2023



01.01
 自動車道の遮音壁の下に、ヒヨドリが蕾のように丸まっている。死骸だった。私はその横を通り過ぎた。そのままにしておけば自然に還る。コンクリートの上に横たわっていたとしても、どこかから自然はやってきて、ヒヨドリを連れ去るだろうと思った。
 しかし、しばらく歩いて、どうも後ろ髪を引かれる。来た道を引き返し、ヒヨドリを手に拾い上げた。
 やわらかい羽毛の奥に貝殻のように薄くて固いころりとした体があった。手のひらにくつろいで収まる。目が細く開いていた。乾きかけて膜を張っている。濁りのない暗い目だ。ヒビの入った硝子玉のようだった。そっと体をひっくり返すと喉に赤い血管がはしっている。くちばしの先が砕けていた。壁にぶつかって死んだらしい。
 どこかにこのヒヨドリが安らげそうな場所があるだろうか、と探して歩く。手にヒヨドリを載せていると、すれ違う人が体の向きを変える。
 手のひらがあたたかい。羽毛と手のひらの間がじんわりぬくまって、ヒヨドリがまだ生きているのではないかと思えるくらいだった。けれども生きているはずがない。……どの瞬間だったか、土を探すうちに、あたたかいと感じていた手のひらが、ふ、と冷たくなった。
 ふらりと雑木林に入る。頭上から鳥の囀りが盛んに聞こえる。ヒヨドリを拾った場所からたいして離れていない。もしかしたら、このヒヨドリも生前にこの樹の上で囀っていたことがあったかもしれない。
 低木の陰に葉の寝床をつくり、松の枯れ葉をかけて寝かせた。



01.18
 私が拾い上げた時点でまだ生きていたのだとしたら……という考えが頭から離れない。



01.10
 学生の頃に住んでいた場所は川と雑木林が家路にあり、狸が頻繁にコンクリートで固められた道路を横断していた。私が家路を急ぐ横で彼らも生活に奔走し、たったたったと目の前を通り過ぎる。街路灯の下の狸は黒くてむっくりしている。むっくりと丸くても、毛の奥に野生の引き締まった体があることが伝わってくる。私は彼らを見かける度にぢっと凝視して、その尻尾が草むらに消えるまで目を離さないが、彼らはこちらを一瞥もしない。



01.24
 夜に電柱を見上げると、頭の大きな胎児が及び腰で細い支柱にしがみついている。月か星を探そうとしたが、大人よりも大きく膨張した胎児がとげとげしいコードに繋がれて街路灯に照らされているばかりで、その向こうに夜空はなかった。底冷えのする夜だ。明日はもっと冷え込むと聞く。



01.28
 ある年の引っ越しでは、持っていたのは衣類・貴重品・数冊の本・日記帳と筆記具・ノートパソコン・携帯電話・電気膝掛けだった。ボストンバッグに収まる量で、引っ越してからそのまま一年間、家具を買わずに過ごした。部屋にカーテンをかけることもしなかった。段ボールを敷いて、コートを掛布団代わりにしていた。「誰に居所を知られようと、いつでも飛び出していけるように」と身軽でいたかった。
 今はその頃に比べると所持品が増えた。快適さや安定に目を向けるようになり、住みよくはなった。けれどもたまに、快適さのために活用されているものたちを重荷に感じることがある。



02.19
 図書館から借りた本から柔軟剤の香りがする。ページをめくると、やさしい香りがふわりとたちのぼる。この本は、香りがしみわたるくらい、開かれては閉じ、懐に持たれては伏せられ、ひとつの家でゆっくり読まれてきたのだろう……と香りをたのしんでいたら、『天に染みあり』とラベルが張られていることに気が付いた。



02.25
 しらぬいの皮を調理した。部屋中が爽やかな柑橘の香り。



03.03
 住んでいる部屋の隣は半年以上もの長い間、空き家だ。郵便ポストはガムテープが貼られたままで、誰かが引っ越してきた形跡はない。しかし、たまにその部屋から人が暮らしている気配がする。歌声であったり、ごとりと床にものを置くような音であったり、蛇口の栓を捻るような、きゅっという音もする。全て、壁の向こうに誰かが住んでいる音だ。ポストを封印したまま住んでいるのか、私がずっと勘違いしているだけなのか、不思議だ。



04.03
 フレンチトーストを焼いた。耐熱ガラスの四角い深皿で卵を混ぜ、食パンを浸す。しみたらそのままオーブントースターへ。六分焼く。砂糖で甘く溶いた卵液に、垂らす醤油が隠し味。フレンチトーストは甘いのがいい。けれども甘くないフレンチトーストならソーセージが合うと聞いて、それもいいなと揺らぐ。や、甘くてもソーセージは合うと思うのだけれど。



04.06
 どっちつかずでいるというのはどちらのおいしいところも食べたいという意地汚い欲望です。しかしどちらかであることが美しいというのではありません。到底のぞめず、削ぎ落とせないとわかっているものに美が宿ると私は思います。そもそも叶わないことに、どうやら価値を見出すようです。
 不完全なものの内に美があるということも考えられますが、現実には隠そうとする壁があまりに厚く汚らわしく目もあてられないので、美が奥にあるなどと見入る隙がありません。露出されていない美は、結局美しくないのです。



05.17
 ばあさんがつけているブローチのような虫がいた。おばあさんではなく、ばあさんである。粒の模様がビーズのようで、ぴかぴかしていた。その数歩先にはヤモリが脱皮したらしい皮がぼろぼろになって落ちていた。擦り切れた魔法使いのローブのようだった。



06.14
 ヤン・シュヴァンクマイエルの妖怪コラージュを部屋の壁に貼ってから数週間。セピア色の紙が二十枚、ぎっしり並んでいる景色もすっかり馴染んだ。掃除や、ネットサーフィンの途中にふっと視線を上げると目に入る。ベッドの中に天狗の頭がある絵であったり、がしゃどくろが召使の装いで寝ている姿を覗き見していたり、女の人面犬が石頭の子にとびかかっている絵だったりと、どの絵もどこかしら不穏だ。しかし色調がまとまっているからか、不思議と落ち着く。なんとなく眺めてしまう。癒やされる心地がした。
 ところが、そんな安らぎを絵は裏切った。ぱさりと勝手にはがれて落ちたのだ。ほんとうに驚いた。部屋に私以外の人がいるのかと思った。どきどきして、まだ床に絵を落としたままだ。拾うのは明日以降にしようと思う。



08.10
 そこにありそうでなかったり、でもやっぱりあったんじゃないかというような境界で怪談をまとめている。恐い話となると、人が発狂したり死んだり明らかな生命の危機に晒される話が多い。それらはやはり恐いのだけれども、実際に遭遇する怪異というのはもっと日常的で頻繁にあるのではないかと思う。ただ、見落としていることが多いので怪談になっていないのだろう。遭遇していても不思議だなと思わなければ記憶に残るわけがない。人生に影響を与えないが、ちらちら見える。だから怪しい。



11.10
 否定の言葉は、言葉そのものの力が強い。鋭く感じてしまうものだ。これは他者からの敵意に敏感にならざるをえない生きている人間の性質だ。生命の危機に直結するのだから仕方がない。
 神経の昂ぶり。昂揚。落ち着きが失われる。身がぎゅっと締まり、逃げるか対峙するかと身構える。頭の中は混乱しているようで、割って氷水を流しこんだような冷静さに満ちている。見聞きしている言葉が毒かもしれないと、目も心も疑う。



11.13
 凪いだ気分だ。半分眠っているような心地で過ごしている。生活費を稼ぐ仕事が、複雑なものでなくてよかったと思う。おかげで落ち着いていられる。けれどもこの状態を保っていていいのか、不安になる。それはとても薄い膜のような不安だ。あまりにも薄く、ぱっと目には見えないので、無視をしようと思えばできる。不安の膜などないのだと思い込もうとする。それでも膜を感じるとき、別の方法で、膜は誰にでもあるものだと自分を慰める。膜のない人生は誰ひとり送っておらず、架空の人間生活で、作られた話の中にしか現れないと考える。
 昨晩は夢の中で、友人が自殺をした。夢の中の私が数ヶ月後に決行しようと密かに計画していたことを、その友人はさらりとやってのけた。私は友人の前兆を見抜けなかった。最後に会ったとき、私は友人に再会を約束していた。離れるのは私の方だと思っていたからこそ、できた約束だった。
 亡くなったと聞いてもなお、私が感じている世界には友人が生きている気配があった。私が先に友人との約束を反故にするつもりでいたし、友人は私のように嘘の約束をする人ではなかった。誰が何と言おうとも、私には友人の存在が感じられた。どこかで生きているという感覚。ただ、私に会いにこないだけなのだという確信が。
 だから目が覚めたとき、数秒の混乱の後に現実が周りに戻ってくると、「ほら、感じていたとおり」と小さく息を吐いた。夢だったじゃないか。携帯を見ると、渦中に勝手に据えられた友人からのメッセージが届いていた。私が数日前に送っていたメッセージへの、簡単な返信だった。微笑ましくて、涙が出た。



12.01
 説教くさい物語なんてうんざりだろう、という語り部に、そうだその通りよく分かっていらっしゃる、と拍手をした。この語り部は信用できるかもしれない。期待を胸にしていたが、話が進むと傲慢さの罪と本当の愛について記した垂れ幕が天から下りてきた。それはまだ黙って受け入れてもよかったが、物語を閉じた後がいけない。後書きに寄せて著者の博識さを現実の知識の実例を引っ張ってきて他人が褒め称えたばかりに、愚かな子供のように信じようとした物語が、フィクションだということがはっきりしてしまった。こうして人は、人の善意を前にして、失望し、あったはずのもうひとつの世界から引き剥がされてゆく。よろこぶのは「自分は子供の心を忘れていない」と思い込んでいる人だけだ。



12.14
 雑木林を訪れた。年始にヒヨドリを埋めた場所だ。頭上で鳥たちが囀っている。松の枯れ葉をかきわけた。骨は見つからなかった。