朽ちてゆくこと
もう何十年も昔の叔父の姿を、柳の前で思い出した。当時の叔父は二十代の後半だったと思う。年齢にしては、随分と白髪の混じった灰色の頭をしていた。叔父の姉である私の母よりも年老いて見えた。老けて見えたのは、白い頭の印象だけが理由ではない。眉、目尻、肩など、体のあらゆる縁が丸く枝垂れていた。背中は丸く、平身低頭して、所作は静か。板間を歩いても足音がせず、泥棒のようだと身内からいわれていた。叔父は樟脳のにおいを、ベルトを搾った腹のあたりから漂わせていた。重たい木屑のにおいは枯れた老木を彷彿とさせた。子供だった私にとっては、木を見上げるのと同じように、叔父の背は高く感じられた。事実として叔父の背は高かった。丸めている背をしゃんと伸ばせば、商店街を歩く人々の波間から頭を出せた。
叔父は世田谷の祖父母の家で暮らしていた。お盆や正月に訪ねると
「大きくなったなあ」
と朗らかに迎えてくれる。泊まっている間は毎日のように
「散歩に行こう。お菓子を買ってあげよう」
と言って出不精な私を連れ出す。私には兄弟も親戚もいなかったので、ひとり遊びには長けていたのだが、広い家にぽつんとひとりで遊んでいるのが哀れに見えていたのかもしれない。
菓子を買ってやろうと言われると、誘いにのらなければ悪い気がした。断ることで、共に散歩に行きたくないのだと思われては悲しい。
散歩に出たら最初に駄菓子屋へ行く。商店街の端にある古い店で、叔父は私に買うのと一緒に自分用の菓子も買っていた。いつも同じで、ミルクキャラメルを一箱。私の方は小粒の菓子を数個、ちまちまと五つほど選び、買ってもらう。粒チョコレートやジャム、薄むらさき色のやわらかいキャンディ。安っぽいセロファンが宝石のようだった。菓子は叔父がポケットに全て仕舞い、散歩の頃合いを見て摘まみ出す。私は叔父のポケットを木の洞と思い、私だけが知っている貯蔵庫と見なしていた。ポケットへ菓子を入れるのは叔父その人であるし、叔父がキャラメルを齧る姿を見ていたというのに、どういうわけか私は、叔父を含めた大人たちはみな、漆器の中の醤油煎餅か、皿の上に盛られたシュークリームのような生菓子しか食べないと思っていた。だから叔父がポケットに菓子を忍ばせているというよりも、私が悪戯で大人のポケットを利用しているという気がしていたのである。
叔父は菓子だけでなく、道草も食った。真に道草を摘まんで食べていた。クコの実の甘さを私に教えたのは叔父である。甘くとも、菓子ほどおいしくはない。けれども誰もが通り過ぎる道端の草が、実は食べることが出来、それを自分は知っているということに特別な旨みを感じた。自分で採集するというのも楽しい。
各々が道草を味わった。私は地面に落ちている食いちぎられた鳩の片翼や、路面に混じった硝子の細かな輝きを、しゃがみ込んで眺めた。叔父は道草を摘み、口に放り込み、私が行く先々で立ち止まるのを急かすことなく、のんびり付き合った。
私は世間からはおっとりした子と評されていた。気を遣ってのことである。身内からはのろまと呆れられており、あまり好ましく思われていなかった。愚鈍。歩き方はふらふらとおぼつかない。たいていは俯いており、顔を上げるにしても動きは寝起きの亀だ。本人は素早く動いたつもりでも、評価は覆らなかった。気を抜いたらのんびり屋どころではなかっただろう。時間が停止しているようなものだ。
両親は私と正反対だった。歩けば背骨を板に括ったようにまっすぐ前方を見据え、風を切って目的地へ向かう。無駄がなく、人垣を割る気迫がある。後ろからついてゆく私は、不格好に余所見をする尺取り虫で、一寸先に両親が切り開いた人垣は、寸法を測る前にたちまち閉じる。すると尺取を急かす親の声が人の頭越しに飛ぶ。尺取は狼狽えて、人垣にぶつかりながら両親の元へ急ぐ。両親は尺取の声が人垣から聞こえたので、姿が見えるのを待たずに毅然と歩き出す。人垣から尺取が出てくれば、感動もなく見下ろす。両親の後ろに張り付くようにして歩く尺取は、自分が歩いた場所がどのような道か、親の背中以外に覚える余裕がない。
あちこちを叔父と二人で歩き回るうちに日が暮れる。目的地はあってないようなものだ。隣駅に行こうと言って、最寄り駅にも着かない。近所の公園に行こうと言って、遠くの公園に着く。誘い文句は悉く破られた。だからといってそれで私が拗ねたことはない。頭を空にしても、最後には家に帰れる道を知っている大人が側にいる。安心できた。私は菓子がなくとも叔父との散歩が好きだった。叔父も楽しげだったように思う。
両脇を竹林に挟まれた砂利道の奥に、祖父母の家はある。瓦屋根の古い家で、庭には小ぶりの池が、敷地の端には煤けた納屋が、家の裏手には畑があった。竹林は家を囲んで生えており、竹が生えてくるままにしていたので、隣家の塀がどこにあるのか見通しが悪かった。どこまでも竹林が広がっているのだろうと誤って考えていた。
庭は、黒い松の木や、つやつやした葉を一年中茂らせた名も知らぬ木が鬱蒼として、虫と小鳥が飛び交う小さな森だった。
池には赤い金魚が泳いでいた。祖母が
「また鳥が金魚を狙うよ」
と気を揉み、祖父が
「ハクビシンじゃないのか。よく庭を通っている」
と茶を啜る。祖母は
「どちらにせよ食べられてしまっているよ。かわいそうじゃないか。何とかならないものかね」
と哀れがった。心配通りに金魚達は鳥獣の胃におさまったのか、池は数年後に水が抜かれた。
表門から玄関へ、砂利道の最後に飛び石が敷かれている。玄関の引き戸は重い。腰を入れて押さなければなかなか開かない。音が響くので、誰かが玄関を入ってくると家のどこにいても分かる。家の者は、もっぱら裏の勝手口から上がる。勝手口はいつも鍵が開いていた。
玄関に入ると正面に廊下が真っ直ぐ伸びている。丁子の廊下は二階へ続く階段と畳の大広間、洋風応接室、縁側、居間、台所、つきあたりの便所と風呂の全てを繋いでいる。玄関から家の中心を貫く廊下は採光窓がなかったので、夏は涼しいが、冬は寒々として爪先が凍りそうになる。湿気のせいか、白熱灯を点けても何となく霞がかかったぼんやりした気配が漂っていた。長い廊下は不気味でおそろしかった。廊下の前方も後方も油断ならず、角から家族以外の見知らぬ何かが姿を現すのではないかと不安だった。その何かが追いかけてくるかもしれない。佇んでいるだけかと思いきや、いきなり動き出して距離を詰めてくるかもしれない。いてはいけないものを家の中で見てしまいそうな怪しさが廊下にはあった。
廊下のはじまりである玄関の雰囲気も、何かが潜んでいそうな不気味な気配を醸し出すことに一役買っていた。重厚な一枚板の下駄箱に、白いレースの布が敷かれている。その上に、機構の透けた金色の置き時計、藍の大皿、狸や雉の剥製、達磨、木彫りの熊、陶器の蛙、どこのお土産とも知れぬものが隙間なく飾られていた。
それらに混じって、大きな蜂の巣の標本があった。四角い硝子ケースに収められた巨大な巣。自分の頭の三、四つ分はあるだろうか。もこもこと膨らんだ瓜型の巣に、翅を閉じた蜂がとまっている。これも標本だ。巣を見る度に、違う穴から頭を出している気がする。硝子ケースの中で蠢き生きているのではないか。気を抜いていたら、蜂がぱっと翅を広げるのではないか。今に飛び立ち、暴れて硝子を突き破ってくるのではないか。巣にとまったままかどうか、見ずにはいられない。一人きりで対峙するのは心細い。
蜂の巣も廊下も怖く、私はせめて隙を見せないよう、廊下を走り抜けて逃れようとした。床を打つ踵の振動で硝子ケースが割れないよう、爪先に力をこめて踵を浮かせて走り抜ける。無事に渡るまでは気が抜けない。廊下へ飛び出たら巣を瞬目の中に映し、目的の部屋へ一直線に駆け込み、蜂の侵入を阻止すべく後ろ手に扉をぴしゃりと閉める。指を挟むのではないかというくらい勢いをつけてこれをやるので、騒々しいことこの上ない。
走って通りぬけていられるのは昼間の間だけである。日が没して白熱灯も点いていない廊下だと、もうひとりでは通ることができない。白熱灯が点いていても、夜は足音を出すと家のどこかにいる何かが音で呼び寄せられて駆けてきそうで怖い。
扉の隙間から大声で人を呼ぶ。自分の声が響くのも恐怖を煽られた。それでもひとりで廊下を渡るよりかはいい。自分の体はまだ安全な場所から出ておらず、いざというときは目の前の扉を閉めれば身を守れる。
呼んだところで祖父母は耳が遠くてほとんど気付かず、両親は私と同じ部屋におりそもそも相手にしてくれない。駄々をこねているのだと呆れられていたのだろう。
結局、何度か呼ぶうちに叔父が二階の自室から階段を降りてやってくる。来てくれるまではいつまでも縮こまって待っている私が、迎えが来ると途端に胸を張り、「あっち」だとか「こっち」だとか言って、すまして廊下をするりと渡る。頑固であるから、湯上がりに体が冷めても脱衣所でじっと待つ。もよおすときも眠いときも、叔父が来るまで待っていた。
私が九歳になった年の盆のこと、例年通り両親と共に祖父母の家を訪ねた。玄関への飛石を跳ねてゆくと、庭先で叔父が雑草をむしっているのが見えた。
「来たよ」
と私が声を投げると叔父は立ち上がり、大きな麦藁の帽子をちょっとあげてこちらを眩しげに覗き見た。白い半袖の開襟シャツの腹が泥だらけだった。私たち三人の姿を認め
「いらっしゃい。元気そうですね。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、たぶん居間です。いや、お祖父ちゃんは蔵を直すと言っていたかも」
と声を張った。父が
「蔵を?」
と繰り返した。台風で壁が割れたとかなんとか、と叔父が応え、父は家の裏手へ姿を消した。父の姿が見えなくなると母が
「暑そうね」
と汗をぬぐう叔父を労った。
「うん。でも草はね、すぐ伸びてくるから」
叔父は屈んで草むしりを再開した。母はそうよね、と頷いて早々に玄関をくぐった。
真昼中の、皮膚を焼きつける日差しに晒されながら、叔父は土を弄っている。草の根本にスコップを深く突き立て、土をほぐし、細く束になった根を引っ張る。スコップを振り下ろす横顔に、白い尖った歯が覗く。私は飛び石から降りて叔父の元へ近寄った。
「叔父ちゃん、楽しいの?」
と聞くと
「や、大変だよ」
と言い、さして面白くなさそうに
「やってみるか」
と泥だらけのスコップを振って寄越した。私は即座に首を横に振って
「いい」
と拒んだ。
「楽しいのに」
と叔父は肩を竦め、スコップの土を払った。そして思い出したように歩き出し、縁側の下から霧吹きを拾ってきた。色褪せている。細かな傷で表面が白く濁っていた。叔父は霧吹きを
「水を入れてきてくれるかな」
と半ば押しつけて渡してきた。自分で入れればいいのにと思いつつ、私は台所へ向かった。
母が半開きにしたまま閉めないままでいた玄関に身を滑りこませ、蜂の巣から最も遠い端で靴を脱ぐ。駆け足で台所へ入ると、そこでは母と祖母が夕飯の仕込みをしていた。
ボウルをかき混ぜていた母がさっと顔を上げた。
「またそんなうるさくして。どたどた走らない」
と怒る。私が何も言えないでいると畳み掛けて
「お祖母ちゃんにまず挨拶でしょう」
と叱る。箸裁きの荒くなった母を、祖母が諌めた。
「まあそんな怒鳴ることないじゃないの。いらっしゃい。髪がのびたね」
私はうん、と短く応えると口を一文字に結んで二人を交互に見た。
母は不機嫌そうだった。これはまずい。私は口の端が上向くよう唇を引いた。自分の口は力を抜いているとへの字に曲がってみえる。ぶすくれた顔と揶揄されるような口元をしている。そう言われるのが嫌で、唇に力を入れる癖がついた。悪癖だった。力を入れると顎に梅干しのような皺が寄る。滑稽な顔だ。気を遣った結果だが、私の精一杯の愛想は醜い表情をしていた。母の口がものを言おうと開きかける。私は
「水、汲みに来た」
と言った。母の口が形を変える。
「それ、叔父ちゃんの霧吹き?」
「うん。入れてきてって」
蛇口を捻る私の横で、祖母はトマトを切りながら
「お手伝い、偉いねえ」
とほのぼのと褒めてくれた。私は得意になり口元が緩みかけたが
「それにしても、あれは庭の手入れをしてくれるのはいいけれど、草のことばかりだね。他のことにも興味を持てばよかったのに」
と祖母が続けたのを聞いて、また硬く口を結び直した。
祖母が母親らしい口調になると、母は私の母親ではなくなり、祖母の娘に戻って口を尖らせた。
「お父さんも、もっと強く言えばいいのよ。許しているのがいけないんだから」
似た会話を聞いたことがあった。同じ展開で、同じ結末へ流れ着く。母娘は繰り返し同じ話をすることで親睦を深めているらしかった。
祖母に意見を述べる母の瞳は輝いていた。自立した大人としての自負と、娘として母親の悩みを受け止めながら助言をする優しさを発揮できる機会を喜んでいるようだった。祖母は応え、頷き、娘を肯定しながらも、子供の言うことだから、と取り合わない。延々と二人の間だけで捏ねられるだけの言葉が虚しい。私は俯いて視線を彷徨わせた。この幕に、私の役はない。声が聞こえても内容を理解しないよう、身近な物をただ見ることに集中する。排水溝の蓋をじっと見た。野菜の屑が引っかかっている。
大人の機嫌が悪いときは、聞いている顔をして黙っていることが、最も平穏に場が治まる態度だと学んでいた。私が不快そうな表情を浮かべたり、反論を試みたりすると、長い説教が始まることもある。もし静かにしていることに失敗し、相手を怒らせてしまったら、口を閉ざすしかない。すぐ謝ってもいけない。口先ばかりと叱られる。
そこまで神経を逆なですることもなく、大人がすぐに落ち着きそうな様子であるならば、一呼吸おいて、全く別の話を始めるとよい。相手が嬉しがるような話ならなおよいが、とにかく不意打ちであれば大抵は、不機嫌になることから注意を逸らすことができる。急に話題を提示することで返事を考えてもらい、元々考えていたことがどこかへ影を潜めるのを狙うのだ。
排水溝の蓋を見詰め続けても耳が仔細に声を拾う。聞きたくない言葉が澱となって沈む。
「でもあの子は色々と家のことをやってくれるからね」
と祖母が言う。
「まだそんなこと言って。いい年の大人でしょうに。庭は業者に頼めばいいじゃない。それより家にいつまでもいるのが問題でしょう。弟をあのままにしたら、お兄ちゃんが苦労するのよ」
「まあね、こんな予定ではなかったわね」
二人は私がいることを忘れてしまったようだった。私は二人が私の祖母と母に返らぬうちに、台所を去ることにした。
和室から縁側へ抜け、庭を覗くと叔父が木陰で涼んでいた。腰に手を当て、松の木を仰いでいる。
この人は台所で繰り返されている会話を知らない。教えてはいけない、と思った。
「持ってきたよ」
と言いながら霧吹きを掲げる。
叔父は私を見て微笑んだ。
「ありがとう」
こちらへ歩いてくる。
「水やりをするから、おいで。今日はきれいなのが見られるかもしれないから」
「きれいなの?」
そうだよ、と叔父は言いながら縁側の下からゴムのつっかけを出し、私の足元に揃えた。私はそれを履き、叔父の後ろについて庭の小さな森へ足を踏み入れた。
木陰に入ると風がひやりと冷たい。土が踏み固められている。足繁く通っているらしい。踏み歩いたところだけ雑草が少ない。足幅しかない小道は狭く、脇へ踏み外すと重く粘る泥が靴裏にこびりつく。小さな羽虫が鼻をかすめて飛ぶのが鬱陶しく、私は顔を頻繁に掻いた。叔父が低く垂れた枝をくぐりながら進んでゆく。時折、枝の先を引き寄せ、葉をめくって何かを見、するりと手放す。研究者めいており、後続の私はその助手を務めているつもりになった。自分もそれらしく木の幹に手を当ててみる。分かることは何もない。手のひらが汚れただけだ。それでも私は意味深長に頷いてみた。
叔父は私のごっこ遊びに気付くはずもなく、背を向けたまま言った。
「叔父ちゃんはちっちゃい頃ね、この庭で変な生きものに会ったことがあるんだ」
私は一人遊びから引き戻され、叔父に顔を向けた。叔父は枝を手繰り、木の天辺を見上げていた。
「ちょうどこのへんだったかな。茶色くて丸い、ぼんぼりみたいな、二、三個の玉が上の方をさかさかと走っていった」
「鳥じゃないの?」
「くちばしも脚も見えなかったからなあ。鳴きもしない。枝を這っていくような動きだったんだよ」
「じゃあリスとか、タヌキ?」
「リスか。リスだったのかな。こんなところにリスなんているかな」
樹上を探すように首を動かす叔父につられ、私も樹上を仰ぐ。ねじり伸びた枝と、重なった葉の隙間から陽が漏れている。明るい。
「妖怪みたいなものだな」
叔父は呟いた。
妖怪は昼間にもいるのだろうか。
風で枝が揺れる。
もしや今にも、叔父が見たという茶色い毛玉が、ぽろりと枝の間から私の顔へ落ちてくることがあるだろうか。そうしたら捕まえて「ほら、リスだったでしょう」とぶら下げて見せれば、叔父は感心するかもしれない。けれども本当に妖怪で、わし摑みにした瞬間に膨らんで、始末がつけられなくなってしまったらどうしよう。叔父は私を助けてくれるだろうか。分からない。知りたくもない。
庭の奥へ叔父は進み
「こっちだよ」
と私を呼んだ。
「これに水をあげるんだ」
叔父が指差したのは座布団ほどの大きさの岩だった。表面が青緑色のまだら模様だ。やわらかそうな毛束がみっしりと生えている。
「××っていう苔だよ」
聞き取れなかった。さっきは茶色い毛玉の話で、こっちは緑か、とぼんやりしていた。人差し指で表面をさっと掃いてみる。吸い付くようにふかふかして触り心地がいい。叔父は苔に霧を吹いた。私の手にも水がかかる。手の甲で霧は丸い雫になり流れ落ちた。湿った苔が黒々と深い色を増す。霧吹きを脇に挟んだ叔父はポケットからスプーンを取り出すと苔をこそげ落とした。骨張った叔父の手の甲に静脈がくっきりと浮き出る。岩があまりにふかふかしていたので、毛玉の妖怪を刈り取ったように見えた。
叔父は手のひらに苔をためると足早に家へ向かった。小走りについてゆく。叔父が靴を脱ぎ捨てて縁側に上がったので、私もつっかけを放り脱いだ。二階へ上る。叔父の部屋は角にある。四畳半の狭い部屋だが、日当たりのよい出窓があるおかげで、さほど狭さは感じない。出窓には鉢植えがぎっしり置かれていた。どれも青く艶めく葉を広げている。垂れた蔦は床にとぐろを巻いている。叔父は空いていた小ぶりの鉢を取り、腰をかがめて書き物机の下からビニール詰めの土を引っ張り出した。片手に苔をもち、片脇に霧吹きを挟んだまま器用に土を盛る。その上に雛鳥を巣に戻すように、そっと苔を置いた。
「水かけて」
叔父が霧吹きを挟んでいる右脇の肩を、私へ向かって突き出した。私は霧吹きを抜き取り、苔に噴霧した。
「お上手」
霧吹きに上手も下手もあるものか。
「そんなことあるの」
小声でぼやいてみる。叔父は間延びした声で
「何が?」
と言った。私はどうでもよくなり黙った。叔父は鉢に硝子のドームを被せ、満足そうに口をきゅっと引いた。
お盆の時期は十八時頃に夕飯を終えてもまだ外が明るい。皿を下げる手伝いをしてから私は勝手口で靴を履いた。母がすかさず
「今からどこに行くの」
と台所から声を飛ばす。
「そのへん」
と私は簡単に答えた。
「敷地から出ちゃだめだからね。もう夜なんだから」
「うん。大丈夫」
大人達はこの後、酒を飲むはずだ。祖父と父は夕飯の席から飲んでいた。テレビに向かって何やかんやと男同士で喋っている。
勝手口を閉めると大人達の声が遠ざかった。息を吐く。祖父も祖母も私をかわいがってくれるが、寛いだ気分になれなかった。夕飯の席で、父は自宅にいるときよりも愛想よく、まめまめしく皿の上の料理を私に取り分けてくれた。機嫌が良いと見えるが、いつもの父ではない。余所行きの緊張感があった。そのような状態の父を構わずに私まで母のように寛いでしまったら、父を仲間外れにするようで、できなかった。
寛げない理由は、気を遣っていたからだけではない。祖母と母の態度はどうだ。昼間にあれだけ叔父を見下げておきながら、平然と叔父と会話をしている。親しげな笑顔さえ見せている。
居心地の悪さに私は内心、苛ついていた。拾った枝を振り回し、納屋に辿り着く。空気がじっとり重く、湿っている。日中の日差しの名残がある。
足下に目を落とすと、蟻の巣があった。穴から黒い触覚が現れる。そこへ草むらから歩いてきた蟻が鉢合わせ、二匹は互いの触覚をくしくしと重ねて巣穴に潜っていった。後からさらに帰巣する蟻もいた。
私は踵を返し、庭に回ると、縁側の下からジョウロを持ち出した。
納屋の前に戻り、入り口の脇にある錆びた立水栓を捻る。茶色い水が出てきた。ジョウロの中にはドクダミの葉をちぎって詰めていた。ドクダミは名前がいかにも毒であるし、葉が臭い。蟻の巣にジョウロを傾ける。水を注ぐ。
巣穴のまわりはドーナツのように土が盛られている。雨が降っても穴の中に水が入ってこないよう蟻たちがこさえた防壁だ。しかし私が手にしているのはジョウロで、この防壁は意味をなさず、かえって巣穴に注がれる水を溜めた。
奥へ水が染みてゆくよう、ゆっくりジョウロを傾ける。穴から蟻たちが大慌てで這い出てくる。もがく六本の足。ぐねぐねうごめく触覚。乾いた地面を求めて、私の靴を上る小さな虫は、自分が何にしがみついたのかも分からずにいた。
私は上ってくる蟻を振り落とし、踏みにじった。巣穴から出てきたところを仕留めた。足を穴の上に置いて、水に沈んだ巣から出てこられないようにした。穴から蟻が出てこなくなるまで徹底するつもりでいた。
気付かぬうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。納屋の外に点けられた小さな電球の明かりは、湿った土塊と蟻の死骸を一緒くたに黒く塗りつぶした。蟻は次から次へと巣穴から姿を現す。キリがない。まだ潰しきっていない未練を残しつつ、できることを尽くそうと穴に葉を詰め、石で蓋をした。黒い影の中には、体が潰れてなおも触覚を動かしている蟻が何匹もいた。靴の裏についた滓は庭石の角でこそげ落とした。
数ヶ月後、叔父が居なくなった。祖父母いわく
「いつ出て行ったのか分からないのよ。荷物も知らないうちに消えていて……」
「何日も顔を見ていない気がして部屋を覗いたら、棚に入っていたはずの本や服がなかった。まったく、どうしたものか」
机の上には置き手紙があり、
お世話になりました
とだけ書いてあったらしい。
どこへゆくとも言わず叔父が去ったので、私の母は「一言も知らせないだなんて」と憤った。父は、母に同意することも叔父の肩をもつこともせず、小難しい顔をして母をなだめようとした。
叔父の失踪を知ってから祖父母の家を訪ねたとき、私はまっすぐ二階へ向かった。埃が舞っていた。出窓に叔父が嬉しそうに眺めていた苔の鉢植えがあった。中を覗く。鉢の中の苔は乾ききって粉々になり、赤茶けた土と混じっていた。
「捨てないといけない──」
と誰かが言うのを聞いた。
私はその年から、平気でひとり、廊下を歩くようになった。