辻神



 目堂雅巳はカセットテープを再生した。古いものだが、黴もなく、あまり劣化もしておらず、全体的にぼやけた声が聞こえてきた。男の声だ。四十歳は超えているだろう。低く、やや畏まった調子で、誰かに話し掛けている。喉にものがつかえているかのような訥々とした喋り方で、聞き取る側も息が詰まる。途切れつつも声は続く。言葉をたぐりよせ、形にしようとする骨折りが男の喉を締め上げる。
 ざらざらと濁った音の中に、声は不明瞭に没する。天から覆い被さられたかのように音が途切れる。努めて聞き取った部分は、以下の通りである。


 ……かつてですね、ええ、ここいらの話でありますが、わたくしどもが先ほど通って参りましたあの、竹林の三叉路に石像があったのを覚えていらっしゃいますか。
 そう、エ、かろうじて頭と胴体かと見えるくらいの、枯れ木に穴が空いたような、積み石のような、あれです。
 はい、おっしゃるとおり人が作った物でして。あれはですね、ここぃらに昔、よく現れたものを象ったと、わたくしの母が、そのまた母から聞いております。
 元の姿ですか。あれはそのまま……本来の姿らしいということです。わたくしは元となったものを見たことがありませんから、絶対にそうだとは申し上げられませんが。しかし話を聞いた様子では、あの石像の通りの姿で間違いないでしょう。まこと造られた当初のまま、表面に小さな穴が空いていたり、周辺が苔むしたりしているところ以外は、わたくしに物心がついたときから、もう何十年と経ちますが、石像は変わった様子がないように思います。
 まめまめしい管理はされていないはずです。もし手入れをされていたら、あのように心寂しげではないのではありませんか。
【※ざりざりと布を擦るような音】
 あの形のいきものをご存知でいらっしゃいますか。いきものとは何ぞやと思われましたか。首を傾げなさる。
 地蔵であれば、変哲もない、ありふれた道祖神でしょう。しかし、いきものと云われております。何だと思いますか。竹林に現れそうないきもので、おぼろげに胴と頭が分かれている、人間の姿に似たいきものです。
【※話し相手らしき声】
 はい、川獺。川獺ね。たしかに立ち上がりましょう。エ、筍の奇形? 筍は歩きません。【※ぼやけた笑い声】
 河童。近いかもしれません。河童でしたらどんなにか説明しやすかったことか。いや、しかし近いことは近いのです。ただ、川獺や河童のように古今東西にはいないでしょう。
 正直に申し上げてしまいますと、ここらの人間もよく分かっておりません。
 ……あのいきものは、見分けがつかないらしいのです。何と言いましょうか、ここらを行き来する者達が、たまに、ごく稀にですよ、見かけたらしいのですが、わたくし達とそのいきものとの見分けが、あれです、どうも似ている。出会ったときは人だと思っているのですが、家に帰って思い返してみれば違ったかもしれない。普段は見かけない人の雰囲気ですし気味が悪いと思って……けれども、自分達と同じ人間のようだから、「あの人、あそこで何をしているのだろう」と目に留まるわけです。
 疲れた人の幻覚だとか、色々と言う人がいますが、あまりに証言が多いもので、老若男女、耄碌も頭のはっきりしたものも隔てなく、ぽつりと口に致します。ひとりの作り話に便乗しているわけでもなさそうです。そこが嫌ァな感じだと、わたくしは思っています。
【※しばし沈黙】
 ……どんなふうに出会うかといいますと、この話を先ほどの分かれ道でしなかった理由でもあるのですが、わたくしは怖がりでして、すっかり信じていますから、ええ、近所の、名前は伏せますが、住人から聞いた話です。
 話してくださった方はもうお亡くなりになりました。わたくしが話を聞いたときに、その方はお歳を召しておりました。結婚したばかりのときの話だと言っておりましたから、もう八十年は昔のことかと思われます。
 あの三叉路で、家に帰る方向に曲がったときのことです。天気は思わしくなく、曇りで、激しい雨が降る前兆の、冷たい強い風が吹いていました。うす暗い道中です。竹林から枯れ葉を踏むような音がしたそうです。
 おや、誰か知り合いかなと顔を上げますと、竹林の奥に見知らぬ人がいる。なんだ、筍採りか、と知らぬ人を不審に思いながらも、相手が本当に危ない人間であったなら分が悪いと危ぶみ、声をかけることもなくそのまま家路を辿ったそうです。家に帰ってからもしばらく、肌がぴりぴりと緊張し、夕餉も風呂も、心ここにあらずで、布団に入るときに、はっと気付いたそうで、筍採りと思ったけれども、籠や道具はあっただろうか、と。よく思い返してみれば、ぐらぐらと体を揺らして不可解な挙動だったかもしれない。なぜそのようなはっきりしないものを放ってきてしまったのやら、もしかしたら具合が悪く、助けを求めている人だったかもしれないというのに。しかしそのときはどうでもいいと思ったので、放って帰ってきてしまった。人に親切にして生きているつもりだったけれども、自分は根っこが冷たい人間かもしれない。だがあれは人間じゃなかった。そもそも腕も頭もなかった。
 ……亡くなる直前まで明るくて気のいい爺さんでした。ただ、この話をするときは淡々と、笑顔もなければ、それ以外の如何なる感情も顔に浮かんでおらず、幼かったわたくしは、それが怖くて仕方がなかった……。
【※くしゃみのような破裂音】
 どなたからも、あれが向かう道を塞ぐように出てきたとは聞きません。姿を見、どこの人かと怪しみ、その場を去ったあとに、これはおかしいと嫌に思う──そういう語りの型があります。
 もうひとつ話を致しましょう。
 窓の外をご覧ください。向こうの、明かりの点いた家がありますでしょう。そう、三つほど連なっている……あの左側の明かりのお宅です。お住まいのご婦人が見たという話です。三十路のご婦人ですよ。明日にもこの話は本人から聞くかもしれません。会う人、会う人に喋るものですから、あの人の楽しみを奪うようで心苦しいですが、遠慮をする必要もないと思いまして、ここで聞かせましょう。あの人に捕まると長いので、逃げたほうがよろしいかと思います。三叉路のものも恐ろしいですが、あれもわたくしには恐ろしい。
【※笑い声】
 雪がちらつく冬の日の朝、親戚の家に向かう途中で、ご婦人は足早に歩いていたとのことです。三叉路を抜けようとしたところで背後からぎゅっぎゅっと足音が聞こえ、自分と同じように小走りの、せかせかした足音で、それまで一人で歩いていたと思っていたのでちょっと驚いて、つけられているんじゃなかろうかと不安になったわけです。
 明るいとはいえ、ひとけがなく……足は止めぬまま首だけ振り返ると、やはり後ろに人がいた。そんなに背は高くありません。大きな布を頭から被っていて、顔は見えませんでした。人相が分からないというのが、追い剥ぎめいていて嫌ァな気分です。まっ黒な布に雪がぽつぽつ、菜の花みたいに積もっているのは可愛かった、なんてご婦人は気丈に言うのですけれど。布の柄が、などと見る余裕があるところが、あの人らしい。
 ご婦人は物怖じせずに、威嚇をする気持ちも込めて、立ち止まって言ったそうです。どちらへお急ぎですか、と。先手必勝で言い放ったんですと。そうしたら布かぶった人が、その場にびたあっと立ち止まって……ちょうど三叉路の分岐の場所に。
 止まったけれども、黙りです。返事をしないなんて失礼な方だと、ご婦人は気分を害すると同時にそこはかとない不気味さを感じたそうです。その不気味さは、不審者に襲われるかもしれないという怖さとは別のものでしたと。
 いざという時は、目を狙おうと身構え、暴力には暴力で応える気でいても、相手はそういう雰囲気ではない。もう無視して早く行ってしまったほうがいい。相手と距離があるうちに、と駆け出そうとしたときです。そいつがね、
 いと
 ををいと
と。もあっと口を開けて喉から鳴くような、ふくよかで、もたもたした声で繰り返すんですって。もう、ウワァと思いますでしょう。
 ご婦人は慌てて走り出して、そいつが追いかけてきやしないかと振り返ることもできずに、とにかく他の人がいるところに逃げた。結局追いかけてはこなかったみたいです。
 屋内に入ったら冷静になって、あの人、立ちん坊で、ふらふらっと揺れて、頭が少し、言い方が悪いですけれども、問題があったのかしら、とご婦人は思いもしまして。あとで親戚の者と何人かで見に三叉路へ戻ったらしいのですが、もう誰もいなかったという話です。周辺で似たような人を見かけることもありませんでした。
 ご婦人は、それが黒い布を被っていたことは覚えているのに、他は全然思い出せないそうです。声まで聞きましたが、男か女かも分からない。不思議がって、声がね、変だってとにかく言うんです。何と表したらよいか、声質も妙だけれども、それよりも声が裏から聞こえた気がする、と。それはこちらに向かってきて立ち止まったはずですが、声はご婦人の方ではなくそれの反対側、それがやってきたと思われる方向に発せられていたような、声が聞こえるわりに、こちらに響いてくる感じがしなかったということです。わたくし達からしたら、頭の後ろか背中に、口や喉があるということでしょうか。捻じくれていなければ、体の後ろに声を飛ばすことなんて、ないはずです。
 ……あとは子供の話ですね。あまり信憑性がない気もしますが。
 え? や、面白がって尾ひれをつけることもありそうでしょう。針小棒大に言ってみたり、興味を引こうと嘘を混ぜてみたり。わたくしが子供の頃はそうでした。自分も、周りも。
 しかしまあ、こういう話だけはどうも感情がのってしまって難しい。すぐに、怖い、怖いと気持ちが急いて、なんとか伝えようと思い詰めるせいで、何と申したらよいのか、危うくなります。はあ。
【※しばし沈黙】
 子供がねえ、言うことには、竹林の中に何かいるんですと。大人は皆、道に出てきた、あるいは道に佇んでいるのを見ているのに、子供の話は違います。子供は竹林の中だって言うんですよ。わたくしは、筍とか葉っぱの揺れとかの見間違いが殆どじゃなかろうかと思いますけども。中だ、中だって……。子供はね、人間だって言わないんです。人みたいだったとは誰も。変なのがいた。それだけですよ。あ、ちょっと吐き気がしてきた。やっぱり怖い。涙が、鼻水が。ちょっと、うん。失礼、失礼。
 え、戻りまして、まだ起きていられそうですか。じゃあ続けますか。何だったかな。ええ、子供でしたな。竹林になにかいるってことで、いろんな子が口々に言うものですから。子供らが言うには竹林の中で立っているんですと。でも人間じゃないんですと。立っていると分かるのに。
 大人はねえ、あれはとりあえず人間だって思っておりますが、子供が云う人じゃないってのは、何なんだって話ですよ。動物を指しているのではないかって……でもねえ、分からないですね。お化けとも言わないんですから。いっそ言ってくれたらよかったのにね。
 現実的な問題で、変質者をね、放置しておくわけにもいきませんから、警戒して大人達で竹林の中を探り歩いたこともあったんですって。あまりに皆が三叉路のことを話に出すので、何かしらやっておかないと、ことが大きくなりそうだったのでしょう。しかしまあ結局、その誰なんだか人なんだか分からない奴は、捕まらなかったようです。
 そうしましたら……あの家の倅に、なんとかしろ、祈祷でもお祓いでも、インチキでもなんでもいいから、と言いまして、石像が建った。それ以降からだんだんと見かけなくなりまして、今では新たに見たという人はおりません。なんでしょうね。本当に、なんだったんでしょう。
 猿でも川獺でも天狗でも……河童でも、会おうと思いますか。人だろうと、よく分からんものに出くわすのは、まったく個人的な状況で起こるものです。ですから、わたくしは誰かと一緒でないと、あの三叉路を通ろうと思いません。ちゃあんと、明日お見送りした後は、家内に迎えを頼んでおりますくらいです。
【※咳払い】
 まァ、こんなに怖がっていましても、話すのは好きです。気が紛れますから。わたくしだけが知っているのではないと思うと、心強い。そういうものです。


 その後は、さらさらと砂が流れるような雑音しか聞こえてこなかった。目堂は溜息を吐いた。路の角から、その妙なものが飛び出してこないのならば、まだ心臓がもつかもしれないな、と思った。