを眺めながら生きることは、不幸ではない。自身がそれを死体であると知っていてやらなければ、誰が目にかけてやるというのか。誰かには活きのよい魚と思われたままで、誰かには何もない水面と思われたままで、本来の姿を知られないまま浮き沈みを繰り返す姿は、間違いなく自分の姿だというのに。
:話すことは虚しいことだ。人はあてにならない。声に耳を傾けるのは自分だけだ。
:煮えたぎる怒りのようなものを感じるが、それはやはり感性の不一致、相性の問題という陳腐な説明に終わる。合わせていると碌なことがないと感じるのは当然だ。問題は自分にある。いつだって、感じる側の自分に。
:奇妙な昂ぶりが、頭の中で、内ではなく上空のほうで、宙の壁にぶつかり跳ね回っている。羽虫のように頭にたかってくる。思考が唸る。文字が見えているが、言葉が見えない。いくつも溢れ、絡まり合って、黒ずんだ塊はあるというのに、連ならない。
:今の暮らしを手に入れるまで、「家」が心休まる場所だと思わなかった。自分以外に誰もいない、何者も帰ってこないという安心。ずっと脅かされていたのだ。物心がついた頃……もしかしたら、つく以前から。刷り込まれた環境で、鈍くも、鋭くも、与えられ続けた不快な刺戟を認めるのは難しい。家に帰りたがる人の気持ちがようやくわかった。自分はどこにいても休まらなかった。帰りたいと思えなかったことを、今は哀れに思う。
:結局のところ、満足に感覚を知ることはないのだろう。誰かから、あなたが生きていることが必要だとは言われない。そして自分もまた、誰かにあなたが生きていることが必要だと言うことはない。念入りに想いを込めたとしても人は応えない。かといって自分が自然のままに振る舞うと、留まることすらない。むしろ拒絶を示す。あらゆる反応に虚しくなる。人と共にいるには過剰な努力が必要とされていて、自分には充分な素材がない。
:それでも与えようとした。
:私が拒絶した人は、自分よりずっと上手に縁を結ぶことができる人だった。
:まるで自分とそっくりという、似ていることを喜ぶ気持ちというのは、胎内でこねくり回される前の片割れを見つけた喜びからだろうか。
:存在することに全ての価値があるわけではない。
:大事に集めたその言葉を、顔面に札として貼っておけ。他人の言葉の威を借るならば、何を言うより理解されて、さぞや気分がいいだろう。
:局地の了見。悪意や醜態の塊というのは、書かずとも顔を上げればパノラマに広がっている。無尽蔵に湧くので、背を向けたとて回り込んでくる。
:気が晴れず億劫で、気配が煩わしい。かなしみの印象が、人の目を一瞬でも掠めるのはむごいことだ。
:片方は善悪の審議、もう片方は美醜の審議。人の話など聞きやしない。
:偽りにしか存在しない幸福が世には多すぎる。
:感情が揺り動かされたからといって、尊いものに出会ったとは限らない。人から発された感情に特別な思い入れを抱きたくなるのは、自分が捧げた感情の分だけ報いがほしいと思うからだ。
:依存を減らし、他人から労力を搾取しないようにしたい。そんなことを言っている間に、金を払って寄りかかったほうが世の中はよい顔をする。
:眠れない。かといってものを考えられるほど覚醒もしていない。横たわっているだけだ。どこにも向かいようがない。
:眠っているあいだに呼吸が荒くなる。苦しさに目が覚めると、口元が覆われていた。包み込まれることは不快だ。
:何を見て、感じ、考えたか、話さないように努める。天気の話と同じくらいに、気軽にこぼしてみた時期もあったが、天気の話と違って、自分自身が削れただけに思われた。
:どのような感情も不快な思い出にしてしまう。なにげない一言が、耳に引っかかる。明瞭に言葉が意味を示さなければ、たとえ声色から真意が汲み取れようとも、無視という選択肢に自由が残っている。
:さびしいから友人を求めたのか、人から後ろ指をさされるから友人を求めて苦心していたのか、判断がつかない。友人がいないと見なされると、不快な状況に追いやられると刷り込まれていた。
:友人には、より友人らしい友人がおり、その人を友と呼ぶだろう。
:縁は繋がっても切られるもので、築く情はもろく、壊れても気付かれず、元々存在しなかったことになる。人伝に聞いた話や、創られた話の中で語られる情によると、そうならないようだが。
:真の……とは、誰かの願望か、祈りであって、現実には……。
:弱った姿を見せるなら、ますます人は寄り付かないうえに、お情けの言葉をかけてくることもなくなる。
:友情や信頼は素晴らしいと主張していれば、この世では無害と見なされ生きやすくなる。
:脈を打つことで生きている。人はリズムから切り離せない存在だ。そのような身体から発される言葉にもリズムがある。
:躍動を全身に刻む血が血潮と呼ばれるとき、波の連なりは人の形をなぞる。
:自分に秘密があると安心する。他人に自分の姿を都合よく妄想していてもらったほうが、煙にまけてよい。誰にも知るきっかけを与えずに人生を綴じよう。
:自分の好みは人の不快で、人の好みは自分の不快だ。これをあえて指摘しないのは共存のためのやさしさだ。言わないけれども、嫌いならば嫌いと思ってよい。誰かに配慮して溜め込んだ嫌悪に潰されるなど馬鹿らしい。嫌いだと感じることは否定されてはいけない。
:自分ができることは、人が幸せでいられるために身を引き、立場をわきまえ、距離を保つことだと思っている。他の人はともかく、自分は特別にそうする必要がある。
:どうしたらこれ以上、不愉快な存在にならずにいられるだろう。
:不快の塊のような人がいる。魅力はなく、見たくもないものが詰まった人だ。それでもその人を宝だと心から大切にする人がいるので、自分は遠慮なくその塊を葬り去ってよい、ということが嬉しい。
:侮辱の言葉は自身の姿が見るに耐えないことを自覚させるのに必要なものだった。
:すぐれた能力も何もない。本来なら言葉を覚える前に淘汰されるはずだった。
:たのしげにふるまうことはできる。たのしいと表現することをやめたら、二度とたのしさを表せなくなる気がする。笑顔が快さではなく、威嚇の意味しかもたなくなってしまう。
:自己から離れる。発される感覚から離れる。後頭部の高い位置から背後にかけて膨張し、境目がやがて濁り、鳥瞰のイマージュが存在を見つけられなくなる。
:どこにもいなくなってしまいたい。
:小さな嘘、たわいもない嘘を重ねる人を目の前にしたとき、自分の中にその人へ寄せる信頼が微塵もないことを笑いそうになる。表向きは滞りなく会話をし、無下にせず、にこやかに接する。だが笑顔の裏で、その人の私生活で困ったことがあっても、決して自分は心を痛めることがないと確信している。自分はこの人に向き合わない。知ってか知らずか、その人もそこそこの笑顔をこちらに見せる。醜悪な絵面だ。
:どこでなくしたか不明で、気がついたら手元になかったもの。ハンカチーフ、切符、ディナーナイフ。
:請うより与えよ、という。与えられたことのないものは与え方もわからない。与えている人を模倣して、そのうちに縒り集めた糸屑が、それらしくまとまることがあっても、形になることはない。だから、かなしい。
:身を引くことは卑怯か。居なければ臆病か。遠くから眺めていることを望むのは、人をないがしろにすることになるのだろうか。
:大勢の人が見つめていた。自分もそのうちのひとりだった。あちらとこちらで隔てられていた。あちらの人は「あなた達と、わたしは一緒です」と言うが、違う。一緒ではない。あちらの人々は一緒だと言わざるをえない。自分が、寄り添われる感覚を受け取れる人であったなら、その言葉であちらの人に親しみを覚えただろう。表情に靄がかかる。目が繊細に輝く。そうして見える、一抹のむなしさ。届きようがないと知っている目。沈黙を選ばずにいる。代償に抱えた、いくらかの諦め。世の全てが美しいわけではない。愛と思ったものが自分に傷をつくらせる。それを幸せだ、という。
:ただの精神的な依存先をまだ探していた。自分でどうにかしていかなければ理想は到底達せない状態であったにも関わらず、満たされようと行動したとき、自分自身を見放した。自分は遠くへいってしまった。二度と笑顔を見せないだろう。
:最も身近なところに虚偽、憎悪、加虐が常にある。耐えるだけで精一杯で、物語という身の回り以外で繰り広げられている非現実的な関係に心を割けない。関係の先にあるものを既に見ているため、関わりを肯定する行為を称賛しようと思えない。
:平凡ならば誰にも害を与えずに済むのだから、受け入れられるべきとでも思っていたか。
:この道で地獄をみていない。打ちのめされていない。受け入れられたことも、拒絶されたこともない。
:ふとした瞬間に感じる虚しさから、どう気を逸らしていられるか、戸惑う。この虚しさをじっと見つめても、浮かぶのは無為と幕引きばかりだ。生きるには、ある部分の感覚を鈍らせておく必要がある。
:流れてゆく思いを文字にする。誰もが持ち合わせている散漫な注意を、その逸れた流れを繋ぐ。書き留めると、景色は簡略、抽象化される。正確に伝えようとすると、装飾が煩い。
:隣にいるのが自分であればよい、そうあるべきだと考えていた。徐々に、自分の隣にいるのがどうしてこの人でなければならないのか、と疑問に変わっていった。望めば、触れようとしなくなる。本心を隠して、人が心地よいものだけを差し出したらよいのか。結局それが人から好かれる道か。好かれて嫌な気はしない。ただ、ずっとさびしい。人に寄り添おうと思う。けれども自分には誰がいるのか。たくさんの人がいてくれた。わかっている。それでもたまに、感じられなくなってしまうのだ。虚しさが自分の背後に立っている。
:痛ましくもさびしさを語り、自分達や周りにいる人を愛するように、と繰り返し言い続けている人がいる。何年経っても相変わらず、愛を感じにくいと言う。今まさにさびしいばかりでいる人への労りかもしれない。全ての人が満たされることはなく、さびしい人を置き去りにしないように、常にそう言い続けているのかもしれない。だが、その人の本当の現実はどうなのだ。さびしさに変わりはないのか。誰より、その人自身が十年、二十年と本当にずっとさびしいのか。少しは笑うときもあっただろう。ああよかった今だけは、と束の間の昂揚に身を任せられるときもあったのではないか。それでも、言えど示せど繰り返せども手応えがなく、さびしさを抱えたままなのかもしれない。その人のやさしい言葉を搾取していることに、誰が気付いただろう。何人が親愛のしるしを無責任に眼差しにこめたことか。だがそんなことは大したことではなかった。その人は報いた。さびしいと言えない姿で以て。
:伝えたかったことを忘れてしまった。たくさんの言葉をもっているはずだった。それこそ溢れんばかりに。今はそれが伝えたいことだったのかさえあやしい。
:何も感じないように努力している。どうしようもなく胸が塞ぎこんでかなしい。理由もなく、苦しく、耐えられないような気がする。自分はいつのまに、このように軟弱になったのだろう。二週間前か、一ヶ月前か。もっと前からだ。もう何年も塞ぎ込んで、それが普通になってしまった、そして普通からいよいよ異常へ身を崩しかけている。異常があらわになるときは、もう異常を重ねて跨いでいる。だから誰にも、本当の異常、最初のかなしみは知られることはない。隠されたままだ。
:大切な話は最も聞くべき人の耳に届くことはない。たとえその耳を掠めたとして響かない。
:いつまでも自己は統一されない。そもそも人は、統一された生きものではない。
:初めて会ったときに孤独な暮らしを望んでいるようだったので、てっきりそれが叶うよう人を避けて暮らす工夫をしているのかと思ったが、その人は全くその逆で、人に囲まれていないと生きられない愛すべき人のようだ。その人は人と関わることを求めているし、生活に没頭しているように見えた。毎日、たのしいだろうか。出会い頭に人を騙して、いくらか気分が落ち着いただろうか。
:書かれず、表現されなかったものに傾く。
:言葉を誰に向けて発しているのだろう。個人ではないのか。全体へ向かっているのか。その言葉は最後には自分へ向けたものか。矢印が内を指していると察知する人がいる。しない人もいる。察知したとしても、言葉に心を寄せて騙されていようとする人がいる。言葉を受け取るまでは、等しくやさしい振る舞いだった。
:自分が最も親しく、そして相手もまた自分と最も親しい。重要な折には、常に求め合う関係だと思っていた。しかし実際には違った。自分の相手だったはずのその人は、場における合理的な、時間短縮のためという理由で離れてゆき、別の人を選んだ。断りなく他の人の手を取った。自分は怒った。その人は困惑していた。そのときから自分は、その人と懇意でいられなくなった。ゆっくりと距離をとり、裏切り者に冷たくあたった。人を大事にしないから、あなたは冷たくされるのだと伝えているつもりでいた。その人がすがりついてくるはずもなく、縁は細り、やがて音もなく切れた。自分が味わっただけの痛みを思い知らせたいと思っても意味はない。自分は常にさびしく、だからこそ、その人に並々ならぬ感情を抱いていた。一方的だった。別れは、その人からすれば痛くも痒くもない。別の人と心地よい関係をたのしむだけだ。
:何かを言っても、あまり他の人には聞こえないようだ。複数で話す場合は特にそうだ。話を断ち切られたり、被せられたり、なかったことにされたりする。それなのに、しばらく経つと以前に自分が声にしたことが、今まで誰も口にしなかった新しい話のように会話にのぼる。自分ではない別の人が発言すると、人の耳に聞こえるようになっている。
:考えていることを言葉にしたら、人として扱われなくなると、なぜか思っている。
:人々からつまはじきにされたら、生きづらいことを知っている。故に、希望を通すことに躊躇う。心に思っていることを口に出せない。表現ができない。涙はない。自分を知っている人に、実は別のことを考えていると言えない。知らない人には、知らないままでいてほしい。
:話をしたこと、自分を明かしたことは失敗だった。天真爛漫な愚か者ではいられない。
:恋と愛。いくらか自分に似た者への関心、つまりは自分への愛と関心。自分に対する別の解釈への期待。
:自分が関与している幸福が描けない。理想とする幸福に自分は存在せず、ただ人が安穏に暮らしている。自分が知らない人同士の出会いで、生が彩られている。思うにこれは、無責任な愛情だ。これ以上に差し出せるものがない。自分は幸福に組み込まれていない。
:愛というのは関わり方の同意を得て継続すること。愛しあうというのは方向を見定めること。愛は、その名のもとに、人を蹂躙する。
:たのしませる気は微塵もない。もし面白いと感じるならばそれは意図しなかったことだ。
:その感情は偽物だ。相手と同じ感情を共有しているのではなく、あくまでも似た感情が自身の内から湧いているだけである。線引きをすることだ。人は同一どころか延長にもなれやしない。
:理がないと好かないのではなくて、好いているから理を見つけ、通そうとする。本当に好いているのかと問う。無粋だが、思い巡らせることは並々ならぬ関心のあらわれであり、真摯に向き合おうとしている心持ちで、愛情そのものだ。
:もし理が未だわからずにいるか、あるいは今まで並べた理が相手から失われてしまったと結論づけたら、かの人を慕わなくなるだろうか。そうはならないと言いたいが、しかし。変わってしまった人を、なおも愛していられるのは、過去に得た余剰と、あてのない未来の前借りのためにすぎない。
:耳に心地よい言葉は、どのような形であれ人を傷つける。
:それがなんたるかを理解する者同士の間でしか交わされないものがある。
:信じると同時に存在しないものと思う。
:自分の手を、生きて素晴らしく本物だろうと思い込んだのが不幸だった。
:よかれと思っているその態度が、人をいかに踏み躙っているか、なぜ気付かないのか。人を尊重すると言っていたが、実際にとった行動はその逆だ。相変わらず、人にだけ自分を受け入れることを要求し、本当はこうしたかっただの、こうあるべきだのと言って、一度も人の希望を聞き入れない。今まで片方が限界を越えるまで許容してきたことで、共にいる形をとれていたのだ。全ては片方の寛容さからだった。甘やかされて、分不相応な愛情を強要し搾取してきた。与えうる愛情は底をつき、二度と姿をみせることはない。そのことにいつまでも気付かない。
:素直さが覆われている状態が、生きてゆくことに繋がってゆくこともある。笑い声はつくることができる。涙も同じ。そのままの姿でいると、そよ風で身が裂ける。
:感覚を働かせる場を選ぶ。ときに嘘をつくことだ。自分に嘘をついて、宥めすかす。人にも嘘をついて、やさしさを示す。そうやって朽ちることも、美しい。
:喜び勇んで招待を受けた人々は、皆、どす黒い面で帰路につく。別れ際にその目に浮かべているのは、憐れみ、同情、拒絶。こんな人だとは思わなかった、もし最初から知っていたら来ようとはしなかったのに、この人はどこかがおかしい、これ以上は刺戟をしないようにして、早く距離をとらなければならない、自分の身の安全のために。
:何人も招いた。いつかは誰かが見誤らずに留まってくれる。それか、同志が見つかる。求められるより先に心を開く。無防備に。だから人は怖がるのかもしれない。自分も人が同じようなことを求めてきたら、最初は応えることを渋るだろうに。
:どこが愛だというのだ。源があると勘違いされている。愛ではないのに、人はこれを愛という。真実を塗り替えるために、声だけがもっともらしく響く。
:さびしげな人に、簡素な言葉をかける。どのような言葉も無駄になる気がする。どれくらい言葉を重ねれば、その人の苦痛をやわらげられるのだろう。言葉よりも強力な手段がいくつかある中で、どれくらい言葉に時間をかけたら、伝わるだろう。自分の言葉は軽薄で、時間がかかりすぎる。かといって、強引なやり方もできない。一言を積むよりも、よほど癒やしになる方法がある。知っていても、それは自分の役ではない。さしでがましいだろうが、助けになれたらいいと思っている。
:茨の美観を損なわずに、通る道だけを整える方法を延々と探している。
:笑顔。人びとの恐ろしい表情のひとつ。自分も笑顔を返す。そうして一瞬一瞬を潰すように過ごす。
:人の世で生きることは、なんと嫌なものだろう。楽しいこともあった。嬉しくて笑ったことも、情けに胸を詰まらせたこともあった。それでも根の方では生きることを肯定できずにいた。自分が生きているから肯定しようと努めてきた。そうしなければ、あまりに哀れではないか。
:生まれて苦しめと前人から吹っ掛けられたことに変わりはない。自分を生かしたのも前人だが、惨い人達だと思う。人の声を聞かない人達だ。そんな人々に囲まれて育った自分も、人の声を聞けない。
:卑怯だった。目の前の人に「考えた順番の通りに、そのまま伝えたのなら、後は受け取った相手が考えるのだから、恐れることはない」とよくも軽く言えたものだ。人には「話せ」と促すのに、いざ自分が話す手番になったら口を閉ざす。言い淀んで、疲れきって、結局伝えることをやめる。諦めてしまう。
:これは敗走だろうか。それとも、今までにとったことのない賢明な判断だろうか。
:人々は、自分が相手をしている者もまた人である、と共同の夢を見ている。
:あの後ろ姿は、誰も寄り沿う人のいない背中だった。ある一面は、とても幸せそうに見えた。
:後日に知った。幸せそうに見えたあの姿は、装っていたのではなく、既に幸せを手に入れていた姿だった。あれはやはり、本物の一面だった。
:じぶん、自分と書き連ねた。このような考えに、私はいつも適当に飽きる。この度も、そろそろ全てを断ち切り、幸せそうにしていようと思う。