朽ちてゆくこと
柳の前で思い出したのは、昔の叔父の姿だった。
もう何十年も昔、私は十歳前後で、叔父は二十代の後半だった。叔父は、年齢にしては随分と白髪の混じった灰色の頭をしていた。叔父の姉である私の母よりも年老いて見えた。
白い頭の印象以外にも老いて見える理由があった。
眉、目尻、肩など、体のあらゆる縁が丸く枝垂れて、背中は丸く、平身低頭し、所作は静か。板間を歩いても足音がしない。樟脳のにおいを、ベルトを搾った腹のあたりから漂わせている。他の家族の誰からも漂ってきたことのない、木屑のにおいだった。整髪料や白粉や、酒や腐った歯茎、黴でも脂でもない。古びたものの中でも乾いていながら、奥にはまだ水気を感じさせる老木である。
子供の私にとって、叔父を見上げる時は木を見上げるのと同じように、空に高く感じられた。事実として叔父の背は高かった。丸めている背をしゃんと伸ばせば、商店街を歩く人々の波間から頭が飛び出すくらいには長身だった。
だが、飛魚ではない。枝垂れ柳である。
風が吹くと、半歩遅れてそよぐ。風が止むと、さやさやと葉の連なる音を残し、また俯いて佇む。人が去った後に溜息を吐くようだ。
私の胸中に浮かぶ思い出も、長く雑踏に揉まれた後の、排他的な息継ぎに過ぎない。
世田谷の先祖代々の家に、叔父は祖父母と共に暮らしていた。
お盆や正月に訪ねると
「大きくなったな」
と朗らかに迎えてくれる。泊まっている間は毎日のように
「散歩に行こう。お菓子を買ってあげよう」
と言って出不精な私を連れ出そうとする。私には兄弟も親戚もいなかったので、ひとり遊びには長けていたのだが、広い家にぽつんと遊んでいるのが哀れに見えていたのかもしれない。
菓子を買ってやろうと言われると、誘いにのらなければ悪い気がした。何より、私が断ることで、共に散歩に行きたくないのだと思われては悲しい。大人に気を遣うというと随分とできた子供に思えるが、私の場合は保身のためだった。いけ好かない奴だと嫌われるよりかは、菓子も買ってもらえることだし、出掛けたほうがいい。打算が少なからずあった。その証拠に、私から散歩に行きたいとは一度も言わなかった。
散歩に出たら、まず駄菓子屋へ行く。商店街の端にある古い店だ。子供がよくたむろしていた。私は余所者である。それに大人を連れている。知り合いが増えることはなかった。
駄菓子屋で叔父は、私に菓子を買い与えるだけではなく、自分用の菓子も買っていた。いつも同じでミルクキャラメルを一箱。私の方は気分で変わり、大抵は小粒の菓子をちまちまと五つほど選ぶ。ボールチョコレートやジャム、クラッカーなど。薄むらさき色のやわらかいキャンディは、安っぽいセロファンが宝石のような虹色で特に気に入っていた。包み紙を取っておいて、本物の宝石としてクッキーの空き缶に隠すのである。
菓子は叔父がポケットに全て仕舞い、散歩の頃合いを計って摘まみ出す。私は叔父のポケットを木の洞と思い、自分だけが知っている貯蔵庫と見なしていた。なぜ自分しか知らないと思い込んだのかは分からない。ポケットへ菓子を入れるのは叔父その人であるし、叔父がキャラメルを取り出して齧る姿を見ていたというのに、どういうわけか私は、叔父を含めた大人たちは皆、漆器の中の醤油煎餅か、皿の上に盛られたシュークリームのような生菓子しか食べないと思っていた。だから叔父がポケットに菓子を忍ばせているというよりも、私が悪戯で大人のポケットを利用しているという気がしていた。
叔父は菓子だけでなく、道草も食った。真に道草を摘んで食べていた。私にクコの実の甘さを教えたのは叔父である。甘いが、菓子ほどおいしくはない。けれども誰もが通り過ぎる道端の草が、実は食べることが出来、それを自分は知っているということに特別な旨みを感じた。道草は自分で採集するのもまた楽しい。
各々が道草を味わった。私は地面に落ちている鳩の片翼や、路面に混じった硝子の細かな輝きを、しゃがみ込んで飽きるまで凝っと眺めた。叔父は道草を摘み、たまに口に放り込み、私が行く先々で立ち止まるのを急かすことなく、のんびりと歩いた。
付き合いのよいこと、この上なかったと思う。
世間から私は、おっとりした子と評されていた……気を遣ってのことである。身内からは、のろまと呆れられていた。
遅鈍。
歩き方はふらふらとおぼつかない。地面ばかり見ている。顔を上げる動きは寝起きの亀である。本人は素早く動いたつもりでも、評価は覆らない。気を抜いたらのんびり屋どころではなく、時間が停止しているようなものだった。
両親は私と正反対だった。歩けば背骨に板を括ったように前方を見据え、風を切って目的地へ向かう。無駄がなく、人垣を割る気迫がある。私は不格好に余所見をする尺取り虫で、一寸先に両親が切り開いた人垣は、寸法を測る隙もなくたちまち閉じる。すると、尺取を急かす親の声が人の頭越しに飛ぶ。尺取は狼狽えて、人垣にぶつかりながら両親の元へ急ぐ。両親は尺取の声を聞いてか聞かずか、姿が見えるのを待たずに歩みを進める。人垣から尺取が出てくれば、感動もなく見下ろす。遅いよ、と事実を告げる。
毎回、両親の後ろに張り付くようにして必死についてゆく尺取は、自分が歩いた道がどのようであったか、親の背中以外に見る余裕がない。道中が昼か夜かも気にしていられない。道は存在せず、ただ出発地と到着地という島が暗闇にぽっと現れるのみだ。両親を見失うことは、大海に放り出されて二度と陸地に着けない未来を示唆する。アメンボならまだしも、泳げぬ質の虫には酷である。溺れているのだが、のろまは危機感に苛まれているとは見られない。浅瀬でぱちゃぱちゃと遊んでいるようにしか思われていないのだった。
道を知ってようやく帰る家が分かる。目的地は必須ではない。叔父との散歩は、目的地があってないようなものだった。隣駅に行こうと言って、最寄り駅にすら着かない。近所の公園に行こうと言って、気が付いたら遠くの公園に着く。あちこちを歩き回るうちに日が暮れる。出掛ける際の誘い文句は破られてばかりだった。だからといってそれで私が拗ねたことはない。自分がどこを歩いてきたか覚えている。それに、たとえ頭を空っぽにしても、最後には家に帰れる道を知っている大人が側にいる。安心できた。私は菓子がなくとも叔父との散歩が好きだった。叔父も楽しげだったように思う。
両脇を竹林に挟まれた砂利道の奥に、祖父母と叔父が暮らす家がある。瓦屋根の古い日本家屋で、庭には数匹の鯉が泳ぐ小ぶりの池が、敷地の端には煤けた納屋が、家の裏手には畑があった。
竹林は家を囲んでおり、無尽蔵に竹が生えてくるままにしていたので、隣家の塀がどこにあるのか見通しが悪かった。敷地に足を踏み入れた人間は、外界から遮られた。私はこの竹林が、現実よりも遠くまで、さすがに隣町までとは言わないが、どこまでも広がっていると思い込んでいた。
庭は松の木や、名も知らぬ肉厚な葉を一年中茂らせた木が鬱蒼として、虫と小鳥が飛び交う小さな森だった。
池に泳ぐ鯉は紅白や墨色で、どれも恰幅がよかったが、濁った目玉をしていた。祖母は
「また鳥が魚を狙うよ」
と気を揉み、祖父が
「ハクビシンじゃないのか。よく庭を通っている」
と言う。暢気に茶を啜る祖父に、祖母は
「どちらにせよ食べられてしまうよ。かわいそうに。池に網でも被せて、何とかならないものかね」
と哀れがった。心配した通りに鯉達は鳥獣の胃におさまったのか、池は数年後に水が抜かれた。
表門から玄関へ、砂利道の最後に飛び石が敷かれている。玄関の引き戸は重い。腰を入れて押さなければなかなか開かない。音が響くので、誰かが家内に入ってくると、部屋のどこにいても分かる。
玄関をくぐると正面に廊下が真っ直ぐ伸びている。家の中心を貫き、採光窓のない丁子の廊下は、二階へ続く階段と畳の大広間、洋風応接室、居間、台所、便所と風呂を繋いでいる。この廊下は、夏は涼しいが、冬は寒々として爪先が凍りそうになる。天井も低く、白熱灯を点けても湿気のせいか、何となく霞がかかったぼんやりした気配が漂う。長い廊下は不気味でおそろしかった。通るときは前方も後方も油断ならず、曲がり角から家族以外の見知らぬ何かが姿を見せそうな凄みがあった。私は常に不安だった。その何かが追いかけてくるかもしれない。よしんば佇んでいるだけだったとしても、いきなり動き出して距離を詰めてくるかもしれない。居てはいけないものを家の中で見てしまいそうな怪しさは、幼心に耐えがたかった。
廊下のはじまりである玄関の雰囲気も、何かが潜んでいそうな不気味な気配を醸し出すことに一役買っていた。
一枚板の重厚な下駄箱の上に、生成り色の透かし編みの布が敷かれ、機構の透けた金色の置き時計、アラベスク文様の大皿、大小の達磨、こけし、木彫りの熊、陶器の貴婦人、同じく陶器の蛙、蹄鉄、狸や雉の剥製、他にも細々と、どこのお土産とも知れぬものが隙間なく飾られている。
それらのうち最も大きく目立つ物が、蜂の巣の標本だった。四角い硝子ケースに収められた巨大な巣だ。子供の頭の五つか六つ分の大きさがあった。もこもこと膨らんだ瓜型の巣に、翅を閉じた蜂がとまっている。これも標本だ。巣を見る度に、違う穴から頭を出している気がする。人を睨む凶暴な面をしていた。
まだ硝子ケースの中で、まだ生きているのではないか。大人からは生きてはいないと教えられたが、信じきれない。
ほら、触覚が動いたような。こちらが気を抜いていたら、翅をぱっと広げて、今に飛び立つのではないか。
暴れ狂い、硝子を突き破ってくるに違いない。巣からは次々と蜂が顔を出すだろう。あの中にはぎっしり、蜂の体が詰まっている……。
蜂が巣にとまったままかどうか、見ずにはいられない。一人きりで対峙するのは、あまりに心細かった。
蜂の巣も廊下も、通らずには家で過ごせない。私は廊下を走り抜けることで、恐怖から逃れようとした。
自分の踵が床を打つ振動には気をつけなければならない。硝子ケースに衝撃が伝わり、万が一にも割れないよう、爪先に力をこめて踵を浮かせ走り抜ける。無事に廊下を渡るまでは気が抜けない。安全な部屋から危険な廊下へ飛び出たら、巣を瞬目の中に映し、目的の部屋へ一直線に駆け込み、蜂や、よからぬ者の侵入を阻止すべく後ろ手に扉をぴしゃりと閉める。指を挟むのではないかというくらい勢いをつけてこれをやるので、騒々しいことこの上ない。このときばかりは、のろまな亀も異常な馬力を出す。甲羅で滑るくらいの芸当をする。
この癖は如何ともし難いことだった。親に行儀を窘められても直しようがなかった。本能が走れというのである。私を走らせないようにするなら、生理反応を全摘出するしかない。
昼間は走って通りぬけることで難を逃れていたが、日が没すると、もう、ひとりきりでは通ることができない。廊下の白熱灯を私が点けるなら、それは人が廊下に出るぞという合図であり、点けないまま廊下を歩くなら、闇に引きずりこむよい機会だ。夜は足音もよく響く。音に呼び寄せられて、何かがやってくる。私が見たこともない、家に潜む何者かが。
扉の隙間から人を呼ぶ。自分の声が響くのも恐怖を煽られる。廊下から流れ込んでくる冷気に肝まで絞られる。それでも、ひとりだけで廊下を渡るよりかは良い。自分の体は安全な場所から出ておらず、いざという時は扉を閉めれば身を守れる。板一枚で身を守れると考えていたのは滑稽だ。もし何かが扉を壊してきたら……壊さずとも扉などという物質を無視して通り抜けてきたら……そんなことが起きる現実は、私の頭の中で構築されていた世の中の仕組みには書かれていなかった。粗朴に扉を信じていた。
人を呼んだところで、祖父母は耳が遠く、気付かない。両親は私が同じ部屋にいようとも相手にしない。歩けない赤ん坊ではないのだから、と呆れている。
結局、何度か呼ぶうちに叔父が二階の自室から階段を下りてくる。叔父が来るまではいつまでも縮こまって待っている私が、迎えが来た途端に胸を張り、「あっち」だとか「こっち」だとか言い、すまして廊下を渡る。頑なだった。あらかじめ同じ部屋に叔父がいるなら、従えて廊下に出る。当然だ。
ある年の盆のこと、例年通り私は両親と共に祖父母の家を訪ねた。玄関への飛石を跳ねてゆくと、庭先で叔父が雑草をむしっているのが見えた。
「来たよ」
と私が声を投げると叔父は立ち上がり、大きな麦藁帽子のつばをちょっとあげて、こちらを眩しげに覗き見た。白い半袖の開襟シャツの腹が泥だらけだった。私と、私の父と母、三人の姿を認め、
「どうも、いらっしゃい」
と声を張った。父が
「今年はまた暑いね」
と言いつつ庭に寄る。叔父は
「本当に。昨年よりも暑いようで。ああ、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、たぶん居間です。いや、お祖父ちゃんは蔵を直すと言っていたかも」
と言った。
「蔵を?」
と父が聞き返す。台風で壁が割れたとかなんとか、と叔父が言い、父は家の裏手へ姿を消した。父の姿が見えなくなると母が
「草むしり? 大変そうね。秋には全部枯れるのに」
と叔父を労った。叔父は肩にかけたタオルで汗を拭きながら
「うん。でも草はね、すぐ伸びてくるから」
と言った。
叔父は屈んで草むしりを再開した。母はそうかもしれないわね、と頷き、暑い暑いと言って早々に玄関をくぐった。
正午の、肌を炙る日差しに晒されながら、叔父は土を弄っている。草の根本にスコップを深く突き立て、土をほぐし、細く束になった根を引っ張る。スコップを振り下ろす横顔に、白い尖った歯が覗く。私は飛び石から降りて叔父の元へ近寄った。
「ねえ、叔父ちゃんは草むしりが楽しいの?」
と聞くと
「いや、大変だよ」
と言い、さして面白くなさそうに
「やってみるかい」
とスコップの柄を差し出して振る。私は即座に
「いい」
と拒んだ。
「楽しいのに」
と叔父は肩を竦め、スコップを握り直した。そして思い出したように立ち上がると、歩いて縁側の下から霧吹きを拾ってきた。使い古されている。細かな傷で表面が白く濁っていた。叔父は霧吹きを私に半ば押し付けて
「水を入れてきてくれるかな」
と言った。私は黙って任務を引き受けた。
母が半開きにしたまま閉めずにいた玄関に身を滑りこませ、土間の端⸺蜂の巣から遠い対角線の場所⸺で靴を脱ぐ。慌てているので式台と上がり框の段差に躓きかけるも、体勢を立て直し、駆け足で台所へ入った。祖母と母が夕飯の仕込みをしていた。
ボウルをかき混ぜていた母がさっと顔を上げた。
「またそんなうるさくして。どたどた走りなさるな」
と怒る。私が何も言えずにいると、畳み掛けて
「お祖母ちゃんにまず挨拶でしょう」
と叱る。箸さばきの荒くなった母を、祖母は
「まあまあ、そんな怒鳴ることないじゃないの」
と諫めた。そして
「いらっしゃい。ここまで来るのに暑かったでしょう」
と私に声を掛けた。
私はうん、と短く応えると口を一文字に結んで二人を交互に見た。
母は不機嫌そうだった。これはまずい。早く対処しなければならない。私は自分の口の端が上向くよう唇を引いた。私の口元は、力を抜いていると、への字に曲がってみえる。ぶすくれた顔と揶揄されるような口元をしていた。気を抜いていて、理不尽に叱られたことがあった。仏頂面をしなさんな、と何度も言われた。それが嫌で、唇に力を入れる癖がついたのだった。あまり功を奏さない癖だった。力を入れると顎に梅干しのような皺が寄る。頬には不自然にへこんだ笑窪ができる。気を遣っているはずが、私の精一杯の愛想は醜い表情にしかならなかった。
母の口がものを言おうと開きかける。私はすかさず
「水、汲みに来た」
と言った。母の口が形を変える。
「それ、叔父ちゃんの霧吹き?」
「うん。入れてきてって」
蛇口を捻る私の横で、祖母はトマトを切りながら
「お手伝いしているの。偉いねえ」
とほのぼのと褒めてくれた。私は得意になり口元が緩みかけたが、祖母は
「それにしても、あれは庭の手入れをしてくれるのはいいけれど、草のことばかりだね。他のことにも興味を持てばよかったのに」
と続けて言った。私は硬く口を結び直した。
祖母が《母親》らしい口調になると、私の母は母親ではなくなり、祖母の娘になって口を尖らせた。
「お父さんも、もっと強く言えばいいのよ。許しているのがいけないんだから」
これに似た会話を聞いたことがあった。もう何度も繰り返されている話だった。ひとつの言葉はスイッチになっており、その言葉が会話に出ると、自動で同じ話を発するようになっている。同じ展開で、同じ結末へ流れつく。飽きもせず、母娘は繰り返す。そうすることで絆を固くしているらしかった。
祖母に意見を述べる母の瞳は輝いていた。自立した大人としての自負と、娘として母親の悩みを受け止めながら助言する優しさを発揮できる機会を喜んでいるようだった。祖母は応え、頷き、娘を肯定しながらも、子供の言うことだから、と取り合わない。
延々と二人の間で捏ねられるだけの言葉が虚しい。私は俯いた。
この幕に、私の役はない。声が聞こえても内容を理解しないよう、身近な物をただ見ることに集中する。排水溝の蓋をじっと見た。野菜の屑が引っかかっている。
大人の機嫌が悪いときは、しおらしい態度をして黙っていることが、最も平穏に場が治まる態度だと学んでいた。私が不快そうな表情を浮かべたり、反論を試みたりすると、長い説教が始まる。口を閉ざすことが、平和への近道だ。もし静かにしていることに失敗し、相手を怒らせてしまったとして、すぐ謝ってもいけない。口先ばかりと叱られる。
そこまで神経を逆なですることもなく、大人がすぐに落ち着きそうな様子であるならば、一呼吸おいて、全く別の話を始めるとよい。相手が嬉しがるような話ならなおよいが、とにかく不意打ちであれば大抵は、不機嫌になることから注意を逸らすことができる。急に話題を提示することで返事を考えてもらい、元々考えていたことがどこかへ影を潜めるのを狙うのだ。これもうまくやらねば、自分が出した話題から過去の悪行をほじくり返される。大人が引っ張る芋蔓を侮ってはならない。
私は排水溝の蓋を見詰め続けた。聞きたくもない言葉が耳に引っ掛かる。
祖母が母に
「でもあの子は色々と家のことをやってくれるからね」
と言う。
「まだそんなこと言って。いい年の大人でしょうに。庭は業者に頼めばいいじゃない。それより、家にいつまでもいるのが問題でしょう。弟をあのままにしたら、お兄ちゃんが苦労するのよ。もうすぐ日本に帰ってくるのに」
「まあね、こんな予定ではなかったわね」
二人は私がいることを忘れてしまったようだった。二人が私の祖母と母に返らぬうちに、私は台所を去ることにした。
和室から縁側へ抜け、庭に出ると叔父が木陰で涼んでいた。腰に手を当て、松の木を仰いでいる。
この人は台所で繰り返されている会話を知らない。教えてはいけない、と思った。
「持ってきたよ」
と言いながら霧吹きを掲げる。
叔父は私を見て微笑んだ。
「ありがとう」
こちらへ歩いてくる。
「水やりをするから、おいで。今日はきれいなのが見られるかもしれないから」
「きれいなの?」
そうだよ、と叔父は言いながら縁側の下からゴムのつっかけを出し、私の足元に揃えた。私はそれを履き、叔父の後ろについて庭の小さな森へ足を踏み入れた。
木陰に入ると風がひやりと冷たい。土が踏み固められている。踏み歩くところだけ雑草が少ない。足幅しかない小道は狭く、脇へ足を踏み外すと重く粘る泥が靴裏にこびりつく。
小さな羽虫が鼻をかすめて飛ぶ。鬱陶しくて、私は顔を頻繁に掻いた。叔父は低く垂れた枝をくぐりながら進んでゆく。時折、枝の先を引き寄せ、葉をめくって何かを見、するりと手放す。研究者めいており、後続の私はその助手を務めているつもりになった。自分もそれらしく木の幹に手を当ててみる。分かることは何もない。手のひらが汚れただけだ。それでも私は賢いふりをして、意味深長に頷いてみた。
叔父は私のごっこ遊びに気付くはずもなく、背を向けたまま言った。
「叔父ちゃんはちっちゃい頃、この庭で変な生きものに会ったことがあるんだ」
私は一人遊びから引き戻され、叔父に顔を向けた。叔父は枝を手繰り、木の天辺を見上げていた。
「ちょうどこのへんだったかな。茶色くて丸い、ぼんぼりみたいな、二、三個の玉が上の方をさかさかと走っていった」
「鳥じゃないの?」
「くちばしも脚も見えなかったからな。鳴きもしない。枝を這っていくような動きだったんだよ」
「じゃあ、リスとか、タヌキ?」
「リスか。リスだったかな。こんなところにリスが、どうだろう」
樹上を探すように首を動かす叔父につられ、私も樹上を仰ぐ。ねじり伸びた枝と、重なった葉の隙間から陽が漏れている。明るい。
「妖怪みたいなものだな」
叔父は呟いた。
風で枝が揺れる。
妖怪は昼間にも出るのだろうか。
叔父が見たという茶色い毛玉が、まさに今ぽろりと枝の間から私の顔へ落ちてくることがあるだろうか。そうしたら捕まえて「ほら、リスだったでしょう」とぶら下げて見せれば、叔父は感心するかもしれない。けれども本当に妖怪で、わし摑みにした瞬間に膨らんで、始末がつけられなくなってしまったらどうしよう。叔父は私を助けてくれるだろうか。分からない。知りたくもない。
そんなことを想像しているうちに、叔父は庭の奥へ進んでいた。
「こっちだよ」
と私を呼んでいる。
「これに水をあげるんだ」
叔父が指差したのは座布団ほどの大きさの岩だった。表面が青緑色のまだら模様をしている。やわらかそうな毛束がみっしりと生えていた。
「××っていう苔だよ」
聞き取れなかった。さっきは茶色い毛玉の話で、こっちは緑か、とぼんやりしていた。
人差し指で表面をさっと掃いてみる。吸い付くようにふかふかして、触り心地がいい。
叔父は苔に霧を吹いた。私の手にも水がかかる。手の甲で霧は丸い雫になり流れ落ちた。湿った苔が黒々と深い色を増す。霧吹きを脇に挟んだ叔父は、ポケットからスプーンを取り出すと、苔をこそげ落とした。叔父の手の甲に静脈がくっきりと浮き出る。骨が毛玉の妖怪を刈り取ったように見えた。
叔父は手のひらに苔をためると、足早に家へ向かった。小走りについてゆく。叔父が靴を脱ぎ捨てて縁側に上がったので、私もつっかけを放り脱いだ。
二階へ上る。叔父の部屋は角にある。四畳半の狭い部屋だが、日当たりのよい出窓があるおかげで、さほど狭さは感じない。
出窓には鉢植えがぎっしり置かれていた。どれも青い葉を広げている。垂れた蔦が床にとぐろを巻いていた。
叔父は空いていた小ぶりの鉢を取り、腰をかがめて、書き物机の下からビニール詰めの土を引っ張り出した。片手に苔をもち、片脇に霧吹きを挟んだまま器用に土を盛る。その上に雛鳥を巣に戻すように、そっと苔を置いた。
「水を」
叔父が霧吹きを挟んでいる右脇の肩を、私へ向かって突き出した。私は霧吹きを抜き取り、苔に噴霧した。
「お上手」
と叔父が言った。
「そんなことない」
不服を呟く。霧吹きに上手も下手もあるものか。褒められたことで、霧吹きを下手に扱う自分がいたかもしれないことに気付く。その下手な霧吹きを、私に対して僅かでも叔父が想定していたように思えて、不快だった。本来はうまく出来ないことだろうから、凄いじゃないか、と侮られたと感じた。私は負けず嫌いだった。大人達と比べ、自分は劣っている。苦々しいことだ。そう思いながら、自分は出来ないのだからと大人に任せきりでいる。下手な反抗は、自分の身のためにならないことを計算している。私は子供だった。誰から見ても子供だった。可愛げを使いこなせず、不器用で、賢さの今一歩足りない、中途半端な子供だった。ここで笑って嬉しそうにする純粋さも、馬鹿にしないでよと怒る力量も、私にはなかった。ただ小さく拗ねて、叔父が私の不機嫌に応えるかどうか、捻くれた甘えをぶつけた。
叔父は鉢に硝子のドームを被せ、満足そうに口をきゅっと引いた。
私は霧吹きがお上手で、謙遜をした子供のまま、午後を過ごした。
その日は夕飯を終えても、まだ外が明るかった。皿を下げる手伝いをしてから、私は勝手口で靴を履いた。母がすかさず
「今からどこに行くの」
と台所から声を飛ばす。
「そのへん」
と私は言った。
「敷地から出たらダメだからね。もう夜なんだから」
大人達はこの後、酒を飲み交わすだろう。祖父と父は、夕飯の席から飲んでいた。今はテレビに向かって、何やかんやと男同士で喋っている。
勝手口を閉めると大人達の声が遠ざかった。私は肩を回した。
夕飯の席を、寛いだ気分になれずに過ごし、体が強張っていた。
父は自宅にいるときよりも愛想よく、まめまめしく皿の上の料理を私に取り分けてくれた。私の分だけでなく、全員の分をせっせと取り分けた。機嫌が良いと見えるが、いつもの父ではない。料理をおおいに褒め、会話の隙間を埋め、よく笑う。コップが干される前に飲みものをつぐ。余所行きの緊張感があった。
そのような状態の父を構わずに、私まで母のように寛いでしまったら、父を仲間外れにするようで、できなかった。
寛げなかった理由は、他にもあった。
祖母と母の態度はどうだ。
昼間にあれだけ叔父を見下げておきながら、平然と叔父と会話をしている。親しげな笑顔さえ見せている。
居心地の悪さに私は内心、苛ついていた。
団欒から離れた私は、拾った枝を振り回し、納屋に辿り着いた。空気がじっとり重く、湿っている。日中の日差しの名残がある。
足下に目を落とすと、小さな穴があいていた。蟻の巣だ。穴から黒い触覚が現れる。そこへ草むらから歩いてきた蟻が鉢合わせ、二匹は互いの触覚をくしくしと重ね、巣穴に潜っていった。後からさらに帰巣する蟻もいる。
私は踵を返し、庭に回ると、縁側の下からジョウロを持ち出した。ついでに庭でドクダミの葉をちぎって中に詰める。
納屋の前に戻った私は、入り口の脇にある錆びた立水栓を捻った。茶色い水が出てきた。ジョウロを水で満たす。ドクダミは名前がいかにも毒であるし、葉が臭い。さぞや体に悪いだろう。
毒水を巣に注いだ。
巣穴のまわりはドーナツのように土が盛られている。雨が降っても穴の中に水が入ってこないよう蟻たちがこさえた防壁だ。しかしジョウロで水を直接注がれてしまっては、この防壁は意味をなさず、かえって巣穴に水を溜める。
奥へ水が染みてゆくよう、ゆっくりジョウロを傾ける。穴から蟻たちが大慌てで這い出てくる。もがく六本の足。ぐねぐねうごめく触覚。乾いた地面を求めて、私の靴に縋る小さな虫は、自分が何にしがみついたのかも分からずにいた。
私は上ってくる蟻を振り落とし、踏みにじった。巣穴から出てきたところを仕留めた。足で穴を塞ぎ、水に沈んだ巣から出てこられないようにした。穴から蟻が出てこなくなるまで徹底するつもりでいた。
気付かぬうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。納屋の外に点けられている小さな電球の明かりは、湿った土塊と蟻の死骸を、一緒くたに黒く照らした。
蟻は次から次へと巣穴から出てくる。キリがない。水をいくら注いでもなかなか溢れてこないし、足も疲れた。まだ潰しきっていない未練を残しつつ、できることを尽くそうと穴に葉を詰め、石で蓋をした。巣穴の周りには、体が潰れてなおも触覚を動かしている蟻が何匹もいた。私は靴の裏についた滓を庭石の角でこそげ落とした。
それから数ヶ月と経たずに、叔父が居なくなった。祖父母いわく
「いつ出て行ったのか分からないのよ。荷物も知らないうちに消えていて……」
「何日も顔を見ていない気がして部屋を覗いたら、棚に入っていたはずの本や服がなくなっていた。まったくどうしたものか……」
「《お世話になりました》って、手紙が机にあっただけなのよ。どういうつもりなんだかねえ……」
ということだった。
どこへゆくとも言わず叔父が家を出て行ったので、私の母は
「一言も知らせないだなんて」
と憤った。父は、母に同意することも叔父の肩をもつこともせず、小難しい顔をして母をなだめた。
叔父の失跡を知ってから世田谷の家を訪ねたとき、私はまっすぐ二階へ向かった。
部屋には埃が舞っていた。出窓に、叔父が嬉しそうに眺めていた苔の鉢植えがあった。中を覗く。鉢の中の苔は、すっかり乾いて粉々になり、赤茶けた土と混じっていた。
「捨てないといけない⸺」
と誰かが言うのを聞いた。
私はその翌年から、平気でひとり、廊下を歩くようになった。