かつて慰めがあったように
:自分と人の間には溝がある。行動と言葉で埋めようとしている。だが、信じて無となる、その誠実。
:信じる気持ちと、おかしいと感じる気持ちで迷い、結局、疑心暗鬼に陥ったままだ。言葉は軽薄だ。穴だらけだ。
:俯いて歩いていると、みみずが地面でのたうち回っていた。体の半分が黒く乾涸びていた。
:またある日は、蟬が地面に落ちていた。翅が点々と散らばっている。半身がすり潰されていた。粉の一部は誰かの靴の裏にこびりついているのだろう。もしかしたら前方に粉の道が続いているかもしれない、と顔を上げた。
:道の真ん中に、白く毛足の長い玉ころがぷかぷか浮いていた。風に吹かれて遊ぶ細い毛は、磯巾着が揺れているようだった。
:人はおそろしい。だから気付かれないよう横を静かに通り過ぎる。うまく通り過ぎたのなら、あとは振り向かずにいること。もし確認しようと振り向けば、その人は今にこちらに気付く。
:雪が降る。結晶が指先にやってきた。すぐに溶けなかったのは、人らしいあたたかさがそこになかったからだ。
:自分は空を飛べる。記憶ではそうだった。見渡した景色に気分が昂揚する。下に落ちるわけがない。だからこれは飛び降りではない。
:何かがおかしい。食べものの味がわからない。言葉が理解できない。視界がぼやけている。自分と他のものの境界がわからない。
:人の姿でいることが、いつまでも馴染まず、どのように他人はこれが人だと見定めているのだろう。
:人が育てたものを食べ、縫った服を着て、整えた道を歩き、教えを授かり、人と共に生きている。自分は人を避け、避けられながら、人を頼りに生きている。何ひとつ自身は貢献することもなく、他人はおろか自分自身にも役に立たず、感情に訴えかけるものもなく、何も生まず。
:欺いている。
:どの部分からほつれて破綻するだろうか。
:体が重い。汚れている。醜い。這いつくばる。わけもなくかなしくなり、きっかけもなく活気づき、元気になったと思えば潰える。何があるということもない。何とかして気を逸らそうとしても、頭が働かず、この状況を打ち明ける相手もいない。
:この自分というやつは誰なのか。知らないうちに付き合わされて、辟易する。
:生来の気質だ。何もかもが苦痛だ。どうしようもない。
:人の声どころか、そこに人がいる音を聞くと厭わしさを感じる。気配を恐れている。
:何かしなければ生きられないということが全て不快で、この疎ましい感覚をどうしたらよいのだろう。
:百年経てば問答無用で自分がいなくなるといっても、今の慰めにならない。
:自分は注意深く隠してきた。深く関わらないことが、人と交わした約束だ。
:夜道、目の前を人が歩いていた。向かう先が同じらしく、自分とその人は一定の距離を保って歩いていた。先をゆく背中を見ていると、その人が振り返った。こちらを認めたその人は、また前を向いて歩きだした。しばらくするとまた振り返った。しきりに背後を気にしている。自分が背中を凝視するからいけない。もしもここであの背中に詰め寄ったなら、と考えているせいで、その人は身に迫ってきそうな嫌な気配を察したのだろう。やがて二人の向かう先が分かれるまで、怖かったに違いない。
:公園に立ち寄った。日中は子供が遊ぶ賑やかな公園だというのに、日が暮れた後は人が遊びに来るようには思えないほど陰鬱な気配が漂う。常緑樹ばかりで、冬も葉が閉鎖的な蔭をつくる。ベンチに腰掛けた。見上げて視界におさまらない大樹の、葉と葉の間から誰かがこちらを見ているような気がする。気のせいでなければよいのにと思う。そこに誰も知らないような未知の何かがいてくれたら、どんなに心躍るだろう。初めは怖くとも、そういった存在に触れる生の感覚がすぐに上回り、恐怖は鈍る。
:つなぎの骨が軋んで煩い。
:生きている人の話は、耳に聞こえても気が削がれて聞こえない。発された声は、こちらに届くまでに濁っている。
:しかしこの世にいない人は違う。あの人らは何と言っても、もうこちらに声をよこさないし、主張もしてこない。この世にいない人の話のほうが聞き取りやすく、含みがある。
:黙っていなさいと自分に言う。お前は出てこなくてよろしい、なぜなら生きている、出直してきなさい。そうすれば体も静かになるだろう、と。
:早くその言葉に耳を傾けたいので、あちらへいってくれないか。そう願っている。
:先陣を切る。それだけのこと。無闇に恐れたり嫌悪したりしなくてもよい。嫌だと駄々をこねるのをやめたい。興味が湧いたという、たった一瞬の気分で実行に移せる。
:その時は確かに無価値な会話だった。屑籠の中のちり紙のほうが、価値があるように思えた。何度も繰り返し聞かされてきた話よりも、屑籠のちり紙に皺が何本あるかは、今ここにいる自分がつぶさに観察しなければ見落とされてしまう。そうして大事にしているものが、人にはわからない。
:ひとりでも充分だ、と本を貪り読んだとして、その本を書いたのは他の人だ。ひとりではない。
:孤独で夢見がち。現実を生きない。ないものを想い、片足を欄干にかける。自分は不幸だと自惚れる。
:人、人、人——人のことばかり。記されるのは人のことばかりだ。基準は人。うんざりする。
:縄は結えるためにある。結び方を練習した。望みが結ばれた。
:夢の中で別の人生を歩んだ。昨日が何十年も昔のことのように思われる。自分の心臓が脈打つ音が遠くに聞こえ、いつになったら目を覚ますのだろうと呆けている。
:椅子に座るのが面倒で腹ばいになる。狭い部屋の地平線が、ずいぶん遠くに見えたものだ。
:不適合。個性は醜さの一歩手前。
:父も母も無く自分が現れた気がする。
:穏やかな口調でやさしく聞こえなくもないが、その人の口の片端は歪んで下がっていた。粘土を盛ったような厚ぼったい皮膚が垂れている。笑顔をつくろうとしているのか、顔の半分だけが吊り上がっている。人を見下しているかのようだ。気分が悪くなる。鏡を割ってしまおう。
:記憶の中の渓谷は、木々が川に向かってせり出し、鬱蒼としていた。岩は苔むして水に濡れていた。住宅地にありながら、生活から切り離された空間だった。しかし今、川は整地され魚は一匹も泳いでいない。木は歯抜けになり渓谷沿いの家が丸見えだ。しばらくここには来まい。
:散歩途中の和菓子屋で買った菓子を食べる。味がしなかった。乾いた餡には白髪が練り込まれていた。
:散る桜に目を細める。花と草の間に、子供や恋人達が埋もれている。幸福な絵を見た。
:現象の羅列でさえ、文字になれば人を離れることはできない。
:体の感覚に基づいた言葉は不快を引き寄せる。
:洗ったばかりの足を早々に汚す。
:言葉が捉えられなくなってゆく。自分の言葉が消えてゆく。とどまらなければならない。多少強引な方法でも。
:暗がりに慣れることと畏れを忘れることは同じではない。近頃は暗がりを照らしすぎるので、息づかいを感じられるものと逢うことが難しい。自ら暗がりに身を置こうとしなければ、一寸も見えない。
:心情を飾りつけたくどい不平は、たとえ元凶が責められるに相応しい行いをしていたとしても、並べるうちに人の耳と心に栓をさせ、反感の種を育てる。
:その者の歩く音は不幸を知らせる。声は呪詛。聞いた者の内臓は捻れる。近づいても遠のいても、害を為す。それでも、その者に音を出すなと言うのは残酷だ。譲歩して願う。もっと静かに、と。
:協力とは服従することだと教わった。その人が「協力してください」と口にするとき、それは「わたくしが思い描くように従いなさい」と言っている。本人は相手の為にもなる善いことを促していると思って、清い面をしている。思考も感覚もねじくれてしまっていることに気付いていない。そんな状態を美しく正しいと思っている。
:自分が人であることを他人のせいにしたところで、生まれてしまったからには仕方がないというのに。
:かの人を知る者が、かの人と話したときの風景を再現した。しかし、かの人を知っているのは再現したその一人だけだったので、人々は別の者を慕った。いかにもくどくど泣く、演技をした者を真の姿であると称賛した。
:姿など誰にもわからない。偽物がはびこり妄想の型にはめられる。誰も思いやる者などいない。
:否定されても、肯定されても不愉快だ。
:尊敬する人がいないのはそもそも人を拒絶しているからだ。根を嫌悪しているから、そこに美しく魅力的なものを積んでも慕うことができない。
:重ねてきたものを思うと吐き気がする。
:全ては自分の思い出。何度も取り出しては眺める。幸せがいくつもあった。自分は思い出に嘘をついている。どこが嘘なのかは知らない。
:苦しみを負わずに人から大切にされることはない。
:鬱々と、項垂れて手のひらを見る。
:人の存在をまず容認しなくては話がすすまない。さもないと人がいなくなる。仮にも自分が人で、人の感覚を通しているのだから、他の何を頼りに息をするというのか。人を排除しようというのは無理がある。
:本当は全て、人の臓物のなかで起こっており、目の前には何もない。
:連絡をとり、気付く。滞りなく人と会話をする。まるで昔と変わらない気の抜けたやりとりの、変わらない声が不愉快だった。自分の内面が変わりすぎたのかもしれない。親しい口調が、今となっては耳障りだ。昔のような気持ちで接することはこの先ないだろう。
:つまらない過去を回顧する日がある。今日を過ごさなかったのに、体は明日へと運ばれる。
:ここから何里も離れた森の、木の葉の間を抜ける風を聞くかのように耳をそばだてる。人のしがらみを忘れているあいだは、生も死もない気がする。そう、気がするばかりだ。
:もしかすると幸福な幼少期があったのかもしれない。けれども自分が思い出せるのは死が選択肢に入ったあの時からばかりで、それより前の、何の疑いもなく生きていた頃は思い出せない。言葉を知るより以前の自分は、この世に何を見ていたのだろう。
:大人という者は、子供はこういうものだろうとわかった顔をするが、そんな大人へ務めを果たそうとして、欲しがるそぶりを見せたり喜んだふりをしたりするのが子供だ。幼いからといって、子供は大人のように考えられないのではない。うまいこと伝える術にまだ出会っていないか、表現を許されていないだけだ。
:昔のあなたはとてもやさしかったのに、などと言っても無駄だ。あなたにとって都合のよい人はもういない。自覚もなしに、心を踏み躙りつづけたのは、他でもないあなただ。
:結ぶ糸はない。今後、糸を結ぼうとすることもない。なぜならあなたは存在しない。あなたは見えない。たとえ過去に糸を結んでいた気がしても、それは記憶違いだ。
:自分がもう一人いたらよいのにと考える。もう一人の自分は自分と同じように語ることをよしとするので、居心地がよいに違いない。けれど他の人はそうは考えないらしい。もうひとりの自分がいても面倒なだけだとか、自分の嫌な部分は直視したくない、と言う。
:見なかったら、何を見るのか。
:泣いたとしてもう遅い。あなたは修復のための選択肢を何度も踏み躙った。己が何をしているか顧みようとしなかった。踏み躙られてなお我慢し続けた者が、どうしてまた踏まれろと命じられて従うのか。
:もう理解しようとは思わない。歩み寄りの期間はとうに過ぎた。恨みを言わずに去るのだから、ありがたいことだろう。元凶がなくなるのだ。今、たとえ泣いていようが、この先は煩わされずに済む。これ以上に穏やかなことがあるだろうか。
:それらしく振る舞うことをやめてよかった。
:大事にしていたものを燃やされたとき、怒っただろうか。否、平気な顔をしていた。ああ、そう、大事なものだったのだけれど、燃やしたのか。わかった。
:早く離れなければ、生涯を終えることになってしまう。
:もし自分があと少しでも、やさしい気遣いを備えた人であったなら、今頃は土の下にいる。
:いなくなれ、と声が頭蓋骨の内から聞こえる。数年前はもっと明瞭に聞こえていたので、そのことばかり考えていた。最近はなりを潜めている。それでもふとした瞬間に、まだか、と声がする。はっとして立ち止まる。純粋で強烈な目が内側からこちらを見ている。まだかと聞かれる度に、自分は黙り込む。今じゃないならいつなのか、と焦れたように問い詰められる。いつだってよいけれど今はまだ、とぼそぼそ呟き、はぐらかす。
:今となっては、いないほうが都合がよい。
:最初に人は暴力を振るう。それが望んだかのように苦痛を与え、嬉しそうにしている。人々は祝う。幸せになってほしい、と言う。
:気難しげで近寄りがたいといわれるので、微笑みをたやさず朗らかにいることを心がけていると、必要のないところで嗤う嫌なやつだといわれる。では、と自然にまかせて気をぬいていると、不機嫌でいるなと罵られる。結局どのようであれ、人を不愉快にさせる。諦めて付き合いを減らそう。
:普通の感覚がわからないのに人並みがいいなんて考えるのは馬鹿だ。
:そこにあるもの全てを己の内に、流れに身を任せ、ただあるものをあるままに自らと同化させようとする。純に、無に、理屈などなしに触れる。全て幻であろうとも、あまりにも現実に感じられる。
:愛する人というのは幻で、この手で愛そうと関わった時点で、愛した人でなくなっている。
:誰かが、喧しく喋っている。もがいている。何を言っているのか、何がしたくて四肢を動かしているのか、どうにも掴めない。あの人は、いったい何がしたいのだろう。他人事のように、自分は自分を見つめた。
:なぜ、生きることをよしとするのか。なぜ、生きていけることをよしとするのか、これが前提なのか。なぜ、これを目指すような態度でいるのか。なぜ、なぜ。人の集まりへの奇妙な不快感は何なのか。問うことは罪だろうか。問うことで和を乱すとき、自分は排除されるだろうか。人は問われることを嫌悪するだろうか。それは忌避すべきことだろうか。果たして問うにふさわしい場かどうか、考えた末に、黙っている。
:書きとめようとすると言葉に迷い、不安になる。書きとめるつもりがなく、ただ座ってぼんやりしていると、迷う感覚もなく落ち着いていられる。まとまっているというわけではなく、ただ執念に集っているだけだ。感覚は言葉になった時点で、もとの生命を削がれている。言葉は死骸だ。
:人を借りて自身の感情を語る怠惰。わかったような気になっている傲慢。各々は、どこまでも孤独であり続ける。
:誰と関係を築こうと、徒労に終わる。
:ろくに知りもせず自分を信用しきらないこと。それは見えず聞けず触れず、自分には関わることができないものかもしれない。そういうものがあると覚えておくこと。
:崇高な感情を輝きで表すことに異を唱えたくなった。崇高は輝かなくてはいけないものではない。自分が知る限り、澱みの中に沈んでいたあれほど崇高なものはいなかった。あれが輝いていると感じたことはない。あれは暗がりをさまよい、いるのかいないのかもわからない。畏怖とも違う。
:あのふたりの間では、目を合わせるだけで何かがわかって、声をあげて笑わずにはいられないらしい。ふたり以外には隠されており、見当もつかないような、目に見えぬものがある。
:心の拠り所とする人がいない。味方がいない。共にいて落ち着ける人などいない。人は共にいることを望まない。表した感情は、全て不適切だった。
:これらは全て語られ尽くしている。けれどもここでは、語り尽くされていない。
:破滅の道だと思って見ないようにしていたが、違うのかもしれない。
:当然のごとく、たまには笑ったのだ。当然のごとく、その者もまた人だった。
:大切にしているものが大切に扱われなかったと知って、かなしい。
:誰かが家にいる。こちらへ向かってくる足音がする。一、二、三、四、五、六歩。そもそも一人暮らしで、戸には鍵をかけていたはずだ。人がいるわけがない。幻聴だと理解していれば、笑い声がたびたび聞こえても、まだ耳元では聞こえていないのだから気に病むことはないだろうと落ち着いていられる。
:たまたまここにいると思っているにすぎない。ありとあらゆるところに点在し、自らを知らぬままに、のばしたり引っ込めたりしている。いったい自分はどこにいるのか。自分が知っている自分は、どこにいってしまったのか。
:望みもしないものを日々与えられるというのは、こうも不自由なものか。善意は人の自由を侵す。ほどこす側はいつもわからないものだ。それは自分も同じ。
:未来に謁見するために、過去と現在を否定する必要があった。
:四六時中生きることは喧しい。
:生きているあいだ、話すことは必要とされていない。
:夢の中で眠りを妨げてくる人がいる。
:後頭部が喋る。この声は自分を導いてきた。幼いころからいる声で、落ち込んだとき、頭こそ撫でてはくれなかったが、一緒になって空想に付き合ってくれた。この声を空想の中で痛めつけ、あそんだ。
:一度抱いてしまった希死念慮というのは終生なくなるものではなく、ただ表面に出てきにくくなるだけで、そこにあり続ける。ふとしたときに水の底から形を現すように浮き上がってきて、石か、魚か、わからなかった何かであったそれが死体であったことを知らせてくる。浮かび上がったそれを眺めながら生きることは、不幸ではない。自身がそれを死体であると知っていてやらなければ、誰が目にかけてやるというのか。誰かには活きのよい魚と思われたままで、誰かには何もない水面と思われたままで、本来の姿を知られないまま浮き沈みを繰り返す姿は、間違いなく自分の姿だというのに。
:水に住んでいたら、海藻のうねりを見て、陸の木のざわめきのようと表現するだろう。
:隣を歩く人はいないが、前を歩いた人は大勢いたようで、足跡がたくさん残っている。しかしその足跡さえも、以前に自分が通った名残かもしれない。
:話すことは虚しいことだ。人はあてにならない。声に耳を傾けるのは自分だけだ。
:煮えたぎる怒りのようなものを感じるが、それはやはり感性の不一致というか、相性の問題という気がする。合わせているとろくなことがないと感じるのは当然ではないか。問題は自分にある。いつだって、感じる側の自分に。
:奇妙な昂ぶりが、頭の中で、内ではなく上空のほうで、あるはずのない宙の壁にぶつかり跳ね回っている。羽虫のように頭にたかってくる。思考が唸る。文字が見えているが、言葉が見えない。いくつも溢れ、絡まり合って、黒ずんだ塊はあるというのに、連ならない。
:今の暮らしを手に入れるまで、家が心休まる場所だと思わなかった。自分以外に誰もいない、何者も帰ってこないという安心。ずっと脅かされていたのだ。物心がついた頃……もしかしたら、つく以前から。刷り込まれた環境で、鈍くも、鋭くも、与えられ続けた不快な刺戟を認めるのは難しい。家に帰りたがる人の気持ちがようやくわかった。自分はどこにいても休まらなかった。帰りたいと思えなかったことを、今は哀れに思う。
:結局のところ、満足に愛される感覚を知ることはないのだろう。誰かから、あなたが生きていることが必要だとは言われない。そして自分もまた、誰かにあなたが生きていることが必要だと言うことはない。念入りに想いを込めたとしても人は応えない。かといって自分が自然のままに振る舞うと、留まることすらない。むしろ拒絶を示す。あらゆる反応に虚しくなる。人と共にいるには過剰な努力が必要とされていて、自分には表わせるだけの充分な愛がない。
:自分が拒絶した人は、自分よりずっと上手に縁を結ぶことができる人だった。
:まるで自分とそっくりという、似ていることをよろこぶ気持ちというのは、胎内でこねくり回される前の片割れを見つけたよろこびからだろうか。
:視界の端で虫が這っているのを見かけた。焦点を合わせると、その虫は消える。虫以上に大きいものもいる。子犬か、うずくまった人くらい。目を向けると、消える。
:大事に集めたその言葉を自分の顔面に札として貼っておけ。他人の言葉の威を借るならば、何を言うより理解されて、さぞや気分がいいだろう。
:眠れない。かといってものを考えられるほど覚醒もしていない。横たわっているだけだ。どこにも向かいようがない。
:存在することに全ての価値があるわけではない。
:局地の了見。悪意や醜態の塊というのは、書かずとも顔を上げればパノラマに広がっている。無尽蔵に湧くので、背を向けたとて回り込んでくる。
:気が晴れず億劫で、気配が煩わしい。かなしみの印象が、人の目を一瞬でも掠めるのはむごいことだ。
:片方は善悪の審議、もう片方は美醜の審議。人の話など聞きやしない。
:偽りにしか存在しない幸福が世には多すぎる。
:感情が揺り動かされたからといって、尊いものに出会ったとは限らない。人から発された感情に特別な思い入れを抱きたくなるのは、自分が捧げた感情の分だけ報いがほしいと思うからだ。
:化学を含め、他人の思想が何を述べようと、自分の感覚で得たものに勝る真実はない。頭で最もだと理解したようでも、地に根ざし感覚として最もだと感じないのなら、自身にとって真実ではない。たとえ証明されないことでも感覚を得たなら、それは自分自身の真実だと言い張る真の妄想だ。
:壁の内側を這わなくなったと思ったら、堂々と床や家具の影をかすめるようになった。本当はそんなものはいないはずだ。視界の端にどうして写るのだろう。自分の部屋は物が少なく、がらんとしている。かえってその空白が、蠢く何かを見せるのだろうか。
:依存を減らし、他人から労力を搾取しないようにしたい。そんなことを言っている間に、金を払って寄りかかったほうが世の中はよい顔をする。
:眠っているあいだに呼吸が荒くなる。苦しさに目が覚めると、口元が覆われていた。包み込まれることは不快だ。
:何を見て、感じ、考えたか、話さないようにしている。天気の話と同じくらい気軽にこぼしてみた時期もあったが、天気の話と違って自分自身が削れただけに思われた。
:精神の土壌が元からなければ、人はどんな感情も不快な思い出にしてしまう。なにげない一言が、耳に引っかかる。はっきりと言葉が意味を示さなければ、たとえ声色から真意が汲み取れようとも、無視という選択肢に自由が残っている。
:さびしいから友を求めたのか、人から後ろ指をさされるから友を求めて苦心していたのか、判断がつかない。友人がいないと見なされると、不快な状況に追いやられると刷り込まれていた。
:友人には、より友人らしい友人がおり、その人を友と呼ぶだろう。
:縁は繋がっても切られるもので、築く情はもろく、壊れても気付かれず、元々存在しなかったことになる。人伝に聞いた話や、創られた話の中で語られる情によると、そうならないようだが。
:誰かの願望か、祈りであって、現実にはない。
:弱った姿を見せるなら、ますます人は寄り付かないし、お情けの言葉をかけてくることもなくなる。
:関心を避けるよう仕向けている節がある。
:友情や信頼は素晴らしいと主張していれば、この世では無害と見なされ生きやすくなる。
:脈を打つことで生きている。人はリズムから切り離せない存在だ。そのような身体から発される言葉にもリズムがある。
:躍動を全身に刻む血が血潮と呼ばれるとき、波の連なりは人の形をなぞる。
:自分に秘密があると安心する。他人に自分の姿を都合よく妄想していてもらったほうが、煙にまけてよい。誰にも知るきっかけを与えずに人生を綴じよう。
:ものを数えられなくなってしまった。数がわからない。何をしたか覚えていられない。うまくやらなければ。
:妙な妄想が頭の中を回る。物陰に顔がある。壁を背にしていても背後を知らない人が横切る。息切れをおこす。地に足をつけていようと踏ん張らなければ、倒れて頭を打ってしまう。
:自分の好みは人の不快で、人の好みは自分の不快だ。これをあえて指摘しないのは共存のためのやさしさだ。言わないけれども、嫌いならば嫌いと思ってよい。誰かに配慮して溜め込んだ嫌悪に潰されるなど馬鹿らしい。嫌いだと感じることは否定されてはいけない。
:自分ができることは、人が幸せでいられるために身を引き、立場をわきまえ、距離を保つことだと思っている。他の人はともかく、自分は特別にそうする必要がある。
:どうしたらこれ以上、不愉快な存在にならずにいられるだろう。
:不快の塊のような人がいる。魅力はなく、見たくもないものが詰まった人だ。それでもその人を宝だと心から大切にする人がいるので、自分は遠慮なくその塊を葬り去ってよい、ということが嬉しい。
:侮辱の言葉は自身の姿が見るに耐えないことを自覚させるのに必要なものだった。
:すぐれた能力も何もない。本来なら言葉を覚える前に淘汰されるはずだった。
:たのしげにふるまうことはできる。たのしいと表現することをやめたら、二度とたのしさを表せなくなる気がする。笑顔が快さではなく、威嚇の意味しかもたなくなってしまう。
:自己から離れる。発される感覚から離れる。後頭部の高い位置から背後にかけて膨張し、境目がやがて濁り、鳥瞰のイマージュが存在を見つけられなくなる。
:どこにもいなくなってしまいたい。
:小さな嘘、たわいもない嘘を重ねる人を目の前にしたとき、自分の中にその人へ寄せる信頼が微塵もないことを笑いそうになる。表向きは滞りなく会話をし、無下にせず、にこやかに接する。だが笑顔の裏で、その人の私生活で困ったことがあっても、決して自分は心を痛めることがないと確信している。自分はこの人に向き合わない。知ってか知らずか、その人もそこそこの笑顔をこちらに見せる。醜悪な絵面だ。
:どこでなくしたか不明で、気がついたら手元になかったもの。腕時計、切符、ディナーナイフ、ペンシルの蓋。
:請うより与えよ、という。与えられたことのないものは与え方もわからない。与えている人を模倣して、そのうちに縒り集めた糸屑が、それらしくまとまることがあっても、形になることはない。だから、かなしい。
:身を引くことは卑怯か。居なければ臆病か。遠くから眺めていることを望むのは、人をないがしろにすることになるのだろうか。
:大勢の人が見つめていた。自分もそのうちのひとりだった。あちらとこちらで隔てられていた。あちらの人は「あなた達と、わたしは一緒です」と言うが、違う。一緒ではない。あちらの人々は一緒だと言わざるをえない。自分が、寄り添われる感覚を受け取れる人であったなら、その言葉であちらの人に親しみを覚えただろう。表情に靄がかかる。目が繊細に輝く。そうして見える、一抹のむなしさ。届きようがないと知っている目。沈黙を選ばずにいる。代償に抱えた、いくらかの諦め。世の全てが美しいわけではない。愛と思ったものが自分に傷をつくらせる。それを幸せだ、という。
:ただの精神的な依存先をまだ探していた。自分でどうにかしていかなければ理想は到底達せない状態であったにも関わらず、あまりに飢えていた。満たされようと行動したとき、自分自身を見放した。自分は遠くへいってしまった。二度と笑顔を見せないだろう。
:最も身近なところで虚偽、憎悪、加虐が常だった。耐えるだけで精一杯で、物語という身の回り以外で繰り広げられている非現実的な関係に心を割けなかった。関係の先にあるものを既に見ているので、関わりを肯定する行為を称賛しようと思わなかった。
:平凡ならば誰にも害を与えずに済むのだから、受け入れられるべきとでも思っていたか。
:この道で地獄をみていない。打ちのめされていない。受け入れられたことも、拒絶されたこともない。
:ふとした瞬間に感じる虚しさから、どう気を逸らしていられるか、戸惑う。この虚しさをじっと見つめても、浮かぶのは無為と幕引きばかりだ。生きるには、ある部分の感覚を鈍らせておく必要がある。
:流れてゆく思いを文字にする。誰もが持ち合わせている散漫な注意を、その逸れた流れを繋ぐ。書き留めると、景色は簡略、抽象化される。正確に伝えようとすると、装飾が煩い。
:隣にいるのが自分であればよい、そうあるべきだと考えていた。徐々に、自分の隣にいるのがどうしてこの人でなければならないのか、と疑問に変わっていった。望めば、触れようとしなくなる。本心を隠して、人が心地よいものだけを差し出したらよいのか。結局それが人から好かれる道か。好かれて嫌な気はしない。ただ、ずっとさびしい。人に寄り添おうと思う。けれども自分には誰がいるのか。たくさんの人がいてくれた。わかっている。それでもたまに、感じられなくなってしまうのだ。虚しさが自分の背後に立っている。
:あなたは痛ましくもさびしさを語り、自分達や周りにいる人を愛するように、と繰り返し言い続けている。何年経っても相変わらず、愛を感じにくいという。今まさにさびしいばかりでいる人への労りかもしれない。全ての人が満たされることはなく、さびしい人を置き去りにしないように、常にそう言い続けているのかもしれない。だが、あなたの本当の現実はどうなのだ。さびしさに変わりはないのか。誰より、あなた自身が十年、二十年と本当にずっとさびしいのか。少しは笑うときもあっただろう。ああよかった今だけは、と束の間の昂揚に身を任せられるときもあったのではないか。それでも、言えども示せども繰り返せども手応えがなく、さびしさを抱えたままなのかもしれない。あなたのやさしい言葉を搾取していることに、誰が気付いただろう。何人が親愛のしるしを無責任に眼差しにこめたことか。あなたは報いる。さびしいと言えない姿で以て。
:伝えたかったことを忘れてしまった。たくさんの言葉をもっているはずだった。それこそ溢れんばかりに。今はそれが伝えたいことだったのかさえあやしい。
:目がかすむ、焦点が合わない。ぼやけているのは文字だけではない。
:何も感じないように努力している。どうしようもなく胸が塞ぎこんでかなしい。理由もなく、苦しくて、耐えられないような気がする。自分はいつのまに、このように軟弱になったのだろう。二週間前か、一ヶ月前か。もっと前からだ。もう何年も塞ぎ込んで、それが普通になってしまった、そして普通からいよいよ異常へ身を崩しかけている。異常があらわになるときは、もう異常を重ねて跨いでいる。だから誰にも、本当の異常、最初のかなしみは知られることはない。隠されたままだ。
:大切な話は最も聞くべき人の耳に届くことはない。たとえその耳を掠めたとして響かない。
:いつまでも自己は統一されない。そもそも人は、統一された生きものではない。
:初めて会ったときに孤独な暮らしを望んでいるようだったので、てっきりそれが叶うよう人を避けて暮らす工夫をしているのかと思ったが、あなたは全くその逆で、人に囲まれていないと生きられない愛すべき人のようだ。あなたは人と関わることを求めているし、その生活に没頭しているように見える。毎日、たのしいだろうか。出会い頭に人を騙して、いくらか気分が落ち着いたかどうか、聞かせてほしい。
:書かれず、表現されなかったものに傾く。
:言葉を誰に向けて発しているのだろう。個人ではないのか。全体へ向かっているのか。その言葉は最後には自分へ向けたものか。矢印が内を指していると察知する人がいる。しない人もいる。察知したとしても、言葉に心を寄せて騙されていようとする人がいる。言葉を受け取るまでは、等しくやさしい振る舞いだった。
:自分が最も親しく、そして相手もまた自分と最も親しい。重要な折には、常に求め合う関係だと思っていた。しかし実際には違った。自分の相手だったはずのその人は、場における合理的な、時間短縮のためという理由で離れてゆき、別の人を選んだ。断りなく他の人の手を取った。自分は怒った。その人は困惑していた。そのときから自分は、その人と懇意でいられなくなった。ゆっくりと距離をとり、裏切り者に冷たくあたった。人を大事にしないから、あなたは冷たくされるのだと伝えているつもりでいた。その人がすがりついてくるはずもなく、縁は細り、やがて音もなく切れた。自分が味わっただけの痛みを思い知らせたいと思っても意味はない。自分は常にさびしく、だからこそ、その人に並々ならぬ感情を抱いていた。一方的だった。別れは、その人からすれば痛くも痒くもない。別の人と心地よい関係をたのしむだけだ。
:何かを言っても、あまり他の人には聞こえないようだ。複数で話す場合は特にそうだ。話を断ち切られたり、被せられたり、なかったことにされたりする。それなのに、しばらく経つと以前に自分が声にしたことが、今まで誰も口にしなかった新しい話のように会話にのぼる。自分ではない別の人が発言すると、人の耳に聞こえるようになっている。
:考えていることを言葉にしたら、人として扱われなくなると、なぜか思っている。
:人々からつまはじきにされたら、とても生きづらいことを知っている。だからか、希望を通すことに躊躇う。心に思っていることを口に出せない。表現ができない。涙はない。自分を知っている人に、実は別のことを考えていると言えない。知らない人には、知らないままでいてほしい。
:話をしたこと、自分を明かしたことは失敗だった。天真爛漫な愚か者ではいられない。沈黙が身を守る。
:恋と愛。いくらか自分に似た者への関心、つまりは自分への愛と関心。自分に対する別の解釈への期待。
:自分が関与している幸福が描けない。理想とする幸福に自分は存在せず、ただ人が安穏に暮らしている。自分が知らない人同士の出会いで、生が彩られている。思うにこれは、無責任な愛情だ。これ以上に差し出せるものがない。自分は幸福に組み込まれていない。
:愛というのは関わり方の同意を得て継続すること。愛しあうというのは方向を見定めること。愛は、その名のもとに、人を蹂躙する。
:たのしませる気は微塵もない。もし面白いと感じるならばそれは意図しなかったことだ。
:その感情は偽物だ。相手と同じ感情を共有しているのではなく、あくまでも似た感情が自身の内から湧いているだけである。線引きをすることだ。人は同一どころか延長にもなれやしない。
:理がないと好かないのではなくて、好いているから理を見つけ、通そうとする。本当に好いているのかと問う。無粋だが、思い巡らせることは並々ならぬ関心のあらわれであり、真摯に向き合おうとしている心持ちで、愛情そのものだ。
:もし理が未だわからずにいるか、あるいは今まで並べた理が相手から失われてしまったと結論づけたら、かの人を慕わなくなるだろうか。そうはならないと言いたいが、しかし。変わってしまった人を、なおも愛していられるのは、過去に得た余剰と、あてのない未来の前借りのためにすぎない。
:耳に心地よい言葉は、どのような形であれ人を傷つける。
:それがなんたるかを理解する者同士の間でしか交わされないものがある。
:信じると同時に存在しないものと思う。
:感情を許すとは、気持ちよい悪意である。
:自分の手を、生きて素晴らしく本物だろうと思い込んだのが不幸だった。
:よかれと思っているその態度が、人をいかに踏み躙っているか、なぜ気付かないのか。人を尊重すると言っていたが、実際にとった行動はその逆だ。相変わらず、人にだけ自分を受け入れることを要求し、本当はこうしたかっただの、こうあるべきだのと言って、一度も人の希望を聞き入れない。今まで片方が限界を越えるまで許容してきたことで、共にいる形をとれていたのだ。全ては片方の寛容さからだった。甘やかされて、分不相応な愛情を強要し搾取してきた。与えうる愛情は底をつき、二度と姿をみせることはない。そのことにいつまでも気付かない。
:素直さが覆われている状態が、生きてゆくことに繋がってゆくこともある。笑い声はつくることができる。涙も同じ。そのままの姿でいると、そよ風で身が裂ける。
:感覚を働かせる場を選ぶ。ときに嘘をつくことだ。自分に嘘をついて、宥めすかす。人にも嘘をついて、やさしさを示す。そうやって朽ちることも、美しい。
:喜び勇んで招待を受けた人々は、皆、どす黒い面で帰路につく。別れ際にその目に浮かべているのは、憐れみ、同情、拒絶。こんな人だとは思わなかった、もし最初から知っていたら来ようとはしなかったのに、この人はどこかがおかしい、これ以上は刺戟をしないようにして、早く距離をとらなければならない、自分の身の安全のために……。
: 何人も招いた。いつかは誰かが見誤らずに留まってくれる。それか、同志が見つかる。求められるより先に心を開く。無防備に。だから人は怖がるのかもしれない。自分も人が同じようなことを求めてきたら、最初は応えることを渋るだろうに。
:どこが愛だというのだ。源があると勘違いされている。愛ではないのに、人はこれを愛という。真実を塗り替えるために、声だけがもっともらしく響く。
:さびしげな人に、簡素な言葉をかける。どのような言葉も無駄になる気がする。どれくらい言葉を重ねれば、その人の苦痛をやわらげられるのだろう。言葉よりも強力な手段がいくつかある中で、どれくらい言葉に時間をかけたら、伝わるだろう。自分の言葉は軽薄で、時間がかかりすぎる。かといって、強引なやり方もできない。一言を積むよりも、よほど癒やしになる方法がある。知っていても、それは自分の役ではない。さしでがましいだろうが、助けになれたらいいと思っている。
:茨の美観を損なわずに、通る道だけを整える方法を延々と探している。
:笑顔。人びとの恐ろしい表情のひとつ。自分も笑顔を返す。そうして一瞬一瞬を潰すように過ごす。
:人の世で生きることは、なんと嫌なものだろう。楽しいこともあった。嬉しくて笑ったことも、情けに胸を詰まらせたこともあった。それでも根の方では生きることを肯定できずにいた。自分が生きているから肯定しようと努めてきた。そうしなければ、あまりに哀れではないか。
:生まれて苦しめと前人から吹っ掛けられたことに変わりはない。自分を生かしたのも前人だが、惨い人達だと思う。人の声を聞かない人達だ。そんな人々に囲まれて育った自分も、人の声を聞けない。
:卑怯だった。目の前の人に「考えた順番の通りに、そのまま伝えたのなら、後は受け取った相手が考えるのだから、恐れることはない」とよくも軽く言えたものだ。人には「話せ」と促すのに、いざ自分が話す手番になったら口を閉ざす。言い淀んで、疲れきって、結局伝えることをやめる。諦めてしまう。
:これは敗走だろうか。それとも、今までにとったことのない賢明な判断だろうか。
:ああ、人だなと思う。不思議だ。この人は、人であることに納得のうえで生きているのだろうか、それともただ息をしているだけだろうか。人は、己が人間であることに疑問を抱かずに生きているように見える。
:見分けようとしている。そんなことは無駄なことだ。必要のない詮索だ。
:臓腑を見た。同じ機能をもった臓腑をどれだけ等しく揃えていても、一式をまとめると不揃いになった。
:人々は、自分が相手をしている者もまた人である、と共同の夢を見ている。
:あの後ろ姿は、誰も寄り沿う人のいない背中だった。ある一面は、とても幸せそうに見えた。
:後日に知った。幸せそうに見えたあの姿は、装っていたのではなく、既に幸せを手に入れていた姿だった。あれはやはり、本物の一面だった。
:じぶん、自分と書き連ねた。そろそろ全てを断ち切り、幸せそうにしていようと思う。