2024



01.05
 一ヶ月前に「そのうち送る」と約束したことを未だに果たしていないけれども、私がしっかり覚えているので、「そのうち」の範疇だと思っている。もしこのまま私が忘れたら、嘘つきだと罵られるべきだ。幸いまだ誠実な人柄とされているが、不穏なことに、「そのうち」の目処が全く立っていない。かねてから計画性のなさは懸念されていた。ここにきて本領を発揮しているわけだ。碌でもない。よたよたと歩き出した年明け。



01.11
 中途半端な寒さ。



02.19
 ちらっと霊が見えるのは歓迎されない。これは一般的な心情だ。しかし時と場合によっては、霊のチラ見えも喜びをもたらす。見えるものが増える経験は、好奇心が充たされる。
 ただ、たとえ見えることに喜ぶ人間であっても、最初から両手をあげて喜ばないのは、その霊が見知らぬ人であり、自分に害をなすかもしれないという不安があるからだ。眠れなくなるのは勘弁してほしいし、理不尽な呪いも避けるにこしたことはない。生きていようが死んでいようが、自分のプライベートに礼儀もなく押し入られたら不快に思うのは当然だ。不適切なコミュニケーションをつづけて、いつまでも健康でいられる人間は少ない。霊が健全な親しい知り合いになってくれるなら嬉しく思うという塩梅が、生きている側にとって都合がよい。



03.12
 人に生まれてしまったからには、他者の力を介して生きてゆくしかありません。
 私が敬う人はとうに、人の世からいなくなりました。
 これを書くために使っている道具は、人が積み上げたものです。言葉もそうです。私は幾億もの人が過ごしてきた時間のおかげで、今を生きています。ありとあらゆるものたちに囲まれ、生かされています。私はそれらから受けた恩恵を返せずにいます。搾取をして生きているのです。罪悪感があります。生きていることに否定的なのです。かといって息を止めることもできずにいます。
 想像力が豊かといえば聞こえがいいかもしれません。妄想の世界に逃げ込みました。自分自身を痛めつける行為でした。しかし自己嫌悪ですら自分に構う行為だったので、自罰的であってもそれは慰めに繋がっていました。
 私は自分への愛を自分で試していたのかもしれません。
 自分自身を疑った末に、価値がないのだと自身を嘲ります。人生の片棒を誰かに担がせるなんてことはもってのほか、触らせてもいけません。過去に誰かが私に言ったように、私は頭がおかしくて、気がきかず、馬鹿で、精神の弱い、首をくくってしまえばいいような、そういう存在です。
 そうでしょうとも。
 私はこのように、自分を特別扱いしています。
 このようなことを一瞬でも考えない人が、幸せに笑って人と関わってゆけるのです。生命は、疑わないものを愛します。

 愛の善行を強制されるとたちまち反抗したくなります。善意というのは、やさしさの皮を隠れ蓑とした脅迫です。
 私が人にどのような態度をとるかは私の意思で決めることのはずですが、私が人にやさしくすることを当然すべきこととして指示をする人がいます。当人から直接要求があったのなら、まだやさしさも発揮できましょうが、第三者が私に取るべき態度を指示するとは何事でしょうか。なぜそのような介入をするのでしょう。誰かを喜ばせるために、他人を利用するとは。
 やさしくしてあげて、と他人から言ってもらえる人を憎く思います。嫌だという私の声を聞き入れない善人が、私を良心から引き剥がします。



03.21
 「電線に人がのっている」と言ってみたら同意を示した友人がいて、今はもう縁が切れてしまったが思い出の中で印象深い。海辺で波の間に立つ電柱の景色を学友と眺めていたときは、前触れなく寂寥とした思いに囚われた。現在はその海岸は封鎖されている。
 まっすぐでも斜めでもコンクリートでも木でも、電線に繋がれて柱が並んでいる光景は、人のしがらみに見える。彼らは私の頭上で手を繋いで黙り込んでいる。
 日本の道路を全て無電柱化するとなると、約二千七百年かかるそうだ。地中に埋める無電柱化は昭和六十一年から始まり、整備をすすめている最中だと謂う。二千七百年もかけていたら電柱は電柱としての役割を失って、地面に埋められていそうである。



04.22
 あれがない、これがないと人が云う。かつての言葉や態度を書き連ねることをしないのは、過ぎ去ったことをとうに諦めたからだ。もろもろの積み重ねは──積み重ねていると思っていたことは──糸を切るための積み石となっていた。
 他人を責めるときがあったとしても、最後には自身に向かって言うことになる。「そのようであることを選んでいたのは自分だ」と。
 どのような相手であろうと、敬意を忘れてはいけない。人間同士はもちろんのこと、動物の種類や生死の差が、不躾を働く判断要素になってはならない。
 生まれたものに敬意を払うことができているだろうか。そして未だ生まれずにいるものにも同じように。
 私は生まれずにいるものも尊重していたい。存在するものにしか幸福を見いだせないというのは不自由だ。



05.29
 まとめるまでもない短い話。

 まだ少女だったミヤは「懸命に務めさせていただきます」と私に頭を下げて言った。かぼそく聞き取りにくい声だった。拙いが、それでも私は雇うことにした。適正があるかなどは、どうでもよかった。務めると言っている。それだけで。
 ミヤは私が話しかけても目を伏せたままで、紺色の前掛けの前で重ねた手に拳を握るか、膝を少し折り曲げて声を出さずに返事をする。私は、はじめこそ声による返事がないのを不満に思い、ミヤにしつこく言い迫ったが、頑なに口を聞こうとしない彼女に根負けして次第に要求しなくなった。返事をしないこと以外は、ミヤは一度伝えたことは必ず守り、やり遂げ、忘れることがなかった。
 ある日、雇い人たちの部屋の扉が僅かに開いていた。内の光が廊下に漏れている。話し声が聞こえた。声の主は、数週間前に迎えたばかりの老婦人のものだった。ひとりごとかと思った。しかしどうも調子からして、他にも人がいる。話し相手がいるらしい。私は扉の前にそっと立ち、耳をそばだてた。
「旦那様の奥様、あの御方の顔色の悪さといったら。あれは気味が悪いですよ。昔のお写真を見せていただきましたが、今とは別人のようではありませんか。まるで土の下にでもいたかのような色です。病気かと思いますね。あの神経質さ、落ち着かなさ。どこか療養所でお休みになられたほうがよろしいのではないかと私は申し上げたくなります。というか申し上げたのですが、片側の口の端をね、こう、クイッと引きつらせて頷くだけで、ちっとも取り合ってくださらない。心配損です。何か大きな隠し事をしているように思えます」
 たしかに私の妻は、体調が思わしくないように見える。ただそれは周期的なものだと私は思っている。あれも何か甚大なことがあれば私に黙ったままではいないだろうから、話をしてこない限りは放っておいている。だがさすがに土の下にいたかのようと言われては、もっと気に掛けてやるべきかと揺らぐ。
 顎を撫でて思案していると、老婦人の声の後に、さやさやとそよ風のような掠れた声が聞こえてきた。
「……奥様はご病気ではございません。たしかにとても繊細な方でいらっしゃいますが、それはこの時期の旦那様を想ってのことなのです。三年前のこと、奥様は宣託で『いつか春の頃に最も大切なものが狂うだろう』と受けたのです。奥様はまさか旦那様がとお考えになって、それがいつの春のことなのか、季節が巡る度に気が気でないのです。春が過ぎてしまえば、また一年は大丈夫と胸を撫で下ろすことができます。あの御方は、夏は輝くように美しく笑うのですよ。旦那様のお心を乱さないように、静かに胸の内にしまっていらっしゃる。わたくしはそんなふうに耐え忍んでいるお姿を……あのように……憂いた横顔……それでも……」
 ほうとやさしい溜息の音がした。それを聞いて、私はこの娘を雇ってよかったと思った。



06.28
 部屋の掃除をして、疲れてしまって床に寝転がる。新しく設計したサイトの手入れをしなければいけないが、なんだかやる気がおきない、と書くとますますやる気がおきない。やりたくないので別のことに手を出す。回り回って、ペンを握る。



07.12
 定期的に更新を確認していたいくつかのブログが閲覧できなくなっていた。どうやら投稿していた本人がブログごと削除してしまったようだ。それらのブログは検索上位には出てこないが、考えていることがじっくり書かれたすばらしいブログだった。とても残念だ。諦めきれず、エラーが出ると知っても、たびたびそのアドレスに繋いでしまう。もしかしたらサーバーの一時的な不具合なのではないかと思い込もうとしている。いつか再見できるだろうか。



07.21
 自転車に乗って、その場所に初めて行った。山を幾つか超え、地図を片手に苦労して辿り着いた。着く前に日が暮れるのではないかと思った。公共交通機関が通っていない場所だと思っていたが、着いてみると電車が走っていた。二両編成の電車である。奥の秘境だと聞いていたのに、両方向に伸びる線路に私は目を白黒させてしまった。しかも秘境はしっかりとした観光地らしく温泉宿や足湯が至る所にあった。石畳も敷かれている。私はかなり遠回りをしてやってきただけだった。解せないなあと思いながらも宿に泊まった。
 そこの宿の主人は狐のような咳払いをし、夜になってみるとやはり人間ではなかった。おいそれの間に、顔のない浴衣の男や狸の団体、山風の客が宿帳に名を書き込み、宿は魑魅魍魎だらけとなった。
 まあそれはいいのだ。何が同じ宿に泊まろうが、別に私が食われる訳ではないのだから。
 私は坂の上にあるという露天風呂を目指して、桶と手ぬぐいを片手に出掛けた。日が暮れる。夜がきても、ここは温泉街ゆえに道に行燈が灯っており、迷うことはない。ただ奇妙なのは、夏なのに秋の虫が草むらで鳴いている。露天風呂には桜の花びらが浮いている。自分が知る四季に当てはまらなくとも、よい湯にはそんな常識は些細なことだ。
 翌日、私は自転車に乗って夕立に遭いながら、行きに通った道を戻り帰った。
 で、その温泉街にまた行きたいと思って行こうとするのだが、地図で見つけられない。一度行ったことのある場所だからと記憶を頼りに自転車で走りだすが、知った道に出会えない。地名を思い出そうとしても、思い出せない。たしか、『手』という漢字を使った名だったはずだ。うんうん唸って首を捻る。景色だけは覚えていた。あの場所に向かう途中の段々畑で揺れていた金色の稲や、山道で見上げた一枚岩から降り注ぐ滝。橋の脇に道祖神。木々をくぐって、ぽつんと立った電灯を右に、ゆるやかな坂を下る。澄んだ川に吹く冷気。こんなにもくっきりと思い出せるのに、いざ足を運ぼうとすると、その景色も霧がかかって頭から消えてしまう。そして離れるとまた見えるようになって、行きたいという気持ちばかりが募る。
 もう二度と行けないのかもしれない、と肩を落としかけたときだった。
「思い出した!」
 私はパッ! と目を開け、枕元の鉛筆を手に取った。そして脳裏に甦った地名を手帳に記録しようとした。
 これであの場所に行けるぞ! やった! 今度の休暇はそこへ旅行しよう!
 しかし書こうとした瞬間から、地名は記憶からさらさらと流れ落ち、いかに荒唐無稽な発想で夢の中の地へ旅行しようと意気込んでいたのか、押し寄せてきた現実の感覚に高揚は潰えてしまった。



07.30
 家を空けるときのために、昔、最も身軽だった引越のときに選んだ所持品を書き記しておく。


▼28㍑のボストンバッグ(1泊10㍑がサイズの目安らしい)に、貴重品・衣類・精神的なよりどころになるものを詰める。

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【貴重品】
財布(現金)
キャッシュカード・通帳
身分証明書(運転免許証・保険証・パスポートなど)
印鑑(実印・銀行印)
年金手帳

【衣類】(3日分。身につけている分を含む)
下着×3
肌着(春夏)×3
肌着(秋冬)×3
長袖シャツ×3
羽織り×2
ズボン×2
部屋着×1
靴下×3
靴×2
コート×1
ハンカチ×2
手提げ鞄×1

【その他】
スマホ
ノートパソコン
充電器(スマホ用・PC用)
ヘッドホン
電気膝掛け
日記帳
筆記用具(シャープペンシル・替え芯・消しゴム)
本(6冊前後)

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 身分証明ができれば、パスポートや年金手帳は再交付が可能。
 印鑑は変更の届け出を各機関に提出すればよい。
 お金があれば大抵のことは解決する。

 電気膝掛けは重宝した。冬の間、暖房の代わりに。夜は床に敷いて布団代わりに使える。


▼以下のリストは定住先で買い足した暮らしを整える消耗品と家具・家電類。

┌────────────────┐

【消耗品】
石けん
シャンプー
ヘアオイル
衛生品(薬や日焼け止め、リップクリームなどの化粧品)
トイレットペーパー
ティッシュ
絞れるキッチンペーパー
台所洗剤
トイレ洗剤
漂白剤
洗濯洗剤
ウタマロ洗剤
スポンジ
バスブラシ
サランラップ
ガムテープ
ゴミ袋
防災セット

【日用品】
歯磨きセット(歯ブラシ・歯磨き粉・フロス・洗口液・ショットグラス)
ボディブラシ
石けん置き
タオル4枚
爪切り
耳かき
浄水器
ティーポット
ティーコゼー
コップ
スプーン
フォーク
お椀
丸皿
ペティナイフ
フライパン(18センチ)
フライパンの蓋
マルチポット
まな板
ざる
おたま
フライ返し
大さじ
ちりとり
はたき
羽毛の掛け布団
薄手の毛布(ダブルサイズ)
ハンディシュレッダー
はさみ
ハンガー
ミニ裁縫道具(針・針山・糸・糸通し・糸切り鋏)
靴磨きセット(ブラシ・クリーム・布巾)
遮光カーテン ※窓を1枚で覆えるサイズ

【家具】
椅子

【家電】
シェーバー
冷蔵庫(冷凍庫つき)
洗濯機(ドラム式・乾燥機能あり)
ドライヤー

└────────────────┘

 羽毛布団などのシーズンものや防災セットを除き、家の中にある物は、ほぼ毎日、手に取って使う状態でありたい。
 これらがあれば自分にとって充分な快適さを保つことができる。それが分かっているだけで、何度でも暮らしを立て直せる気がする。



08.05
 パスタソースをきしめんうどんにかけてもよいという自由が私にはある。

 ミートソース……たらこクリーム……カルボナーラ……うどんはしっかり水を切ること。

 不思議と、そうめんにパスタソースは好みじゃない。麺が太いだけで評価している可能性が、ちょっとある。

 今日もうどんを買ってきた……どうしてフェットゥチーネを選ばないんだろう。



08.26
 世のどこかには、似た者がいるのだろうと思って、これを書くことにする。

 ……書くことにすると記しながら、もう記すことがないと思い始めている。
 どのように生きるかということを、誰に何を主張する必要があるのだろう。彼らも私も、とっくのとうに個々の人生に取り組んで生き、死んだ。 
 この文は、あるべき姿を鼓舞するためのものではない。不自然に折れた樹木のトンネルや、漂着した空のメッセージボトルのようなものだ。

 蔭に立てば、殆どの人には気付かれない。気配を感じたのか、目を遣ってきた人も、そこに見るのは暗がりばかり。何もないと判断すれば、やがて目を逸らす。
 無知と不寛容の茨を小刀で切り落とす。獣道の先の小屋で、暖炉にくべる。燃える火が照らすその姿の影に、静かに佇んでいる。これを孤独といって嘆き悲しむべきだろうか。



09.10
 縫い目や手触り、大きさの印象を知りたくて、写実的な造形の猫のぬいぐるみを購入した。イタリア製である。長毛種の猫で、おそらくペルシャのゴールデンと思われる。曖昧な理由は、輸入のアンティークぬいぐるみで情報がなく、ぬいぐるみの特徴と合致する猫がいないからだ。平坦なマズル、狸のような丸い耳、額に縞模様の毛が生えている。ペルシャに似ているが、琥珀色の目と毛色の組み合わせが、既存の品種に合わない。
 手元で見たことで、ぬいぐるみを作るときに注意を払うべき点が分かった。まず、あまりに造形がリアルだと剥製のようで、癒やされるような可愛らしさとは離れる。リアルであるがゆえに動かないことに違和感がでて、怖い。動きそうで動かず、落ちつかない。目に入る度に本物か否か判断を試されることになるので疲れる。そしてリアルであるからこそ、リアルにはないであろうモノとしての雑さが目に付く。毛繕いをしないがゆえの、体毛の乱れだ。違和感を覚えてしまう要素のひとつだろう。抱き上げたときの軽さと体の芯の硬さも、硬い厚紙に毛をはりつけているかのようであたたかみに欠ける。
 欠点を色々挙げたが、よいところも勿論ある。見た目については太い足とふさふさの尻尾がとても可愛い。やや不満そうな目と口元も可愛い。胸元から足下にかけての体毛の膨らみがすばらしい。うなじから腰、尻にかけての曲線もなめらかで、撫で甲斐のあるくびれをしている。毛の下で呼吸をしていそうな、自然なボディラインである。
 しかしどうも私がぬいぐるみに求めるのは、くったりとした重さと柔らかさらしく、このぬいぐるみでは満足できない。素材かデザインのどちらかでデフォルメをしないと、ぬいぐるみが得意とする安心感には繋がらない。今回の購入品は理想のぬいぐるみではなかったが、学びになるいい買い物だった。



11.01
 しばらくモノを考えずにいたら、あらゆるモノゴトを考えないで過ごすようになってしまった。考えないでいた日々を振り返ろうとしても、手がかりがない。
 直近の記憶がまっさらなので、数年前の手帳を開くことにした。大量の文章がそこには書かれていた。今の自分は、過去に顔向けができない。感覚を自ら率先して鈍らせたことを恥ずかしいと思った。
 それで手帳への書き込みを再開すべく、今年のはじめからめくって読み返してみた。何を書いたかすっかり忘れていたので、他人の記録を読んでいるかのような気分になる。この手帳の持ち主は、ひねくれ者だ。



11.22
 日中を怠惰に過ごすと、夜の夢がとんでもなく面白くなる。一日を取り返したい脳は、埃が出るまで私を叩く。あの手この手で繰り出される夢は、私の目に涙を浮かばせたり、にやにやと笑わせたり、恐怖に慄かせたり、ナルシシズムに浸らせたりする。
 夢はいずれ途切れる。ふっと目が覚めるときがくる。私は惜しむ。一瞬前まで自分は充実した世界にいた。だからすぐに戻ろうとする。眠りから目覚めた私の現実は、布団に横たわる自分にはなく、目を閉じて見える世界にある。
 目を閉じても、夢の世界はたったの一秒も待っていてはくれない。布団が現実みを帯びるなら、そのときにはもう遙か彼方へ消えかけている。まず追いつくことはできない。
 布団に取り残されて、たしかに真実だった世界を、思い出すことのできない思い出として懐かしむ。暇人の時間つぶしである。



12.31
 部屋の塵と共に、嫌につきまとう記憶も燃やせたらと思う。しかしそれをやると、危機を察知できなくなるのではないかとも思う。同じような状況に身をおかないためにも、必要な記憶ではあるのだ。渋々付き合うしかあるまい。