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目録







鳴る丘



ふいごの樹はムッシュのお気に入りで
ムッシュは瘤によく腰掛け
枝をしならせている。
ムッシュの灰色の毛はやわらかく
手指の先まで包むように生えている。
ムッシュの手が枝を揺らすと
枝の先に連なった緑や赤銅色の小さな鈴の実が膨らむ。
熟れて鈴の底が滴の形に垂れる。
ムッシュはその鈴をもいで
地面に転がす。
ちりんちりんと鳴りながら
鈴が丘を転がってゆく。

人々は転がってきた鈴をはっしと捕まえて
両手に包んで どこかへゆく。
鈴の音が消えるのを
ムッシュは耳を澄ませて聞いている。

鈴はたくさん実っていたが
やがてムッシュは手を止めた。
両腕を垂らし
一番多くの鈴の音が消えた方向へ
歩き出した。

しばらくかかって
ムッシュはふいごの樹に戻った。
再び枝をしならせた。
そして よくよく耳を澄ませた。

今 丘に吹く風は
ただひとつの方向を除いて
鈴の音が聞こえる。
りんりんと とてもよく。

休符



 薔薇を見に行きませんか。
 その人は珍しくRを誘った。気取らぬものいいで、Rは聞き逃しそうにさえなった。その人が貸してきたばかりの、デンマークの画家の画集を一枚ずつ、めくっていたところだった。日が差している、背を向けた女がいる、机と椅子だけの禁欲的な部屋に──そのような絵だった。絵の中のほうが、カーテンを閉めきったこの部屋よりも明るい。画集の外が暗いので、ぼんやりと絵が浮く。その人はRに画集を渡したきりでカンバスに向き合ったので、部屋にはしばらく、本の頁が捲られる音だけが淡々と染みていた。
 屋上の薔薇ですか。
 Rは聞き返した。
 その人は絵筆を止めずに、またいつまでもRの方へと顔を向けずに、いいえと言い、古い庭園の薔薇ですとつけ加えた。Rは画集から顔を上げ、その人の横顔に目をあてた。
 その人の頬は太陽を知らないのだと言っていた。青銅器に白土を塗布したような、濁りのある色をしている。脇机に置かれたランプがその人の手元のパレットや布巾、水の入ったバケツをささやかに照らしていた。カンバスの裏にはフロアランプがあり、光を絞って灯されている。その人の手は二つの明かりを通い、カンバスの余白を埋めつつあった。頬の色は半ばRの想像の中で白さを保っていた。
 Rは自分の予定を思い返した。規則正しい仕事が基で、就業してから数年が経っていることもあり、慣れて年間のおおよその予想もつく。同僚は休日も副業だと言っていたが、Rは必要を感じていなかった。何か溌剌ともしないが、時間のおおらかさがRに四季の流れを穏やかに感じさせていた。予定を入れられる余裕は充分にあった。
 だが今まで、その人と共に出掛けることなど一度もなかった。知り合ってから、ある年は一年に一度しか会わずにいたし、半年に一度、多くても四ヶ月に一度、どちらかが思い出したかのように、ぽつりと会う。時間を空ければ話題もほどよく結晶する。Rは数える程の日々から、その人の習慣を多少は知った。
 たとえば某日、Rが昼間にその人の家を訪ねた時には、不用心にも玄関の鍵が開いていた。その人の住まいはスキップフロア型マンションの六階にあった。エレベーターは奇数階にしか停まらない。七階までエレベーターで上り、内階段で一つ下るか、地道に下の階から階段を上る。内階段は偶数階に住む住人しかほぼ使わず、そのため奇数階と比べると、奥まった印象がある。六階には二つの玄関があり、両方がその人の住まいだったため、なおさら他の住人が内階段を通ることがなかった。
 Rは恐々と玄関から奥を覗き見た。声を掛けても返事がない。留守かと思うほどに物音がしなかった。仕方なしに部屋にあがると、卓上に書き置きを見つけた。《買い物を頼みます》とあり、《寝ております。起こさないでください》と注釈も記されている。その人は自室に閉じこもっているらしかった。Rは書き置きを手に取った。画用紙を千切ったらしい切れ端である。反して裏面を見ると、品目が連なっていた。その人を起こす急務もないのだから、Rは書き置きの通りに買いものを済ませて戻った。不思議と嫌にならないのは、文字が丁寧な楷書で書かれていたからかもしれない。
 日によって、書き置きの内容が《台所のごみ袋を捨てておいてください》《ベランダの鉢植えを屋内にいれてください》となっている。どれもRがその人に細々と質問をせずとも済ませられる用事だった。これがあるから、その人から、手土産は気にしないように、と言われた時も、遠慮のない素直な要望と聞こえ、また要望を叶えれば逐一その人から感謝をされるので、一点の曇りもなく引き受けられた。
 ある日の書き置きはこうである。《ラムケーキのために。砂糖と卵を買ってきてください》。いつもの通りに材料を買ってくることまではRに一任された。帰るとその人は卓上に道具を並べていた。調理となると、その人は必ず部屋から出てくる。ラムケーキではなくとも必要な道具はあらかじめ並べられ、片づけもその人が行う。まるでRが戸棚を勝手に開けることを避けるかのような分業の仕方だった。
 見られて困るものが戸棚に隠されているのかとRはその人が寝ているうちに戸棚を開けてみたことがある。戸棚の中には何かがあるどころか何もなかった。Rはその隣の棚も開けてみた。何もない。ほとんどの棚が同様であった。仕舞われていたのは、せいぜい空き瓶と小麦粉の袋で、手に取る価値もない。今まで使ったことのある調理器具さえ、そこにはなかった。
 Rは詮索を止めた。たとえばひとつの棚でも乱雑に物が詰め込まれていれば、暮らしの最もらしさを嗅げる気がしたが、当てが外れた。後に起きてきたその人に、Rは居心地の悪さを覚えた。以来、Rは自分の道徳に従って、他人の私生活を暴くような真似は控えていた。
 すると自然と興味が薄れ、その人との関係は何度顔を合わせても変わらなかった。だからRが自分の私生活をその人にわざわざ教えることもなかった。その人は家に居、Rは要望を叶え、みだりに私生活を訊かない。Rにとっては、その人に会うことは自分の身近に絵描きがいないので、筆を運ぶ姿を眺めるのが面白い。完成したらしい絵が、部屋に増えたり減ったりするのも、不思議な光景に見える。Rが作品を眺めることを、その人は厭わない。その絵はソファから見てくださいと言う。ひっくり返してもかまわないと言う。大きな作品を捨てたと事も無げに言う。Rが眺めている横で、適当に本を読んだり、水を飲んだりしている。
 笑い合うなら親しい友人が別にいる。だが笑わずに済ませて、互いの仲が良くも悪くもならず、契約を結ぶでもなしに成立している相手はなかなかいない。
 庭園はいったい何時間をかけて歩くのか、出掛けて面白いのか、Rは量りかねた。余計なものにかまえるだけのゆとりが、Rに返事を躊躇わせていた。
 その人はRが返事に迷う間、絵筆を水の入ったバケツに入れて洗っていた。庭園へと誘ったことを忘れて作業に没頭しているように見える。水をかき回し、布巾で筆の先をぬぐう。また水の中に同じ筆を入れる。布巾に毛先を押しつけて水気を切る──絵を描かぬRにも、長く置きすぎると思えるくらいには、しつこく。
「いつ行きましょうか」
 とRは言った。
「来週の末はどうですか。夕方から」
 その人はようやくパレットへ筆をのばした。

 翌週末、日暮れにRはその人の家を訪ねた。呼び鈴を鳴らさずに玄関を開けようと把手に手をかけ、しかし考え直して呼び鈴を鳴らした。
 その人はすぐに出てきた。レンズに色のついた眼鏡をかけている。前髪が垂れ、顔に影を落としていた。まぶしげに目を細めている。煉瓦色のセーターと黒いトラウザーはRの記憶に残らぬほど見慣れた組み合わせだった。
「あと十八分待ってください」
 とその人はRを玄関に招き入れた。
 Rは玄関に置かれた椅子に座った。出会い頭に僅かに身構えた自分を落ち着かせようと、下腹の上で手を重ねた。のけぞって壁に背をあずける。ぎこちない心地がするのは、なじみのないことをしようとしているからだと断じた。Rはいつもと変わらない服装でやってきた。ただし靴だけは少し上等な一足を履いてきた。
 身支度のためか、Rを玄関に入れたその人は部屋の中に戻っていった。Rは手持無沙汰であるなりに、壁をぼんやりと眺めた。粒子が見えるようなざらついた壁紙である。その粒の迷路を無頓着に縦断すると、一足、黒い革のローファーが目にとまった。よく磨かれてはいるが、艶は控えめで、シボがくっきり刻まれている。Rは足下を見比べ、自分の靴が見劣りしないことを確かめた。
 しばらくして
「そろそろ行きましょうか」
 とその人が現れた。前髪をかきあげて額を出していた。きっちりと櫛を通して整えられている。日除けのなくなった目が明るかった。
 二人は玄関を出た。その人が鍵を掛けるのをRは見た。
 外は涼しげな風が吹いていた。不躾な辻風とは違う。真冬の威嚇するような風とも違う。意思のない風である。服をいたずらに遊ばせず、通りすがりにただ気付いた者だけに、すっと息を吸わせる。自分の体温が夜風にはあたたかいことを密かに知らしめてくる。
「いい夜です」
 とその人は空を見上げて言った。綿を千切って広げたような雲が空を覆っている。星は隠れており、月の形も朧である。天と地の間は透いて、薄曇りの空が細やかに見える。だがRは月が大きく丸く見えれば見えるほど良いと思っていたので、同意しかねた。そこで
「こんな時間でも開園しているなんて、珍しい庭園ですね」
 と話題を転じた。
「今だけです。薔薇と紅葉が最も美しい時期ですから」
 とその人は言った。Rが知っているのは桜と藤、紅葉の咲き頃くらいだった。いつも道の脇や川辺に咲いているのを横目に見るくらいで、花が咲くことは時の流れを知らせる合図でしかなかった。
 薔薇は香りが……とRは言いかけて先が続かず、気を取られたかのように枝道を見た。間を持たせられず、
「毎年見に行っているのですか」
 とRは訊いた。
「気が向いた時には」
「昨年は?」
「行きましたよ。一人で」
「庭巡りが趣味ですか」
「うん、まあそういうところもあるかもしれません」
 そろそろ角を曲がるだろうと予感していても、曲がらない。Rは庭園への道のりを頭に入れてきたつもりで、ほとんど忘れ、おおよその方角だけ見当をつけていた。今度こそ、あの突き当たりの階段を上がるだろうと見据えていると、その人の足は横へ向きかけていたが、階段へとつま先が向いた。人とすれ違うために二人は前後に並び、しばらく会話が途切れた。
「よく行くところはありますか」
 とその人は階段を上りきってからRに訊いてきた。
「どうでしょう。ここだというところはありません。家と職場の往復ばかりです」
 Rは日頃の記憶をたぐった。
「たまに最寄り駅の手前で降りて、普段は覗かないような輸入食品の店に行くことがあります」
「へえ、輸入品」
「はい。オイルサーディンの瓶を気に入っておりまして。大体の店では缶詰めで売られていますが、その店では大きな瓶で売られています」
「おいしいですか」
「今度買ってきましょうか」
「寄ることがあれば」
  Rは話の流れで自ら申し出たことをやや面倒に思った。後先を考えずについ張り切ってしまう性質は生来のものだった。たとえ相手の願いが控えめでも、頼られると弱い。必ず買っておかなければ、とRは覚えた。
 二人は黙々と歩いた。
「そこの道を右に」
 とその人が言った。
 庭園の門が見えた。数名の来園者が門に入っていった。Rは自分の右手にずっと見えていた塀が庭園の囲いであったことを知った。
 その人はRより先に門を通り
「入園券を二枚ください」
 と蝦蟇口の財布を開いた。Rが財布を出そうとすると、いいから、と手で抑えるふりをする。その人の手の中にあった蝦蟇口はころりと小さかった。軽い散歩ですから、ちょっとお供をして参りました、というような小ささに、Rの遠慮が引っ込んだ。
 石畳の道を進むと、薔薇園が見えてきた。低木の根元に明かりが置かれ、薔薇を照らしている。狭い道に見物人が並んで順繰りに見ている。
「賑わっていますね」
 とRは言った。見物人の列は蛇行してゆったりと流れていたが、ほとんど数珠繋ぎであり、右や左に向きを変えようにも、立ち止まる者がいると道が詰まって、どうして進めないのだろうと首を伸ばす者がいる。
「少し空くまで、他を見て回りましょう」
 その人は明かりの少ない道へ歩き出した。
 石畳の道が砂利になり、堅い土に変わった。鬱蒼とした木立が頭上に覆いかぶさる。敷板がところどころにある。Rは暗がりに目が慣れず、足下を気にしてばかりいた。椎の実が落ちている。
「子供の頃に」
 とRはその人に話しかけた。その人はRよりも一歩先を悠々と歩いていたが、Rの声で歩調をゆるめた。
「こういった木の実を集めることが楽しいあまり、やたらと拾ったことがありまして」
 その人は敷板をしっかりと踏みわけ、樹上を見上げた。夜目がきくのだなとRは思った。自分も慣れてきて、足下以外にも目を向けられるようになってきた。
「竹籠に蓄えて、床の間に飾っていたのですが」
「うん」
「ある日、障子を開けたら、勝手に畳の上に散らばっていました」
「え?」
「どんぐり虫が」
「ああ……」
「あれには参りました」
「どうしましたか、虫のほうは」
「塵取りで集めて軒下に。実も慌ててばらまきました」
「なかなか怖い話です」
「怖い話ですよ。部屋に虫を湧かせたら親にも叱られます」
「飾るまでは許されても」
「ええ」
 薔薇園はとうに見えなくなっていた。石段を二人は下った。靴が柔らかな土を踏んだ。湿っぽい風が鼻に届いた。木立を抜けた先に水の気配がある。
 積まれた大きな岩が土をおしとどめていた。人々が踏み固めた地面が草と土に境界線を引いている。薔薇園から流れてきたらしい人がちらほらと居た。花がきれいだっただの、種類が多くて勉強になっただの、夜の庭は幻想的だのという似たり寄ったりの歓談と二人はすれ違った。黙っていたのは若い恋人達で、男が女の肩を抱き、乱れてもいない女の髪を撫でていた。Rはできるだけ女の顔を見ないよう、目を紅葉や自分の先を歩くその人の踵に向けた。
 足音が変わった。二人は飛び石を踏んで、池のほとりに出た。
 暗い池だった。水面が緑色に沈み、のっぺりと広がっている。石橋が小島を挟んで池の対岸へと繋がっている。欄干のない、一人だけが通れる幅の橋である。池の中央には小振りな松の木が立つ離れ小島がある。池を周遊する人々が、水面に枝を伸ばした樹木の下で黒く塊になっていた。滝の音が聞こえる。Rは音の出所を探したが、今いる場所からは見つけられなかった。その人は水際まで寄り、後ろ手に腰を僅かに曲げて池を覗き込んだ。
「何かいますか」
 とRは訊いた。妙に間が空いた。
「いいえ、この池には何もいません」
 とその人は姿勢を変えずに言った。そして
「生きものがいると波紋ができますから」
 と続けた。Rは池に近寄った。その人は水面を覗き込んだままで、Rに水際を譲る様子はない。その人が立っていたのは迫り出した岩の上だった。辺りはぬかるんだ土で、短い草が生えている。Rは背後に人の話し声を聞いた。老夫婦と思しき声だった。紳士が
「俺はあっちを回ってくる」
 と言った。
「そう?」
「滑るぞ」
「大丈夫よ、これくらい」
 Rは婦人に道を譲ろうと岩に足をかけた。
「あら、どうも……」
 婦人はRに会釈をした。Rは婦人が通るまで、片膝を曲げて体を傾けていた。婦人は自分の足下を注意深く見ながら石橋を渡っていった。
「もう一組来ます。先に渡ってはどうですか」
 とその人が言った。岩は成人が二人とも乗れるほど大きくなかった。その人はいつの間にかRに体の正面を向けており、Rとほとんどぶつかりかけていた。
「ああ、すみません。ではお先に」
 とRは言い、石橋をさっさと渡った。

 夜風が頬に冷たかった。生臭い水のにおいが混じっている。Rは橋を渡った先で、次にどこへ向かおうかと二手に分かれている道を迷った。片方は小さな山につづき、先がどこに繋がっているのか見えない。もう片方は池の縁を回るようである。この池が深いのか浅いのか、見た目からは判断できずにいた。風でさざ波がたっても、沈んだ色のまま光を映さない。藻らしき膜と、落ちた紅葉がのろく水際のくぼみに寄り集まる。月明かりも侘しい。開けた空に、庭園の外の中層集合住宅が見える。家々が見えても、庭園は鬱蒼と暗く、先を知らない林に入っていくことは少々躊躇われた。
 Rは石橋を振り返った。その人はまだ岩の上に立っていた。見知らぬ人と、話をしているらしかった。その人の口元が笑った。Rは途端に滝を探す気になり、水の音の聞こえる方へと歩き出した。
 滝はすぐに見つかった。石橋を迂回して通る道の半ばの、奥まった場所にあった。滝の手前に、竹を一本横に置いただけの柵が張られている。滝壷に叩きつけるように水が落ちていた。庭園の規模を基にすると瀑布である。流れ落ちた水は細い小川となって池に注がれている。Rは滝の縁に近寄り、滝口を見上げた。飛沫きが飛んでくる。靴が濡れたがかまわなかった。水のにおいは生臭いが、庭園を巡るのはよい趣味になりそうだとRは思った。ぼんやりと眺めるうち、滝口へ上る道をRは発見した。Rの足は勝手に階段へ向いた。木深く、ほとんど土に埋もれている階段は半端な高さで、足をひっかけないよう用心しなければならなかった。
 滝口から池のほぼ全景を望めた。見渡す限りでは、人の影はもう消えたようである。こちらは薔薇園と比べて催しもなく夜は足場が悪い。となれば閑散とするのは当然に思われた。足下ではただ滝の打つ音がする。Rの呼吸は深く静かなものへと変わっていった。池は草木の狭間に沈潜している。膝丈ほどの草むらが滝の落ちはじめまで赴かないよう足止めとなっている。繁る木々の枝が風をやわらげる。
 庭は大自然の縮図だった。山があり、滝が流れ、川を下り海が広がる。海原には島が浮いている。木々は霞である。Rは自分が歩いたことのある土地は、眼前の景色と似たように霞で囲われた限られた地だと思った。虫の声がRの感覚をますます狭めた。これが自分の世界の全てか、とRは針小棒大に考えた。
 そこでふと、気が付いた。池の全景を望んでいるが、あの人が居ない。石橋はとっくに渡ったようである。池の外周に目を凝らすが、遠くにもそれらしい影は見えない。どこへ行ったのだろうと思った。こちらからは探さずに待たせてもよいだろうとも思った。先に石橋で待たせたのはあの人であったから、これでおあいこだと自分を説き伏せようとした。
 しかし一度気付いてしまっては、気もそぞろで景色をたのしめない。どうしても姿を探している。庭園の門に戻ろうかと考える。探しつつ戻れば、その人は案外に平気な顔をして、自分を余所に薔薇を観ているかもしれない。ところへ、Rの目が滝の下の人影を捉えた。
 Rは怯んだ。その人がこちらを見上げていた。表情こそ見えないが、自分の姿が向こうから見えていることは分かった。その人はRと同じように滝口へ続く階段を上ってきた。
 その人はRのやや後ろで立ち止まった。Rは誰かが上ってきたことにさえ全く気付いていないかのように顔も体も動かさずにいた。景色はRの感覚器官から抜け落ちた。Rはきっと庭の宙空に視軸を穿った。
 いくらか経った。最初こそRは背後からの視線を背に感じていたが、それも薄れてきていた。そこへ、溜息が聞こえた。
「何か見えますか」
 とその人が言った。
 Rは許されたと思った。
「何も。誰も見えません」
 しまったと唇を結んだ。言い訳が過ぎた。
「だいぶ人が減りました。薔薇が見頃かもしれません」
 とその人は言った。平坦な声だった。Rはその色が恐ろしかった。はらわたに針の先を差し向けられた心地がする。たった一本の銀の針である。刺すつもりはないのだと言わんばかりに在るが、その場で凝っと針を上向けている。やさしく触れれば傷にはならない。加減を誤れば皮を突く。Rは振り返った。その人は腕を胸の前で組み、鼻の下を押さえていた。控えめに膨らんだ頬と白い歯が見えた。口元が手に隠れる。手が下ろされた時、そこにはまだ微笑みの名残があった。
「意趣返しかと思いました」
 と言ったその人の顔から名残が拭い去られた。
「違います」
「本当は」
「考えもしませんでした」
「腹を立てていませんか」
 Rは呆けた。
「池でそっけなくしたので」
 とその人は、顎をしゃくった。Rは自分が指されたと解した。
「腹は立ちません」
 とRは突っぱねた。その人は
「それなら、謝らない」
 と告げた。
「いい、でしょう」
 Rはぎこちなく了承した。その人はRから見ても明らかに、不敵に笑った。
「参りましょうか」
 とその人は左腕の袖をまくり、腕時計を確かめて言った。聞くが早いか、Rは率先して薔薇園へ向かった。

 賑わいは落ち着いていた。薔薇を観賞している人々がいるものの、列を為すほどではない。暗かった庭から出てきたRは、薔薇を照らす明かりをやけに眩しく感じた。薔薇は、深紅、象牙、淡い珊瑚、花托に近い部分が黄色く花弁の先へ向かって緋の階調など、整頓された区画の内で各々が素直に咲いている。電球に照らされて、鋭い葉や棘が暗所に潜み、花弁が浮かぶようである。
 Rはしげしげと手近な桃色の薔薇を眺めた。紅生姜をぎゅっとまとめたようだと思ったが、薔薇たちにふさわしくない形容だと思い、黙っていた。美しい形容を探したが、比肩する喩えはそう易々とは見つからなかった。自分の感性では埒が明かない。ただ美しいと言ったとして、自分が美に圧倒されたという事実は主張できても、何を以て美しかったかは伝えられない。感嘆は素朴すぎる気がしていた。適当な句が思いつかないならば、言わぬが花である。
 Rは真横を見た。ずっと静かであるから、おそらくその人は真剣に観賞しているのだろうと思っていた。
 その人は俯いて目を覆っていた。目頭を押さえている。指の先が白い。Rの眉間に力がこもった。
「どうしましたか」
 とRは訊いた。その人は眼鏡を片手で外し、力なく指に引っかけた。
「大丈夫です。観ていてください。少し……目を、休ませてきます」
 とその人は言い、確かな足取りで薔薇園から出て行った。Rは言われた通りに薔薇へと居直った。二つの気遣いを天秤にかけた。Rはその人を追って薔薇園を出た。
 その人が四阿の長椅子に荒く座る姿をRは間を置かず目にした。まぶたを覆っていた手がこめかみにずり上がり、両手首で側頭部を挟むようにして蹲っている。左手に眼鏡が握りしめられていた。薔薇を観ているようにと言われた手前、何と声をかけたものかRは逡巡した。
「眼鏡を預かりましょうか」
 Rはその人が握っている眼鏡の近くへ手を差し出した。その人は力をゆるめようとはしなかった。Rは引き下がり、対面の長椅子に腰掛けた。その人は
「すみません。本当に、いけないことです」
 と言った。Rは返答に窮した。その人は忌々しげに
「夜なら大丈夫だろうと過信していました。照明を近くで見過ぎてしまったようです」
 と静かに言った。
「気になさらず。仕方無いことです」
 Rにはその人のつむじが見えていた。髪が乱れている。その人の側頭部を押さえる手はいよいよ強張り、指が鉤型に曲がって動かない。苦痛は本物のようであった。
 光に対して過敏すぎやしないか、とRは小さな疑念を抱いた。
 それでも半病人を前に、この人が苦痛に耐える時、会話で気を紛らわせたいと考える人かどうか、様子を窺った。用事があれば伝えてくる人のはずである。
 間を置いて、その人は腕を下ろした。そして丸めていた背を伸ばした。
 Rは
「ここに居るのも良いものです」
 と言った。その人は膝の上で硬く拳を握った。
 Rはその拳に長く目を留めることを危ぶみ、四阿の外へ顔を背けた。夜風がささやかに吹いていた。Rはさもその風に目を乾かされたかのように、ゆっくりとまばたきをした。その人は伸ばしていた背筋を再び丸めた。
 何故、こうも気遣いというものは面倒で、しかし満たされるものだろうかとRは考えた。自分の親切には糖衣の下に命令があるような気がした。その人が気遣いを受け取り、従ったからこそ快く思った気がする。薔薇への興味は深まりそうになかった。だから今も、四阿で過ごそうが、どこに居ようが差異がない。
 Rの視界の隅で、その人はまるで眠ったかのように動かずにいた。Rは動かないのならば注意は払わぬもの、と決め込んだ。挙動から調子を推し量ることを止めた。
 樹木に囲まれれば、都会でも自分の周りだけは暗く感じられる。目が慣れても、見通せない木立がある。夜空は藍色で、見える星は少ない。天にはきちんと蓋がされているように感ずる。その人にかかれば、一等星の輝きも眩しく感じることがあるのだろうか、とRは想像した。では水面の反射は。洋酒の瓶のちらつきは。ガス焜炉の青い火や、部屋の豆電球は。不調の引き金に囲まれているように思う。とても暮らしてはゆけまい。
 視界の端でゆうらりと、その人の頭が傾いだ。Rはついその動きを追った。その人の頭は体が倒れる寸前で静止した。そして慌てるでもなく、しずしずと元の位置へと戻っていった。……Rは、この人はこのようであるから、実のところたいして困っていないのかもしれない、とすっかり気が抜けた。
 二人は四阿でくつろいだ。まもなく閉園である、と庭園の職員が知らせに来た。職員は薔薇園へと歩き去った。
 Rがその人を見ると、まだ舟を漕いでいる。目玉は繊細でも神経は図太いなとRは思った。それがおかしくて、ひっそり笑った。
「閉園までに出なかったら、ここで一晩を明かせるものでしょうか」
 とRは遠慮をせずにその人に話し掛けた。その人はのろのろと眼鏡を掛けた。
「ここで、ですか」
「まず追い出されるとは思いますが」
「できれば壁がほしいところです」
 とその人は打って変わって、すっくと立った。引き締まった表情をしている。
「迷惑になる前に出なくてはいけませんね」
 とその人は言った。
 薔薇園の方は人の気配がいよいよ失せた。二人は門へと歩いた。自分たちが最後かと思っていたが、後ろにはまだ人が続いていた。

幻誌



一月七日
 やわらかなものを座敷へ担ぎ降ろす。立たせれば全長が私の鳩尾に届くであろう大きな繭──汚れた湿っぽい布──を鋏で裂き開くと、未熟な軀が納められていた。
 頭、頸、胸、手、脚、蝋のような濁った肌に、藍や紫の黴じみた斑点模様が咲く。朦朧と開かれたまぶたの奥に眼球がひと揃え。切り込まれた空洞と見まがう。下肢の根には、ひたと閉じられた貝。その合わせから、軟質の塊がこぼれている。反した背中には、歪んで萎びた一対の腕がたたまれていた。 
 関節のくぼみや、背の腕にこびりついている汚れをふやかし落とす。冷たい軀は、桃と護謨の合いの子の手触りがした。未だ生臭さが私の指先に残っている。


一月八日
 襖を開ける度、もう息はないと思わされる。口元にかざした掌にかかる吐息は、次こそ最後とばかりに儚い。毛布の下で腐敗しているのではないかと疑るが、裏切られつづけている。


一月十日
 吸い飲みを口の端から差し込み、無理やりに水を与える。嚥下する力はかろうじてあるものの、ひとさじにも満たない量しか受けつけない。
 褥瘡の兆候が見え、軀を撫でさすってやった。揺すられて、鳴きもしない。されるがままだ。


一月十一日
 灯を枕元に点した。吸い飲みを手に、寝床に腰を下ろすと、敷布と枕の陰に沈んでいた頭が傾いだ。そして、まぶたがゆっくり開いた。
 虚ろな眼が私の腕を辿り、顔の上で焦点を結ぶ。束の間、私のまなざしと交わり、再び閉じられた。
 寝床から離れ、去り際に閉める襖の隙間から見えたのは、腹部を庇うように面を隠し、丸まっている姿だった。


一月十二日
 お目覚めだ。


一月十六日
 重湯を最初の食餌にした。軀の据わりが悪く、上半身を起こさせてもすぐに倒れる。肩へ寄りかからせ、支えながら与える。匙を挿し込むついでに、口の中を見た。
 歯のない口腔の、短くぽってりと厚い舌には、病の名残か白い膜が張っていた。咀嚼に適さない口だ。今後、固形物を与えるならば、磨り潰すか、丸呑みをさせる必要がある。
 黙々と匙を運んでいた最中のこと、この者はふと口を噤んでいきみ、肌を粟立たせた。にわかに頸から耳まで赤らめ、肩を下げると共に溜息を吐いた。
 完遂されるまで待つ方がまぬけなのだ。しんなりと脱力した軀に、何が膝元で行われたか、遅れて解した。
 間の悪さに目を瞑れば上等だ。


一月三十日
 幾つか名を考え、⁂と呼ぶ。


二月二十日
 皿を持った私を前にすると、惑い、手をついて身をのりだしてくる。匙をそっと押し当てるだけで、素直に口をあける。だが、すぐに俯いたり、面を逸らしたりする癖はぬけない。その度に顎を掴んで正面を向かせている。
 食餌のほとんどを難なく平らげるようになった。口に含んでから嚥下しきるまでの間隔が短くなってきている。


二月二十四日
 座っていても軀がふらつかなくなった。ささやかに毛髪も伸びてきている。背の腕だけは色が失せたまま、だらりとゆるんでいる。


三月三日
 まだひとりで立つことは難しい。寄りかからせた状態から離れると、間を置かずに倒れる。這って寝床に戻ろうとすらしない。
 家に居る間は、できるだけ同じ部屋で過ごしている。あの者は、私が部屋を出て行こうとしても反応がないが、部屋に戻るとこちらを向く。それまで大抵は、あらぬ方を向いている。眼に光がちらついた。何かを追い、眼が動いていた。しかし何を追っているかは、よくわからない。
 邸内に花の香り舞いこむようになってきた。香気は根があるものも無いものも、等しく豊かに漂う。やわらかくも、眉間の奥を突く香りだ。遠くにあればゆかしく思えて、近くに束ねれば噎せ返る。この香りは気が塞ぐ。


三月五日
 気まぐれに匙を持たせた。
 骨に張りつく皮膚に関節のふくらみが目立つ、痩せてくびれた指をしている。
 私は手本を示すよう、匙を持って皿の中身をすくい、自分の口に含むふりをしてみせた。あの者の視線は、匙の先から私の顔のあらゆる箇所へ、乱雑に当てられた。
 置かれた食器に手を伸ばす気配がなかったため、下ろされたままの手を取り、匙を渡した。だが、苦心して親指、人差し指、中指の三本で柄を握るよう指を摘んで持たせても、たちまち匙を落とす。何度か繰り返し、握らせた匙を唇に押し当てた。首を反らすせいで、汁がこぼれて襟が汚れた。
 それでも繰り返すうちに、匙を持つ指が震えなくなり、手首の返しも優れて洗練されていった。背骨から頸椎を通り頭蓋に至る軀の芯に、初めから備わっていた品性が所作を思い出したかのようだった。
 閉じた口が食餌を含んだまま動かず、顎に手を添えて上向けさせた。あの者は煩わしげに口腔を空にし、この日は二度と匙を持つことはなかった。


三月二十九日
 振り子時計の単調な音だけが響く。息をしているものが居るとは思えない。静けさに満ちている。
 どこに居るのかと姿を探した。
 大抵、あの者は四本の腕を折りたたみ、まどろんでいる。項垂れて壁を頭の支えにしていることが多い。
 襖を開け、見回すまでもなく閉じる。この家には、隠れる場所がない。
 あの者は、行きずりで広縁に横たわっていた。面がこちらを向く。私が傍らに座ると、あの者は背の腕を伏せながら、私の膝の上に乗ろうとしてきた。
 幼児や獣の真似ごとは不愉快だ。庇護も支配も私は望んでいない。
 腿にかかる重さが腹の底を震わせる。軀を預けられることで、私の身に不本意な重みがかかる。骨が軋む。間近に迫った双眸が、穿たれた穴のように暗い。冷めた呼気に漂う鉄錆びた臭気と、ぬるくあたたまった軀が放つ石鹸の香りが、私の内側に流れこんでくる。
 退けられなかった。
 五感は私を欺く。度を超して認識を膨らませ、頭蓋骨を砕く瀬戸際まで追い詰める。
 麻痺した視界で、焦点をずらす。あの者をぼんやりと捉える。翳がより美しく、醜く、姿を包む。
 思い出の顔に似ている気がした。しかし、その表情が思い出せない。
 私は身じろいだ。あの者は緩慢にまばたきをした。糸くずのような埃が、まつげにのっていた。


五月二十八日
 軀に肉がつき、いよいよ活発に動くようになってきた。その反面、未だ黒ずむ背の腕は、不釣り合いに汚いものを負っているとしか思えない。
 私は庭に面した廊下に籐椅子を置き、陽を浴びていた。あの者は眼を細め、すぐ日陰に身を引く。私が寛いでいるのを、物陰から見ている。引きずりだすのも酷と思うので、かまわずにいる。


六月六日
 背の腕を壁にこすりつけて歩き回る。黒ずんで鱗状に割れた皮がはがれ、露わになった肌もこするせいで、赤黒くひきつれている。
 壁を使っても、付け根を掻くのは難しいようだ。あまりに苛々とした様子だったので、刷毛を軽く滑らせた。炭が崩れるように粉が舞う。しばらく気持ちよさそうにしていたが、どうかして痛みがはしったらしく、私の手を弾いて逃げた。
 そのまま放っておいてしばらくすると、またしてほしいと言わんばかりに腕をぶつけてきた。


六月十九日
 うす暗い白熱灯が点く廊下の、二階へつづく階段の前に、あの者が立っていた。上階を仰いでいる。おいでと声をかけると、あの者は振り返った。さらに呼ぶと、小首を傾げ私の顔を凝っと見つめ、ふ、と右腕を浮かせた。
 ゆるく伸びて、糸で吊られたように宙を指し留まる。こちらに向けられた指先は、どうも私の背後を指しているようだった。
 名状しがたい気配が形を成しかけていた。振り向く気にも、二階へつづく階段を見上げる気にもなれない。
 違和感を振り切り、有無を言わさずあの者を抱えて寝床に向かった。
 背後には何もなかった。腕の中の重みこそが、現実である。


七月一日
 見知らぬ者の訪問があった。半月型の眼鏡をかけ、灰色の口髭と、撫で上げた髪をし、橙色の格子柄が織られたチョッキを着た男である。「ごめんください」と人を呼ぶその声は、朗々とよく透った。私は庭先の木陰に潜んだまま、黙って男を眺めていた。
 男は長く居座った。立ち去ってからしばらくして、また現れた。今度は木戸を躊躇いもなく開け、庭までやってきた。私の姿を認めると、さして驚くこともなく、一礼を寄越した。無数の蝶々が、盛んに男の周りを飛んでいた。訊ねれば、しがない蒐集家だという。
 蒐集家は「おひとりですか」と問うてきた。そうだと答えた私に、含みのある微笑いを返してきた。この御仁は気配に聡い。


八月四日
 家を出ようとすると、あの者が追ってくる。部屋へそっと押し戻して拒むが、戸を内側から叩く音には後ろ髪を引かれる。こういった類いのものは言い聞かせても理解しない。
 あの者は以前ほど陽射しを忌避しなくなった。だが、私は真昼間に連れ歩くことが相応しいとは思えずにいる。
 椅子に座る私の脚の間に割り入り、腿に寄せてきた頭を見下ろす。葉や磨硝子にあやされた陽射しを背に受け、頸にかかった髪が、ゆるやかに渦を巻いて流れている。にぶい欠伸につづいて、あの者は眼を閉じた。
 私は手を伸ばし、背の腕を陽に晒した。照った新しい皮膚は、軀の内を外へ裏返したかのように、なまの色をしていた。肌が熱を帯び汗ばむそのうちに、息は深く長いものとなり、ふっくらと膨れた獣のにおいがたちのぼってきた。炒った豆類に似た、甘いにおいもする。


八月十三日
 庭の祠に、蝋燭を灯す。供物の李を切り、欠片をあの者にも与えたが、舌に触れるや吐き出した。


十月十日
 箪笥に仕舞っていた衣服を割いても適当なものがない。あの者の軀に私の衣服は大きすぎるうえに、つくりからして相応しくない。だが外へ連れてゆくなら整えなければなるまい。遠目に見てそれらしくなればよい。
 人にまぎれるなら布は偉大だ。腰に巻くたった一枚の薄布だけで、その者の過去に人の道理がうまれる。
 擬態はまず、足袋と靴を履かせること。それから手袋、鉤針編みの帽子。襟巻きは私のお下がりで藍色のもの。この色は厚い曇りの空によく馴染む。
 外套をさらに羽織らせた。背中が奇妙に盛り上がるのは避けられない。


十月十一日
 庭に出す。並び歩くにはぎこちなく、手を繋いでやるより肩に腕を回していたほうが安定する。


十月二十一日
 数日前、門前にて蒐集家が「つかぬことを伺いますが」と言って指先で曲線を描き、邸内へ向けて掌を開いた。この男は微笑うと目尻に縮緬模様のしわが寄る。目の奥にあやしい光がちらついていた。「お持ちでしょうか。」興味が湧いたものに対する冷静さを装った興奮が滲んで聞こえた。
 私は否定した。蒐集家は笑みを浮かべたまま、「左様でしたか。実は我が家には……大勢」と言って足元に視線を落とした。その目は脛にじゃれつく何かを追うように漂っていた。口の端が歪む。「よろしければご覧になりませんか」と蒐集家は私を誘った。


十一月七日
 紅葉を踏みしめる音もかろやかに、時折吹く冷たい風を意に介さず、あの者は私の数歩先を歩く。私は黄色い葉を一枚拾った。指先でくるりと回す。あの者がこちらを振り返った。私は葉で遊びつづけていた。その葉を、あの者は捕った。私は指を離して譲った。奪われた葉は、すぐに放られた。
 私が別の葉を拾うと、また手が伸びてきた。渡すと、放られる。葉を拾いつづける私の手から、あの者はついに乱暴に毟り取るようになり、私は途中から、煽るように葉を拾った。


十二月三十一日
 大晦日。快晴。南天の枝を折り、飾る。
 あの者は背の腕を広げたり閉じたりと、顎を上向け、窓の外を眺めていた。声をかけても反応がない。
 ぼやけた丹色の日暮れが夜に没しても、あの者は天を仰いでいた。そこで庭に連れ出した。脇下を掴み、空に投ずるよう持ち上げる。瞬時に背の腕が広がった。
 暴れはしない。腕にしがみついてきて、いけなかった。何度か身を離そうと試みるも、首根に齧りつかれ、息が苦しくなるばかりだった。引き剥がそうと四苦八苦しているうちに、飛び石に水滴がぱたぱたと落ちたのが見え、抱いたまま身動きが取れなかった。 


一月一日
 酒と煮豆を供えた。


二月十四日
 雪が降りしきる仄白い景色にまぎれ、身を寄せ合い歩く。
 傘の内側で、あの者は私に抱き寄せられるままに歩いた。時折、深く被せた毛糸の帽子の下から私を見上げてきたが、わかったように軽く叩いてやると、背の緊張を解き、しなだれかかってきた。
 幾人かとすれ違った。誰もが傘の内側に身を隠している。


三月七日
 沈丁花は胸元であたためたような甘い香りがする。花序は血筋のはしる水晶で、殊更に手入れをしていない株だが、毎年律儀に咲く。一帯に香りを撒いては、淡々と身を枯らす。
 一枝だけ切り、眠る者の鼻先をくすぐった。寝覚めにもたつく腕はあどけなく、鬱陶しげに振られた。


三月二十九日
 軒先で雀が桜の花を摘み、くちばしの先で遊ばせていた。数羽が枝にとまって花を落とすので、咲いたばかりの花が名残の雪のように降り積もる。あの樹の根元に、身を横たえていたことがある。
 其のかみ、私を見つけた知人は、怠惰に寝転んでいる私を黙って見下ろした。私は、放っておいてごらんよ、と言った。知人は何も言わなかった。目は私に向けられていたが、僅かに揺れて、迷い子の、行きも帰りも分からぬままに追い出された、といったふうであった。ひとりの人間を放っておくことは、そんなに難しいことだったろうか。
 それからどれくらい経ったのか、今も同じ場所で芽吹くものがある。


五月十五日
 夜の川辺にて、粘着質に照る墨色の流れを眺める。時折水面が破られる。魚の背が捩れる。身が疼く。つい腕を掻きむしった。


六月十七日
 雨粒が窓硝子の表面を伝う。ゆくすえを追い、あの者は俯く。見届けると、また上向く。精緻ではないが、規則がある。
 戸を叩く音を聞き、玄関に向かった。磨硝子の向こうの影は蒐集家だった。私は暗い玄関で佇み、灰色のぼんやりした影を眺めた。蒐集家の手が、引手にかけられた。戸が静かに軋む。戸には鍵がかかっていた。開かないとなると、磨硝子に橋をかけるような黒い小さな影が浮き上がった。つづけてその周りが薄暗くなる。
 やがて影は離れ、足音と共に遠ざかっていった。
 雨が止むと、露を払うように、あの者は書物の山を崩した。文箱の手紙も散らかした。乱した部屋の壁を這い、天井に近い角で肢を広げて枝垂れた。
 目を離せば別の部屋に居る。廊下でも部屋でも、腹をつけて這う。長椅子や机の下の硬い床に、腕も足も投げ出して潜っている姿は、しばしば可笑しい。縮められていた四肢が、蔓を伸ばすように家具の下から出てくる。家具の下からはみでた腕は、私の指が縁を掠めただけで、さっと折りたたまれる。


七月八日
 互いを脅かさないことについて、弛緩した軀は無防備に首筋を晒す。害されるとは思ってもいないらしい。


八月十四日
 あの者が散らかした様々な物を、全てではないが元の場所へ整えつづける。一部の物は外に持ち出した。たとえば私の万年筆。さほど値打ちのある物ではない。文箱から出した万年筆を、掌に載せて眺めた末に、懐に仕舞った。気難しい筆であるから、他人の癖を覚えさせることもなく、使わずにいる。
 整頓をすすめるうちに、本棚にあるべき本がなくなっていることに気付いた。探せば、居間の床に座りこんだあの者の膝の上に開かれている。あの者の眼は頁に落とされているものの、どうやら文字を追っているわけではなさそうだった。それでも、まだ読んでいるのに片されては困るだろうと待っていると、あの者の面がこちらを向いた。私を見て、仄かに笑んだように見えた。気のせいだろう。微笑を以て挨拶を交わすのは人の習わしであり、私とあの者の交わりにはない。眼許に幸福を読ませる仕草を、いつの間に覚えたのか。


十月十五日
 蒐集家が置いていった封筒を開けた。写真と数枚の素描が入っていた。
 写っていたものは人に似ていたが、厚みのある胸が背中へ、双翼となって伸びていた。首根の筋が太く逞しい発達を遂げている。裏面の走り書きを読むと、これは頻繁に羽ばたきを行うが、飛ばないという。威嚇をするかのように腰を低く構えている写真からは、下腹部が陰となり暗く、特徴は見取れない。巧妙だが、胡乱な撮影だった。
 本物を御覧になりませんか、としたためられている筆跡は、蒐集家のものらしかった。私は招かれるままに、蒐集家の邸宅に赴くことにした。


十月三十一日
 人形……だと蒐集家は言った。喫茶もそこそこに、蒐集家は白い布が被せられた長方形の箱の前へ、私を案内した。
 箱の前に立つと、蒐集家は布を取り払い、腕に丸めこんだ。
 硝子の棺桶の中で、人形はうたたねをしていた。ゆるやかに巻かれた栗毛が輪郭を縁取っている。まぶたをゆったりと伏せ、しどけない唇の隙間から粒揃いの歯がのぞく。身の丈の半分以上を占める双翼で、自らの軀を包んでいた。上肢に挟まれた胸が慎ましい渓谷をつくっている。甘やかされた肉付きの前腕は下腹部で交差しており、垂れた象徴の脇に手が置かれている。十本の指が飾るものに否が応でも視線が向かう。楕円の爪が、今しがたまで口に含んでいたかのように照っていた。
 生きていようがいまいが、人形は勝手に動くことをよしとされず、囲われている。予想外の場にあってはいけない。埃を被ることになろうとも、愛でられる時をいつでも待っていることを望まれる。妄想を継ぎ接ぎにした贋作である。ゆえに至上の瞬間を保ちつづけている。
 蒐集家と私は黙って人形を眺めた。蒐集家が腕に丸めて持っていたはずの白い布の裾が、床にだらしなく引きずられていた。
 部屋には他にも白い布を被せられたものが多くあった。その布の下から、無数の眼がこちらを伺っている気がした。くり抜かれた眼孔にも、視る力は宿る。
 帰宅した私を迎えた者の、顔色の良からぬこと。これこそが生きている色だ。


十一月二十三日
 私は背の腕を覆い隠す。人の感覚でものを語る。人、という膜を介する。純に捉えることが、私にはできない。
 まなざしは方々へ流れる。流れた先に、丸い鱗が落ちている。ささやかに揺れている。鱗は、窓の外に植えられている椿の厚ぼったい葉の隙をくぐり、落ちてくる。摘もうと指を近付ける。触れるより先に私の指に重なり、ただ、差しこんできただけの光に変わる。かろやかに、存在しないと訴えてくる。
 目を瞑ったのはどの瞬間か、眠り、とてもよく眠り……あの眼裏は、そこに存在しないものすら見たような気にさせる。
 ふと、息苦しさに目を開ける。腹の上にあの者が跨がっていた。
 私は再び目を閉じた。脇腹が圧迫されていた。脈拍が振り子時計と同調する。無視をつづけてどれほど経つか、あの者が私の肋骨に手をついた。重みが一極にかかる。息を詰めた私の腹の上に、あの者は座り直した。両肢に挟まれ、腹部が脈打った。拍動が速まる。なまあたたかい衝動が凝りはじめ、あの者を腹から退けた。それからまんじりともできず、はらわたが鈍い。


十二月二十六日
 庭先、雪の白さ。枯れ枝が糖衣を着る。ふくよかな雪が、月光を廊下へ誘い撒く。
 淡々と身繕いをする。徐々に玄関へ向かう私の後ろを、あの者はつけ回した。私は独りで出掛けるかのように襟を留め、その傍ら、あの者に外套を羽織らせた。
 腕を掴むことはもうしない。肩も抱かない。
 細い路地を選んで歩く。街灯が道の竟を示している。くすんだ黄色い灯は、人の皮を張り替えるように、その下に立つ者を照らす。だから足元に生える草花は正気の色をしていない。
 街灯を過ぎたところで、背後を振り返った。照らされた明るい間を挟んださらに向こう側から、あの者がこちらへ歩いてきていた。灯の下にあの者が立つ。人らしい姿が照らし出される。私と同じ道筋を辿ってやってくる。追いつき、そのまま私の横を通りすぎていった。 


一月十三日
 庭先に出たあの者は、数分もしない間に頭や肩へ、粒の薄化粧をほどこされていた。
 十数年前も似た光景を見たような、もう随分と前から知っている光景が目の前に繰り出されたような心地がした。しかし誰も、かつての姿を知らない。
 このあたりの家々に住まう者達は、日暮れを迎えて鶏冠石の灯を囲いに点すまでは、住んでいることを忘れさせる。私自身もまた、姿のない住人として、灯を提げる。


一月二十一日
 夕頃に、ぽっと点いた街灯の下へ、女が現れた。女は街灯の下からその隣の街灯の下へ、節足動物を思わせる俊敏さで移動した。口を大きくあけて腹を凹ませ、クッと空気を飲み込むと、あけた口のまま隣の街灯の下へ駈け、詰めていた息を吐く。街灯の下に入ると、安堵したように肩を丸める。それを繰り返し、街灯から街灯へ渡っていく。私は女の後ろを追うように同じ道を歩いていたが、曲がり角で反対の方向へと別れることになった。
 あの女はどこまで灯を辿っていくつもりだろうか、結構なことだ。私は振り返らなかった。


二月二日
 背後で床の軋む音がした。振り返り見れば、あの者が居た。私は壁に寄りかかり、あの者がこの部屋に何を見つけるか、待った。部屋の中ほどで、あの者は立ち止まった。凝った塊が布を押し広げるように、前閉じの釦の穴がひきつれた。裾が軀に張り付く。
 私は制止するよう柏手を打った。あの者は、前屈みに傾いて止まった。背の膨らみが、ずるりと崩れた。裾から腕が露わになる。根が皮下に潜り込み、のたうつこともなく、放られて……私は、柏手を打つ。
 この部屋は鈴鳴りの音がする、と最初に言ったのは知人のはずである。
 がらんどうの部屋で、私のお気に入りだと、知っている。


二月三日
 七回も春が過ぎるというのに……


三月二十九日
 入り乱れて喧しい色彩を、曇り空が濁らせる。曲がった背が部屋の隅に蹲っている。私は戯れごとに微笑んだ。あれに手を置けば、蠢く軀が分かる。
 腕を前に出した感覚はあった。関節の軋みも、重量も認めていた。だが視野の内に前腕が存在しない。袖のみが揺れている。
 袖口の貝釦が外れかけていた。
 この釦は、以前、知人が縫いつけたものだ。知人は「明日か明後日か、一週間後には必ず困ることになるようなほつれがあるから、袖を貸してみたまえ」と私を唆した。私は椅子に腰掛け、腕を差し出した。知人が懐から取り出した針箱は、女の口紅の如く装った艶色をしていた。
 袖を広げ、とつとつと縫う。知人は私の腕に、針よりも自身の指がかすれぬよう息を詰めて見えた。しばらくその針運びを眺めていたが、確かな手つきになってきたのを認め、私は針先から視線を外した。丁度その時、障子が開いた。知人はそれに気付くと、手を休めて「家の者と喧嘩をしてしまいましてね。釦のひとつも留められないくせにと言われて、こうして躍起になり、他人の袖を摑まえては直しております。人のものだと思えば、僕も精魂を込めようとしますから、このとおり上達しました」と、まだ糸を切っていない釦を見せびらかした。障子を開けた者は、可笑しげにゆらめく声を残し、部屋を出て行った。
 釦に向きなおった知人の手は僅かに震えていた。私は手首を反し、指を知人の袖口に挿し入れた。それで、糸の始末が疎かになった。
 思い出から戻れば、袖口を何者かが引っ張っている。確かに見慣れた手が、ひらめく袖の釦を懐かしげに弄っていた。


五月一日
 もし今ある形から変わったならば。均衡を保ち、人という型におさまっている姿が、どこからでもいい、内臓からでも爪先からでも崩れたのならば。破片は個から脱して風景に溶けこむ。個が知覚できない個が、風に吹かれる。あるいは箒で掃かれ、屑籠の中へ溜めこまれる。巡り巡って、誰かの口に触れることもある。それはもう元の個ではないが、形あるものは寄せ集まり崩れた末に、還る。
 抱くのは親近感と、なぜ隔てられたのかという疑問だ。あなたは個ではないというまなざし。各々が放っている形というもの。あなたは個になりそこなった個だ。個はあなたになりそこなった。
 欠けているのは形であり、なだらかに満ち足りているのを、日々に感じているはずだった。
 伏せたまぶたの先で、蝋燭が溶けてゆく。私は知人の正面に腰を下ろしていた。発される言葉を待つ。居るのだろう、と知人は言った。私は灯を吹き消した。すっとのびる白い煙が鼻の奥へ、うすもやに漂う。知人は消えた灯を見て俯くと、口元を歪めた。笑みは私へ宛てられたものではなく、知人が自分自身のために浮かべた自嘲の笑みだった。笑みはきっかけもなく、頬や目元から姿を消した。知人は、私を呆然と見詰めた。見るべきものを虚空に、眼を開いている。そしてやおら私の悪戯を説教した。
 執着が音の連なりを言葉と思い込んだ。あたたかみも、滑稽さも、いずれもありはしない。言葉は示した瞬間から歪められた事実として残る。己の力では意味を与えられず、五感で受け取ったものを示すことは難しい。感覚は己を含めた何者も信じられるものではない。たとえ声の抑揚から言葉の意味を汲み取れたとして、言葉が一方を指し示していても、形はおぼろげである。音は降りつもり、繰り返される。真意は蓄えた軀の形で響く。
 精神の土壌は、数多の信仰の層だ。疑うことを知らず、同時に疑うことを信じ、没頭する。
 知人は一方的に喋りつづけた。その声も徐々に呻き声に変わっていった。閉じたまぶたの目頭が濡れていた。私の視線から顔を背ける。仕方のない奴だ。かつて知人は、関わりを保っていられることは、それだけで幸運なことだと思える、と口にしたことがあった。だが、既に……。
 他者は勝手に存在を喫する。それぞれに魂の廟があり、背に還る威信をもちながら、供するは八百万の存在である。あらゆる表出が火花を散らす。ひとつの存在として組みこまれながら個の静寂を保ち、限られた点で交わる。
 日々のいろどりの全てが澱んでいるように思える。手で顔を覆う。その間に、何日も過ぎたのではないか。


五月四日
 こんなつもりでは、と呟く。私は返事をしなかった。
 不意に、アあと啼き声が聞こえた。醒めて顔を上げた先に、輪郭をもった影があった。似ている。とても、よく。


七月二十二日
 木陰を凝っと見ていた。あの蒐集家が、相も変わらず勝手に庭に入ってきた。私は彼を一瞥もせず、黙って縁側に腰掛けていた。既に辺りは声に満ちていた。醸すように群れて緑色の草叢から発される湿った呼気が、じっとりと肌に纏わりつく。ひぐらしが陽射しの裾を引き留めるように鳴いている。近くの木ではつくつく法師が、私の代わりに沈黙を埋めていた。蒐集家は邸宅を見上げた。端から端まで、右から左へ、窓をひとつずつ舐めるように首を動かした。
 縁側の板が軋んだ。揃って、音の鳴る方へ顔を向ける。
 何者もいない。「どなたか……」と蒐集家は小声で言った。床を躙る音は、近くまで来ていた。蒐集家は縁側を上がった。私は首を捻って蒐集家を見た。蒐集家は障子を開けた。
 木枠の内にあの者が収まっていた。最後の陽光が手前に射す、奥の暗がりに佇んでいる。蒐集家が喉を鳴らした。そして大袈裟に呼吸を甦らせた。「生きている」と嘆息が聞こえた。そうだとも、生きている。
 蒐集家はあの者と距離を保ったまま、一切の視線を逸らさずに跪いた。触れぬ所作は礼儀正しい。指が鉤の形に曲げられていた。
 お引き取りください、と私は言った。蒐集家は縮緬模様の笑みを私に向けた。「悪いお人だ」と言い、蒐集家は笑みを引きずりながら帰った。私が障子の奥を再び見遣った時には、動くものはなかった。


九月九日
 竹籠を思い出す。唐紅色の房を結んだ竹籠に、丸い翅を重ねた鈴虫を飼っていた。金属の声をもつ虫らは、蟹股で脂肪を感じさせる厚みのある腿をしている。細い竹の網目の内で、よく鳴いた。
 風流だ、と竹籠を指して人は言う。その声に応えて鳴った喉のわらいは、慈しみと、わずかに侮蔑のいろが含まれていた。
 自分の喉を抑え、あの者が首を傾げたのを真似して共に首を傾げる。あの者は唇をすり合わせ、気泡の音を鳴らした。そして、くん、と鳴いて背の腕を片方ずつ伸ばした。鼻を抜けただけの音。返事にも聞こえる声のようなもの。


九月三十日
 喉の潤しに、冷やした水蜜桃に刃を入れる。潰して与えるところを、六つに切った欠片のまま、黒文字で刺してあの者の口元へ運んだ。あの者は唇で控えめに挟み、すぐに面を背けた。しつこく唇に当てても食べようとしない。やわらかくなって、果実の表面に滲み出た汁が口の周りを汚しただけだった。ひと舐めでもするのなら、そのまま口をこじ開けることもできようが、いつまでも窄めたままだった。
 潰れた水蜜桃は茶色い汁をしたたらせる。上澄みを匙ですくう。あの者はしばらく、きれいにしてやったはずの口の周りを手の甲でこすっていた。


十月三日
 雨を頬にたのしむのもよろしいが、私は濡れるのが嫌いだ。あの者を抱き上げ、あずまやで雨宿りをした。一度抱き上げるとその日の散歩の間、降りて歩こうとしなくなる。やすみ、やすみ、抱え直しながら家路を辿る。
 前方から老婦人が歩いてきていた。綿毛のような白髪が夜風になびいている。曲がりかけた腰を正すように、胸を反らし、顎を引いている。傘を片手に持ち、地を突くことなく、踵を踏み降ろしている。彼女は私たちの姿を認め、歩みをゆるめた。およそ女は、小さき者と見定めると無分別に親愛を示す。老婦人は早くも、傍を通る時のために胸元のシフォンを膨らませ、傘の柄を両手で握りしめていた。
 老婦人は会釈を寄越した。私は軽く頭を下げ、目元をゆるめた。あの者は私の首筋に面を伏せていた。老婦人はあの者を見たが、水を流すように視線を外した。傘を持つ手に、太く血管が浮いていた。私は立ち止まらずに、老婦人とすれ違った。
 或る人は、表面に見えるものが現実であり、見えないものばかりを信じることは病のはじまりだと云う。また或る人は、見えるものばかりを信じなさるな、見えない世界にこそ信ずるに価するものがあるのだと云う。
 人々の説に従うなら、私は他者の現実と非現実の境で、幻覚と真実そのものとなろう。


十月二十五日
 あの者を室内にいれるため、縁側を下りた。庭の隅に姿が見えた。蹲踞まっている。垂れた髪が横顔を隠していた。寄ってみれば、あの者が頬を動かしている。口の端から糸のような細長い脚が、放物線を描き伸びている。閉じた口の周りで脚が踊る。あの者の喉が腔内のものを飲み下そうと動いた。させまいと私はその喉を掴んだ。口をこじ開ける。奥に引っかかっているものを引っ張る。喉が苦しげにあぶくを鳴らしていたが、指で口腔を掻きつづけた。私はあの者を地面に押し倒した。馬乗りになった私の下で、あの者の髪が乱れた。塊が喉の奥から引きずり出されると、あの者の腕は力なく地面に伏せられた。
 土に叩きつけられた塊が、ゆっくりと脚を開く。それは見覚えのある細長い花糸で、喉から咲いて千切られた花は、赤黒く枯れかけていた。


十二月一日
 時折、床の軋む音が聞こえる。邸内のどこで足音がするかと、私は耳を澄ませる。襖を引く音がしないかと、背後に気を配る。それでいて、何食わぬ顔で過ごす。埃が払われるおかげで、気配を保っている。 


一月三日
 放っておけば姿が見えないのはいつものことだからと、私は気を抜いて長椅子で眠りかけていた。その折、物の倒れる音が耳に届いた。水回りの方からだった。確かめにゆくと、盥が覆され床が水浸しになっている。暗い水が幽かな光を受けて糊のように伸びてゆく。
 飛沫は水回りの外へつづいていた。跡を辿る。廊下の角を曲がり、数歩進んだところで途切れていた。水の滴るものを掬いあげたかのように、忽然と消えている。
 私は狭い廊下を見回した。前方には縁側が、後方には来た通路が、右は壁、左は閉ざされている引き戸、床を這うものはおらず、天井に吊られるのは照明のみ。
 おもむろに引き戸に手をかける。この部屋は滅多に開けない。よく言い聞かせられた。家のどこにも居なければ、この部屋に居る、と。
 指先に力を込めたが、戸を開けられなかった。私は水たまりを片すために、その場を離れた。


二月二十六日
 部屋の奥に影があった。誰かといっても邸宅には私とあの者しかいない。暗がりでよく見えないが、俯いて背を曲げているようだった。声をかける。しかし反応がない。
 肩に手を置く。随分と角張っていた。触れているのは、外套が掛けられた椅子だった。


三月十日
 花瓶に挿していた蝋梅を、枝先を地に向けて持ち歩く。枝から滴った水滴と蕾が点々と廊下に散らばる。影が障子の裏を、音もなく横切る。
 霊が枯れ尾花であっても、枯れ尾花が霊であったことはついぞ聞いたことがない。花の霊は、厚い本の隙間で腊葉とつながっている。その神経をあわよくばと写し取ったのは七節である。他もろもろの地に落ちた枝と異なり、七節は地表では不安になるらしい。枝らしさを捨て、風が吹こうが吹くまいが、樹木を目指して歩む。その速さは霊を陵駕する。
 一方、枝先で変化する蕾は、その硬軟の合掌を四季に習慣づけている。四六時中その掌を開かないのは、彼らの礼節で、人の時の指標である。
 合掌は辞儀の後に開かれる。花々の折り目正しい出会いを境に、人は季節に会い、別れを知る。
 蝋梅の枝が私の手に重みを感じさせるとほぼ同時に、すり抜けて床に転がった。
 こうして、いくつもすれ違ってきたものの姿がそこにあるのだと、私は繰り返し呟く。


三月二十九日
 窓が叩かれる。床が軋む。天井に音が弾む。半ば宙に浮くようにして進んでゆく身のこなしが聞こえる。あれは自らの軀の重みを知らない。
 雨脚が踊り狂う。気付けば追っていたはずの足音はとうに消えている。代わりに、隣室から、水が粘りを帯びてすれ合うような音が聞こえてきた。
 襖を僅かに開ける。隙間から覗いた座敷の隅で、頭が揺れていた。音が耳を舐る。私は襖を手の甲で軽く叩き、自分がここに立っていることを主張した。頭が振り返る。粘ついた音が失せた。引いた襖の、私の背後から差し込んだ光源が、座敷の隅を滑るように照らす。
 着崩れて、見る影もない襟をしていた。ぬらつく赤黒い塊が掌に載せられている。粒と、裂けた繊維が指の間にこぼれる。一握りの果肉がみずみずしく、痙攣していた。


四月二十三日
 繰り返す習慣は身に染みついたものというよりは、苦し紛れの願掛けのようだ。戸を叩く手の甲に、痕が残れば慰みにもなるが、到底望めない。
 件の手首を眺める。管と肉の房に、脳の底を茶杓でこそがれる心地がする。管は見覚えのある青竹色をしている。意識して見たことがなくとも、眼裏に沈着した色だ。針が突かずに済んだ管のうちの一本が、水面を背鰭で破るように浮きあがる。私は息を詰めていた。時が焦げつく。


四月二十五日
 兆しは……なかった。
 横たわる軀の褪色した腕だけが、ゆるく曲げていた指を唐突に開花させ、私の手首を撫でた。
 張力を奪われた。膝を床に立てていられず、前屈みに腰を曲げ、力なく己の手を委ねるしかなかった。
 やがてはじめに、私の中指が動いた。背の腕を、掌から肘に向かって撫でた。そしてまた肘から掌へ、幾度も行きつ戻りつ、静かに辿る。この軀には不釣り合いな、私の見覚えのある腕。一度も見たことがないはずの、肘の内側。滅多にまくられることのない袖の奥。これを、知ることはないはずだった。
 互いの指と指とが触れかけたとき、私は咄嗟に鳩尾を庇ったが、喉が既に私を嘲笑っていた。
 私はあの者が縮こまらせた腕を、根本から無理を強いて開かせた。皮膚の奥、骨筋の曲線を撫でる。熱や疼痛が生じていても、私には分からない。この腕は今も昔も禍いで、私がそうであると思いたい象徴だった。
 あの者は私の下で藻掻いた。皮下に指が沈むほどに、存在を感じる。私は信じて手をゆるめた。背の腕が私の頬を打ち、そして雨垂れるように顎先に指が流れ、留まった。私は両手でその掌を包んだ。やんわりと包んでいた蕾から、腕は背に返すまでもなく、静かにたたまれた。
 この者は、私の知る誰でもない。しかしこの時、五感は得たと云った。私は背の腕というものが分からなくなった。
 私の下から這い出たあの者は、そのまま這って部屋の隅へ身を寄せた。あの人の椅子へ腰掛けることのない姿に、気が沈む。
 豊満とまではいかずとも、やさしい稜線を描く頬と、やわらかな髪。黒眼の透けるうすいまぶた、些か情のない無口な唇。稀薄だった気配をしっかりと肋骨の内に囲い、肌で覆い合わせ、脈打っている。私はあの者に背を向けた。壁際の姿見から布を外せば、そこには知人が立っている。そして知人の背後には、知人を長く見詰める者が居る。


五月九日
 行為がどの琴線に触れたのかを、お聞かせ願いたかった。


五月十六日
 燕の巣の真下に雛が落ちていた。私が拾うより先に、あの者が片手でその毛束を掴んだ。あの者は握り拳のにおいを嗅ぎ、拳からはみ出た、まだ鞘の残っている細い羽根の感触を確かめていた。そこまではよかったが、おもむろに口にいれようとした。例の如く、私の手が先に出た。拳を遠ざけさせたが、あの者は余程心奪われていたのか遠ざけられてもなお口元を近寄せようとする。仕方なく、片手であの者の口を覆った。蓋をされた口が指の下でなよやかに動く。唇に挟まれ、指の腹が半ば呑まれた。啄むように吸い付かれる。快とも不快とも言いがたい。
 手元への注意が疎かになったところで雛を取り上げた。手篭められていたはずだが、私の肝ほどは潰れていなかった。


七月十二日
 軀の一部は、粗末に扱われたことに反して信仰されている。
 幾度も撫で、腕の内側にも触れる。正しさを確かめるほどに、縋る者の手つきは無作法になる。
 眉間に凝りきらない戸惑いが、あの者の相貌に奥行きを与える。私はあの人が傍らにいようとも、具象に掌をかざしつづける。
 半ば透け、明瞭さは濁り、輪郭が散る。霊応が五感を差し向ける。一度でも息の吹きかかったものが発する波の喧しさには溜息がでる。


八月二十四日
 もし、この者が毛むくじゃらの畜生だったならば、私の足元で四六時中戯れていたとして、歯牙にもかけなかっただろう。蔑ろにしようとは思わないが、節度がある。
 共に暮らすことについて、気の向くままに、人に施すには不足、鳥獣に対するには過剰、あの者にとっては、もしかしたら本来は不自然な習慣を強要して過ごさせているのではないか。


十一月十八日
 その者に触れてはいけない、と蒐集家に釘を刺す。「よくよく承知致しました」と蒐集家は言うが、手元は正直だ。彼は私の前だと、後ろ手を組む。表向きだけでもご立派である。


十二月十三日
 盛んに発せられる音の元を、あの者は不思議そうに見つめる。理解ができずとも、心は汲まれるだろうか。私は座敷に六つの肢をだらりと伸ばして寝そべる姿を見下ろす。
 お前の悪い癖だ、と物申す。 
 

一月二十七日
 立った時、あの者の頭頂部が私の肩に並んでいた。迫る眼に情を探し、度々覗く。大抵、はっきりしたものは何も読み取れない。それでも日に何度も眼が合う。矯めて視られて、ふと外される。私が顔を向けるや、あの者は眼を伏せる。同時に、喉を動かすこともあった。
 着物の袖から自然と垂らされた腕のうち一対は、どことなく痩せ細って植物のようである。


二月十九日
 身に回される枯れた腕が、時折首筋まで指を届けてくる。自分はひっそりと目尻をゆるめ、その腰に手を当てる。これ以上はない。冷めた日向の匂いがする。私の掌は熱を帯びているが、この軀は溶けない。
 眼前の者へ、あなたは人間ではないのでしょう、と問う。否定も肯定もしない。口のきけないこの生きものを好ましく思う。


三月二十九日
 精神が密封された軀のどこに留まっているのか、ついぞ知り得ず、少なくとも身の周りには、軀を離れても己が持続するかどうか、証言をしに帰ってきた者はいなかった。
 塵が同じ形に集まることは、如何に成し遂げられるのだろう。記憶の中でさえ、全く同じ時の、土の、風の、物体の、霊的存在の、再現はない。既視感を抱いた自分がそこに居るだけで、以前とは異なっている。信じるとは、存在しない私が感じている響きのようなものだ。
 地上に滞留する。霧がかかった姿で、あちこちへと散らばる。鋭敏だった感覚が流れ、全てが通り過ぎてゆく。何かが去ってゆくのはわかる。しかし、それが何なのか感じとることができない。軀がない。触れることも、考えることも、かつての記憶を道標にした虚構だ。
 何もかも置き去りに、それでも、消えてはいない。醒めた夢の中で、美しいとも醜いとも思えない世に在る。
 目を閉じ、耳を塞ぎ、感じられるのは、あの者がそこに居るということだ。
 深くこもった音色が淡く届く。雑多に伝わってくるはずの、生命の音がない。過去に響いている音を聞いている。
 左から聞こえていた旋律が背後に回り、右へゆったり流れる。やがて前方へ。そして左へ。周遊する。輪になった旋律の中央で立ち往生する。どこにもゆけない。奏でられている場所は知覚の埒外だ。そこには誰もいない。私を知らず、また私も知らないなにものかが、これといった軀を持たず漂っている。漫然と、無頓着に、翻る。鈍く光る。それが何であったのか……。
 滔々と関係を満たすはずだった時間が、私には流れていない。
 全ては重なり、なにものでもない潮流へ溶けてゆく。ひとつにはならない。離れた場所で佇み、やがて消える。
 私は、卓上に積まれた日誌を見遣った。箱の中にしまわれていたものだ。正午の日差しが窓から室内へ注がれている。既に薄暮を思わせる弱い陽は、部屋の隅までは届かずに、物と影との境をぼかす。
 蝋燭を吹き消す。耽ることのできる心象を私は託されたのだろう。
 埒外へ。人はこれを、さようならという。自分たちには、感じられなくなってしまったので。 

回

カイエ
更新:26/9/25


 引越しをしようかと物件見学に行った。その物件は歪なドーナツ型の建物で、いわゆる穴の部分には低木や草が植わっている花壇があり、オートロックの玄関を入らないとそれを見れないのが秘密の花園のようで素敵だったが、湿って陰気な雰囲気が漂っていた。廊下の手すりに、やぶれかぶれの汚れきった傘が何十本もコレクションしてある。ゴミ捨て場には、生煮えの豚の皮のような乳灰色の何かがぐったり伸びている。建物の角という角が暗い。日が当たっているはずの外廊下に明るさが全く感じられない。澱んでいた。
 引っ越しは諦めた。夕飯にたまごあんかけチャーハンを食べた。


⁂


 昼間の商店街を歩いていた。すると、正面方向から腰の曲がったおじいさんが神経質そうにひょこひょこ歩いてきた。何か口の中で唱えている。おじいさんは急に叫んだ。
「もーダメだ! ガマンできない! 漏レ──」
 私は元々歩くのが速いので、おじいさんが叫びだした頃にはすっかりすれ違い、声は後方へ遠ざかりつつあった。結末を知るのがおそろしく、復路に同じ道を歩けなかった。


⁂


 昨日、大きな鏡を三枚購入して、文机を囲うよう置いてみた。ものを食べたり、こうやって文字を書く間も、自分自身の姿と対峙している。自分を見つめても面白くはない。険しい顔と目が合う。鏡の中の自分と目を合わせると、右横の鏡のさらに奥の鏡にいる自分から視線が飛んでくる。
 三面鏡に映る世界のどこかには、悪魔がいるという噂を聞いたことがある。どこで耳にしたのかは覚えていない。覗き込んで、何枚も奥へ奥へと重なる鏡のうちに、姿を探してみる。ふと何かがよぎったような気配がする。気付かないふりをして、つい俯く。


⁂


 夢の中で私が住んでいる家は、だいたい駅から二十分以上離れたところにある。太い道路を渡って、線路の金網を左手に歩き、歩道橋を通り過ぎた後に鉄塔の見えるゆるい坂道を登り、地域一帯に家はあれども人が住まずというふうな場所だ。道のりはだいたい一緒だが、家の形はそのときによって異なる。
 私が借りている賃貸は、十八階建団地の十五階と十六階の隙間だったり、二階建てアパートの庭だけだったりする。なぜそんな中途半端な借り方を、と思う。そもそも建物自体も変だ。肩幅より狭い共有階段が当てずっぽうに張り巡らされているせいで、一階に辿り着けない人が飛び降りを決行する。集合住宅だが、おんぼろすぎて誰も住みたがらず私しか住んでいない。エレベーターが常に壊れていて停止階が運任せ且つ床が外れやすい。外れやすいと知っていて「頼む、××階に停まってくれ」と祈りながら乗るのは博打もいいところである。だいたい停まらないから、建設途中で鉄骨丸出しの非常階段を使うことになる。外が変なら間取りも変だ。外廊下が部屋の中央を通っているし、窓はあるが玄関がない賃貸など、不便と理不尽と非合理が尽くされている。
 ただ、どの部屋に住んでいても共通しているのは、うす暗い部屋で、私は誰かに居場所を知られたか、家賃を払えそうにないといった理由でここを去らなければと考えているということ。現実でそのような理由で引っ越しをせざるをえなくなったことは経験したことがない。しかし夢の中では毎回、夜逃げ間際の危機に瀕している。


⁂


 ヌミノース(numinous)という言葉を知った。ヌミノースとは、自我の力をはるかに超えた圧倒・抗い難い魅力とも表現され、聖なるものから合理的要素と道徳的要素を引いてあらわれる畏敬の感情を起こさせる・感情が生じるようなある体験のことを指す。
 ヌミノース……ヌミノース……
 神聖な面持ちで口の中で繰り返していると、やがてカピバラとヌーを合体させた巨大なマウスがたちあらわれ、横向きの顔でビタッと脳壁に張り付いた。
 ぬみまうす、ぬーまうす、ぬーみまうす、ぬ・みのす、みのたうろす。ヌー・マウス・ミノタウロス……。


⁂


 催眠音声の手を借りて意識の階段を下り胎児の夢を遡ったところ、私の過去世は首を括った人だった。部屋の隅、どこに縄を張ったのやら俯いて、床のメを視界に捉えていた。私はさして驚くこともなく、この過去世の光景に「やっぱりな」と頷いた。催眠を体験してみようと思うよりずっと昔からそんな気がしていたので、誘導によって妄想が濃く描き出されただけだろうと思う。そうではないなら、もしや体験した過去世は私の未来ではないか。そっくりな部屋を見つけたら、それは私の死期なのではないか。こういった予感は近からず遠からず、当たる。しかし、そんなことを言いながらも豊かに辛酸を舐め、年月を重ねて、老衰してゆくような気もする。
 結局わからない。そのときがくるまでは。


⁂


 しょぼくれた草むらの中からアスファルトの道脇、自宅の外階段にまで、たった三十分の散歩の間に大・中・細の三匹のカマキリに会った。
 全て死にかけていた。
 しゃんと立つカマキリは一匹もおらず、蹲り風に体を揺らされているか、腹を見せてうねうねともがいているかのどちらかだった。あるカマキリは、階段の踏み面にあおむけにひっくり返っていた。手のひらいっぱいに乗るくらいの大きさで、捩る腹がよく見えた。私はひいと息を呑んだ。それはそれは情けない声だった。
 踏まないようにしながら階段を上りきった。玄関に入ってから、私は逡巡した。わずかに備わっていたやさしさが、私の手に傘を持たせ、再び出会いの場に戻らせた。
 カマキリは変わらず、うぞうぞと脚を天に向けてもがいていた。腰を捻ることのできない虫なのだろうか。詳しくないので分からない。ひっくり返ったままということはそういうことなのだろう。階段を上ってくる人はカマキリに気付くだろうが、下りてゆく人は気付かずに踏みかねない。
 傘の先端を、さあ抱け、とその脚に突き出した。立たせたら私の役目は終わりだ。どこへでも行くがいい。
 しかし簡単にはいかない。掴んだのを見てひっくり返そうとするとぽろりと体が離れてしまう。私は虫をしっかり観察したいと望……むどころか出来るだけ避けたくらい苦手なので、早くなんとか自立してくれと焦った。
 何度か繰り返した末に、カマキリは傘をしっかり抱きしめた。
 嫌な予感がした。
 予感は的中した。今度は離れてくれない。それどころか私の手元に向かって尻からよじのぼってくる。
 堪忍してくれ。
 私の動揺をものともせずカマキリは尻をもじもじ振りながら上ってくる。私は傘をそっと振り、また振り、次の一振りでまたもカマキリがひっくり返って落ちるかもしれないことなど考えもせずにただ離れてくれることを願った。
 ぽと……とカマキリは落ちた。うまいこと脚から着地した。
 じゃあ、あとはその脚で生きなさい。
 私は逃げた。
 それにしても何故今日はカマキリをたくさん見たのか不思議に思って調べてみた。どうやら十月はカマキリの産卵時期らしい。産みつける枝を探していたのかもしれない。そういえば何となく腹がふっくらしていたような気がする。あれが妊婦だったとしたら、その場に置き去りにしたのは慈愛が足りなかったなと思う。思ったからといって、彼女の元には戻らない。


⁂


 外の一部が欠けて内が露見する化けものというのは見えたその瞬間といい、蓋をされないでやわらかい部分を晒し続けている鋭敏な痛ましさといい、「触れるべからず」という境遇に不安を覚える。では、内をひっくり返したような化けものが堂々とぬたぬた歩いていたらどうかというと、それはソウイウモノなので脅威に思わない。しかし内を外にしていた化けものが、内をまるめて外を見せたら、どんなに清潔そうな肌理でもおぞましく感じるだろう。最初に出会った姿がナチュラルを印象づける。化けものは化けた後の姿ではなくて、その瞬間にだけ立ち現れる存在かもしれない。それなら、化けものであり続けるものはこの世にいない。
 さて、言葉は発した時点で既に変化をあらわにしているが、化けものと認識されない仕組みは、耳や目から入ってきた言葉は、ひとりひとりの体の内であらためて発されるからである。知ったときにはもう飲み込んでいる。言葉は限りなく近くにいる化けものだ。それが変化することに、気付かないままの。


⁂


 人間の感情について。四つに分けると「喜怒哀楽」。感情を表現するには、飛び跳ねる、拳を振り上げる、叫ぶといった動きの他に、言葉という手段がある。では、その感情を伝える言葉はどれくらいあるのだろう。
 表現の数が多い、幅が広いということは、それだけ感じているということで、伝えたい想いも大きいのではないかと思う。しかも長引く感情だ。時間が経っても反芻しやすければ、表現の幅も広がる。臨場感をもって伝わるかは別として、この味は何だろうな、と考える余裕と割ける冷静さは豊かさに繋がるはずだ。
 そこでもし「喜」の表現が多かったら、人間は根から幅広い喜びに満ちているという結論に至れる。そんな気がした。
 さっそく類語辞典を開く。ざっと見たところ……怒・哀が、圧倒的に多い。喜・楽のおおよそ二倍だ。それだけ多くの怒りや哀しみを人間は表現しようと、せっせと言葉を紡いだらしい。「生き残るには危険から身を遠ざける方が手っ取り早い、だから嫌な記憶ほど脳に残りやすいようになっている」と誰かが云っていた気がする。言葉もその通りだった。人間は怒りと哀しみに生きている。愛だ喜びだ幸せだ、と単純な言葉を繰り返し口にするのは、保ちにくい性質だからだろう。そうして主張されるのは、脅迫的欠乏感。かなしい生きものだ。


⁂


 人が「眠っている間に見た」という夢を書いた文章で、面白く思えたものがない。
 荒唐無稽、支離滅裂、破綻した物語に見合わない合理性が現れる陳腐な表現。そして、お約束かのように描かれる性的な象徴、直接の裸体。またその繰り返し。絵ならまだ抽象を伝えることができようが、文字は整然としすぎる。
 商業の文章さえそんな調子なので、他人に自分が見た奇天烈な夢を語るなぞ、退屈で旨味のないことの代表だと思っていた。
 けれど最近、人から夢の話を直に聞く機会がどういうわけか多く、その話を聞くことを楽しんでいる自分がいることに気が付いた。積極的に人の話に耳を傾けてさえいた。
 生身の人間の声(=音)からは文字で綴りきれないイントネーションを拾うことができる。話の続きを促すことも、解釈の片棒を担ぐこともできる。会話はリアルタイムで行われる夢の続きのようなもので、スペクタクルに取り込まれ、共々流れてゆく。
 夢を思い出しながら喋る人の横顔を盗み見る。彼らは皆、近いどこかを眺望する不思議な眼差しをしている。


⁂


 自動車道の遮音壁の下に、ヒヨドリが蕾のように丸まっている。死骸だった。私はその横を通り過ぎた。そのままにしておけば自然に還る。コンクリートの上に横たわっていたとしても、どこかから自然はやってきて、ヒヨドリを連れ去るだろうと思った。
 しかし、しばらく歩いて、どうも後ろ髪を引かれる。来た道を引き返し、ヒヨドリを手に拾い上げた。
 やわらかい羽毛の奥に貝殻のように薄くて固いころりとした体があった。手のひらにくつろいで収まる。目が細く開いていた。乾きかけて膜を張っている。濁りのない暗い目だ。ヒビの入った硝子玉のようだった。そっと体をひっくり返すと喉に赤い血管がはしっている。くちばしの先が砕けていた。壁にぶつかって死んだらしい。
 どこかにこのヒヨドリが安らげそうな場所があるだろうか、と探して歩く。手にヒヨドリを載せていると、すれ違う人が体の向きを変える。
 手のひらがあたたかい。羽毛と手のひらの間がじんわりぬくまって、ヒヨドリがまだ生きているのではないかと思えるくらいだった。けれども生きているはずがない。……どの瞬間だったか、土を探すうちに、あたたかいと感じていた手のひらが、ふ、と冷たくなった。
 ふらりと雑木林に入る。頭上から鳥の囀りが盛んに聞こえる。ヒヨドリを拾った場所からたいして離れていない。もしかしたら、このヒヨドリも生前にこの樹の上で囀っていたことがあったかもしれない。
 低木の陰に葉の寝床をつくり、松の枯れ葉をかけて寝かせた。


⁂


 学生の頃に住んでいた場所は川と雑木林が家路にあり、狸が頻繁にコンクリートで固められた道路を横断していた。私が家路を急ぐ横で彼らも生活に奔走し、たったたったと目の前を通り過ぎる。街路灯の下の狸は黒くてむっくりしている。むっくりと丸くても、毛の奥に野生の引き締まった体があることが伝わってくる。私は彼らを見かける度に凝っと見て、その尻尾が草むらに消えるまで目を離さないが、彼らはこちらを一瞥もしない。


⁂


 夜に電柱を見上げると、頭の大きな胎児が及び腰で細い支柱にしがみついている。月か星を探そうとしたが、大人よりも大きく膨張した胎児がとげとげしいコードに繋がれて街路灯に照らされているばかりで、その向こうに夜空はなかった。底冷えのする夜だ。明日はもっと冷え込むと聞く。


⁂


 ある年の引っ越しでは、持っていたのは衣類・貴重品・数冊の本・日記帳と筆記具・ノートパソコン・携帯電話・電気膝掛けだった。ボストンバッグに収まる量で、引っ越してからそのまま一年間、家具を買わずに過ごした。部屋にカーテンをかけることもしなかった。段ボールを敷いて、コートを掛布団代わりにしていた。「誰に居所を知られようと、いつでも飛び出していけるように」と身軽でいたかった。
 今はその頃に比べると所持品が増えた。快適さや安定に目を向けるようになり、住みよくはなった。けれどもたまに、快適さのために活用されているものたちを重荷に感じることがある。


⁂


 図書館から借りた本から柔軟剤の香りがする。ページをめくると、やさしい香りがふわりとたちのぼる。この本は、香りがしみわたるくらい、開かれては閉じ、懐に持たれては伏せられ、ひとつの家でゆっくり読まれてきたのだろう……と香りをたのしんでいたら、『天に染みあり』とラベルが張られていることに気が付いた。


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 住んでいる部屋の隣は半年以上もの長い間、空き家だ。郵便ポストはガムテープが貼られたままで、誰かが引っ越してきた形跡はない。しかし、たまにその部屋から人が暮らしている気配がする。歌声であったり、ごとりと床にものを置くような音であったり、蛇口の栓を捻るような、きゅっという音もする。全て、壁の向こうに誰かが住んでいる音だ。ポストを封印したまま住んでいるのか、私がずっと勘違いしているだけなのか、不思議だ。


⁂


 どっちつかずでいるというのはどちらのおいしいところも食べたいという意地汚い欲望です。しかしどちらかであることが美しいというのではありません。到底のぞめず、削ぎ落とせないとわかっているものに美が宿ると私は思います。そもそも叶わないことに、どうやら価値を見出すようです。
 不完全なものの内に美があるということも考えられますが、現実には隠そうとする壁があまりに厚く汚らわしく目もあてられないので、美が奥にあるなどと見入る隙がありません。露出されていない美は、結局美しくないのです。


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 ばあさんがつけているブローチのような虫がいた。おばあさんではなく、ばあさんである。粒の模様がビーズのようで、ぴかぴかしていた。その数歩先にはヤモリが脱皮したらしい皮がぼろぼろになって落ちていた。擦り切れた魔法使いのローブのようだった。


⁂


 ヤン・シュヴァンクマイエルの妖怪コラージュを部屋の壁に貼ってから数週間。セピア色の紙が二十枚、ぎっしり並んでいる景色もすっかり馴染んだ。掃除や、ネットサーフィンの途中にふっと視線を上げると目に入る。ベッドの中に天狗の頭がある絵であったり、がしゃどくろが召使の装いで寝ている姿を覗き見していたり、女の人面犬が石頭の子にとびかかっている絵だったりと、どの絵もどこかしら不穏だ。しかし色調がまとまっているからか、不思議と落ち着く。なんとなく眺めてしまう。癒やされる心地がした。
 ところが、そんな安らぎを絵は裏切った。ぱさりと勝手にはがれて落ちたのだ。ほんとうに驚いた。部屋に私以外の人がいるのかと思った。どきどきして、まだ床に絵を落としたままだ。拾うのは明日以降にしようと思う。


⁂


 そこにありそうでなかったが、しかしやはりあったのではないか。恐い話となると、人が発狂したり死んだりと、明らかな生命の危機に晒される話が多い。それらはやはり恐いことは恐いのだけれども、実際に遭遇する怪異というのはもっと日常的で頻繁にあるのではないかと思う。ただ見落としていることが多いので怪談になっていないのだろう。遭遇していても不思議だなと思わなければ記憶に残るわけがない。人生に影響を与えないが、ちらちら見える。その瞬間を怪しと言う。


⁂


 凪いだ。半分眠っているような心地で過ごしている。生活費を稼ぐ仕事が、複雑なものでなくてよかったと思う。おかげで落ち着いていられる。けれどもこの状態を保っていていいのか、不安になる。それはとても薄い膜のような不安だ。あまりにも薄く、ぱっと目には見えないので、無視をしようと思えばできる。不安の膜などないのだと思い込もうとする。それでも膜を感じるとき、別の方法で、膜は誰にでもあるものだと自分を慰める。膜のない人生は誰ひとり送っておらず、架空の人間生活で、作られた話の中にしか現れないと考える。
 昨晩は夢の中で、友人が自殺をした。夢の中の私が数ヶ月後に決行しようと密かに計画していたことを、その友人はさらりとやってのけた。私は友人の前兆を見抜けなかった。最後に会ったとき、私は友人に再会を約束していた。離れるのは私の方だと思っていたからこそ、できた約束だった。
 亡くなったと聞いてもなお、私が感じている世界には友人が生きている気配があった。私が先に友人との約束を反故にするつもりでいたし、友人は私のように嘘の約束をする人ではなかった。誰が何と言おうとも、私には友人の存在が感じられた。どこかで生きているという感覚。ただ、私に会いにこないだけなのだという確信があった。
 だから目が覚めたとき、数秒の混乱の後に現実が周りに戻ってくると、「ほら、感じていたとおり」と小さく息を吐いた。夢だったじゃないか。携帯を見ると、渦中に勝手に据えられた友人からのメッセージが届いていた。私が数日前に送っていたメッセージへの、簡単な返信だった。微笑ましくて、涙が出た。


⁂


 説教くさい物語なんてうんざりだろう、という語り部に、そうだその通りよく分かっていらっしゃる、と拍手をした。この語り部は信用できるかもしれない。期待を胸にしていたが、話が進むと〜傲慢さの罪と本当の愛について〜記した垂れ幕が天から下りてきた。それはまだ黙って(仏頂面をしつつ)受け入れてもよかったが、物語を閉じた後がいけない。後書きに寄せて、編者が著者の博識さを現実の知識の実例を引っ張ってきて褒め称えたばかりに、前のめりに信じようとした物語が、フィクションだということがはっきりしてしまった。その物語は本来であれば、自分の身にも起こるかもしれないという想像の余地を残すような物語だった。
 こうして人は人の善意を前にして、失望し、あったはずのもうひとつの世界から引き剥がされてゆく。よろこぶのは「自分は子供の心を忘れていない」と思い込んでいる人だけだ。


⁂


 雑木林を訪れた。年始にヒヨドリを埋めた場所だ。頭上で鳥たちが囀っている。松の枯れ葉をかきわけた。骨は見つからなかった。


⁂


 ちらっと霊が見えるのは歓迎されない。これは一般的な心情だ。しかし時と場合によっては、霊のチラ見えも喜びをもたらす。見えるものが増える経験は、好奇心が充たされる。
 ただ、たとえ見えることに喜ぶ人間であっても、最初から両手をあげて喜ばないのは、その霊が見知らぬ人であり、自分に害をなすかもしれないという不安があるからだ。眠れなくなるのは勘弁してほしいし、理不尽な呪いも避けるにこしたことはない。生きていようが死んでいようが、自分のプライベートに礼儀もなく押し入られたら不快に思うのは当然だ。不適切なコミュニケーションをつづけて、いつまでも健康でいられる人間は少ない。霊が健全な親しい知り合いになってくれるなら嬉しく思うという塩梅が、生きている側にとって都合がよい。


⁂


「電線には、たまに人が座っているね」
 と言ってみたら同意を示した友人がいて、今はもう縁が切れてしまったが、思い出の中で印象深い。
 海辺で波の間に立つ電柱の景色を学友と眺めていたときは、前触れなく寂寥とした思いに囚われた。現在はその海岸は封鎖されている。
 まっすぐでも斜めでも、コンクリートでも木でも、電線に繋がれて柱が並んでいる光景は、人のしがらみに見える。彼らは私の頭上で手を繋いで黙り込んでいる。
 日本の道路を全て無電柱化するとなると、約二千七百年かかるそうだ。地中に埋める無電柱化は昭和六十一年から始まり、整備をすすめている最中だと謂う。二千七百年もかけていたら電柱は電柱としての役割を失って、地面に埋められていそうである。


⁂


 まとめるまでもない短い話。

 まだ少女だったミヤは「懸命に務めさせていただきます」と私に頭を下げて言った。かぼそく聞き取りにくい声だった。拙いが、それでも私は雇うことにした。適正があるかなどは、どうでもよかった。務めると言っている。それだけで。
 ミヤは私が話しかけても目を伏せたままで、紺色の前掛けの前で重ねた手に拳を握るか、膝を少し折り曲げて声を出さずに返事をする。私は、はじめこそ声による返事がないのを不満に思い、ミヤにしつこく言い迫ったが、頑なに口を聞こうとしない彼女に根負けして次第に要求しなくなった。返事をしないこと以外は、ミヤは一度伝えたことは必ず守り、やり遂げ、忘れることがなかった。
 ある日、雇い人たちの部屋の扉が僅かに開いていた。内の光が廊下に漏れている。話し声が聞こえた。声の主は、数週間前に迎えたばかりの老婦人のものだった。ひとりごとかと思った。しかしどうも調子からして、他にも人がいる。話し相手がいるらしい。私は扉の前にそっと立ち、耳をそばだてた。
「旦那様の奥様、あの御方の顔色の悪さといったら……あれは気味が悪いですよ。昔のお写真を見せていただきましたが、今とは別人のようではありませんか。まるで土の下にでもいたかのような色です。病気かと思いますね。あの神経質さ、落ち着かなさ。どこか療養所でお休みになられたほうがよろしいのではないかと私は申し上げたくなります。というか申し上げたのですが、片側の口の端をね、こう、クイッと引きつらせて頷くだけで、ちっとも取り合ってくださらない。心配損です。何か大きな隠し事をしているように思えます」
 たしかに私の妻は、体調が思わしくないように見える。ただそれは周期的なものだと私は思っている。あれも何か甚大なことがあれば私に黙ったままではいないだろうから、話をしてこない限りは放っておいている。だがさすがに生ける屍かのようと言われては、もっと気に掛けてやるべきかと揺らぐ。
 顎を撫でて思案していると、老婦人の声の後に、さやさやとそよ風のような掠れた声が聞こえてきた。
「……奥様はご病気ではございません。たしかにとても繊細な方でいらっしゃいますが、それはこの時期の旦那様を想ってのことなのです。三年前のこと、奥様は宣託で『いつか春の頃に最も大切なものが狂うだろう』と受けたのです。奥様はまさか旦那様がとお考えになって、それがいつの春のことなのか、季節が巡る度に気が気でないのです。春が過ぎてしまえば、また一年は大丈夫と胸を撫で下ろすことができます。あの御方は、夏は輝くように美しく笑うのですよ。旦那様のお心を乱さないように、静かに胸の内にしまっていらっしゃる。わたくしはそんなふうに耐え忍んでいるお姿を……あのように……憂いた横顔……それでも……」
 ほうとやさしい溜息の音がした。それを聞いて、私はこの娘を雇ってよかったと思った。


⁂


 自転車に乗って、その場所に初めて行った。山を幾つか超え、地図を片手に苦労して辿り着いた。着く前に日が暮れるのではないかと思った。公共交通機関が通っていない場所だと思っていたが、着いてみると電車が走っていた。二両編成の電車である。奥の秘境だと聞いていたのに、両方向に伸びる線路に私は目を白黒させてしまった。しかも秘境は、しっかりとした観光地らしく温泉宿や足湯が至る所にあった。石畳も敷かれている。私はかなりの遠回りをしてやってきただけだった。解せないなあと思いながらも宿に泊まった。
 そこの宿の主人は狐のような咳払いをし、夜になってみるとやはり人間ではなかった。おいそれの間に、顔のない浴衣の男や狸の団体、山風の客が宿帳に名を書き込み、宿は魑魅魍魎だらけとなった。
 まあそれはいいのだ。何が同じ宿に泊まろうが、別に私が食われる訳ではないのだから。
 私は坂の上にあるという露天風呂を目指して、桶と手ぬぐいを片手に出掛けた。日が暮れる。夜がきても、ここは温泉街ゆえに道に行燈が灯っており、迷うことはない。ただ奇妙なのは、夏なのに秋の虫が草むらで鳴いている。露天風呂には桜の花びらが浮いている。自分が知る四季の光景とは、ちょっとばかりズレている。それでも、よい湯に浸かれればそんな常識は些細なことだ。
 翌日、私は自転車に乗って、夕立に遭いながら行きに通った道を戻り帰った。
 で、その温泉街にまた行きたいと思って行こうとするのだが、地図で見つけられない。一度行ったことのある場所だからと記憶を頼りに自転車で走りだすが、知った道に出会えない。地名を思い出そうとしても、思い出せない。たしか、『手』という漢字を使った名だったはずだ。うんうん唸って首を捻る。景色だけは覚えていた。あの場所に向かう途中の段々畑で揺れていた金色の稲や、山道で見上げた一枚岩から降り注ぐ滝。橋の脇に道祖神。木々をくぐって、ぽつんと立った電灯を右に、ゆるやかな坂を下る。澄んだ川に吹く冷気。こんなにもくっきりと思い出せるのに、いざ足を運ぼうとすると、その景色も霧がかかって頭から消えてしまう。そして離れるとまた見えるようになって、行きたいという気持ちばかりが募る。
 もう二度と行けないのかもしれない、と肩を落としかけたときだった。
「思い出した!」
 私はパッ! と目を開け、枕元の鉛筆を手に取った。そして脳裏に甦った地名を手帳に記録しようとした。
 これであの場所に行けるぞ! やった! 今度の休暇はそこへ旅行しよう!
 しかし書こうとした瞬間から、いかに荒唐無稽な発想で夢の中の地へ旅行しようと意気込んでいたのか、押し寄せてきた現実の感覚に高揚は潰えてしまった。


⁂


 家を空けるときのために、昔、最も身軽だった引越のときに選んだ所持品を書き記しておく。


▼28㍑のボストンバッグ(1泊10㍑がサイズの目安らしい)に、貴重品・衣類・精神的なよりどころになるものを詰める。

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【貴重品】
財布(現金)
キャッシュカード・通帳
身分証明書(運転免許証・保険証・パスポートなど)
印鑑(実印・銀行印)
年金手帳

【衣類】(3日分。身につけている分を含む)
下着×3
肌着(春夏)×3
肌着(秋冬)×3
長袖シャツ×3
羽織り×2
ズボン×2
部屋着×1
靴下×3
靴×2
コート×1
ハンカチ×2
手提げ鞄×1

【その他】
スマホ
ノートパソコン
充電器(スマホ用・PC用)
ヘッドホン
電気膝掛け
日記帳
筆記用具(シャープペンシル・替え芯・消しゴム)
本(6冊前後)

└────────────────┘

 身分証明ができれば、パスポートや年金手帳は再交付が可能。
 印鑑は変更の届け出を各機関に提出すればよい。
 お金があれば大抵のことは解決する。

 電気膝掛けは重宝した。冬の間、暖房の代わりに。夜は床に敷いて布団代わりに使える。


▼以下のリストは定住先で買い足した暮らしを整える消耗品と家具・家電類。

┌────────────────┐

【消耗品】
石けん
シャンプー
ヘアオイル
衛生品(薬や日焼け止め、リップクリームなどの化粧品)
トイレットペーパー
ティッシュ
絞れるキッチンペーパー
台所洗剤
トイレ洗剤
漂白剤
洗濯洗剤
ウタマロ洗剤
スポンジ
バスブラシ
サランラップ
ガムテープ
ゴミ袋
防災セット

【日用品】
歯磨きセット(歯ブラシ・歯磨き粉・フロス・洗口液・ショットグラス)
ボディブラシ
石けん置き
タオル4枚
爪切り
耳かき
櫛
浄水器
ティーポット
ティーコゼー
コップ
箸
スプーン
フォーク
お椀
丸皿
ペティナイフ
フライパン(18センチ)
フライパンの蓋
マルチポット
まな板
ざる
おたま
フライ返し
大さじ
箒
ちりとり
はたき
羽毛の掛け布団
薄手の毛布(ダブルサイズ)
ハンディシュレッダー
はさみ
ハンガー
ミニ裁縫道具(針・針山・糸・糸通し・糸切り鋏)
靴磨きセット(ブラシ・クリーム・布巾)
遮光カーテン ※窓を1枚で覆えるサイズ

【家具】
机
椅子

【家電】
シェーバー
冷蔵庫(冷凍庫つき)
洗濯機(ドラム式・乾燥機能あり)
ドライヤー

└────────────────┘

 羽毛布団などのシーズンものや防災セットを除き、家の中にある物は、ほぼ毎日、手に取って使う状態でありたい。
 これらがあれば自分にとって充分な快適さを保つことができる。それが分かっているだけで、何度でも暮らしを立て直せる気がする。


⁂


 パスタソースをきしめんうどんにかけてもよいという自由が私にはある。

 ミートソース……たらこクリーム……カルボナーラ……うどんはしっかり水を切ること。

 不思議と、そうめんにパスタソースは好みじゃない。麺が太いだけで評価している可能性が、ちょっとある。

 今日もうどんを買ってきた……どうしてフェットゥチーネを選ばないのだろう。


⁂


『世のどこかには、似た者がいるのだろうと思って、これを書くことにする。

 ……書くことにすると記しながら、もう記すことがないと思い始めている。
 どのように生きるかということを、誰に何を主張する必要があるのだろう。彼らも私も、とっくのとうに個々の人生に取り組んで生き、死んだ。 
 この文は、あるべき姿を鼓舞するためのものではない。不自然に折れた樹木のトンネルや、漂着した空のメッセージボトルのようなものだ。

 蔭に立てば、殆どの人には気付かれない。気配を感じたのか、目を遣ってきた人も、そこに見るのは暗がりばかり。何もないと判断すれば、やがて目を逸らす。
 無知と不寛容の茨を小刀で切り落とす。獣道の先の小屋で、暖炉にくべる。燃える火が照らすその姿の影に、静かに佇んでいる。これを孤独といって嘆き悲しむべきだろうか。』


⁂


 縫い目や手触り、大きさの印象を知りたくて、写実的な造形の猫のぬいぐるみを購入した。イタリア製である。長毛種の猫で、おそらくペルシャのゴールデンと思われる。曖昧な理由は、輸入のアンティークぬいぐるみで情報がなく、ぬいぐるみの特徴と合致する猫がいないからだ。平坦なマズル、狸のような丸い耳、額に縞模様の毛が生えている。ペルシャに似ているが、琥珀色の目と毛色の組み合わせが、既存の品種に合わない。
 手元で見たことで、ぬいぐるみを作るときに注意を払うべき点が分かった。まず、あまりに造形がリアルだと剥製のようで、癒やされるような可愛らしさとは離れる。リアルであるがゆえに動かないことに違和感がでて、怖い。動きそうで動かず、落ちつかない。目に入る度に本物か否か判断を試されることになるので疲れる。そしてリアルであるからこそ、リアルにはないであろうモノとしての雑さが目に付く。毛繕いをしないがゆえの、体毛の乱れだ。違和感を覚えてしまう要素のひとつだろう。抱き上げたときの軽さと、体の芯の硬さも、硬い厚紙に毛をはりつけているかのようであたたかみに欠ける。
 欠点を色々挙げたが、よいところも勿論ある。見た目については太い足とふさふさの尻尾がとても可愛い。やや不満そうな目と口元も可愛い。胸元から足下にかけての体毛の膨らみがすばらしい。うなじから腰、尻にかけての曲線もなめらかで、撫で甲斐のあるくびれをしている。毛の下で呼吸をしていそうな、自然なボディラインである。
 しかしどうも私がぬいぐるみに求めるのは、くったりとした重さと柔らかさらしく、このぬいぐるみでは満足できない。素材かデザインのどちらかでデフォルメをしないと、ぬいぐるみが得意とする安心感には繋がらない。今回の購入品は理想のぬいぐるみではなかったが、学びになるいい買い物だった。


⁂


 日中を怠惰に過ごすと、夜の夢がとんでもなく面白くなる。一日を取り返したい脳は、埃が出るまで私を叩く。あの手この手で繰り出される夢は、私の目に涙を浮かばせたり、にやにやと笑わせたり、恐怖に慄かせたり、ナルシシズムに浸らせたりする。
 夢はいずれ途切れる。ふっと目が覚めるときがくる。私は惜しむ。一瞬前まで自分は充実した世界にいた。だからすぐに戻ろうとする。眠りから目覚めた私の現実は、布団に横たわる自分にはなく、目を閉じて見える世界にある。
 目を閉じても、夢の世界はたったの一秒も待っていてはくれない。布団が現実みを帯びるなら、そのときにはもう遙か彼方へ消えかけている。まず追いつくことはできない。
 布団に取り残されて、たしかに真実だった世界を、思い出すことのできない思い出として懐かしむ。暇人の時間つぶしである。


⁂


 世の中の人は、お喋りと食事を器用に両立させているように見える。
 私は料理に注意を向けると、カトラリーを口に運ぶまでの手の動かし方や料理の色・風味に気を取られて会話をおろそかにしてしまう。かといって会話を気にすると、皿の上で無駄な動きが増えて食べ物の味が分からなくなる。ちょうどいい塩梅がなく、どちらかが犠牲になる。だから不味いものでも「おいしい」と言うし、おいしいものでもろくに味わわずに飲み込んで何を食べたか忘れる。
 たちの悪いことに私の頭の中には花が咲いているので、黙っていても味に集中していないという時がままある。頭の中の花は全く深刻なことはなく、道端の、ぺんぺん草くらいの面白い花だ。たまにこのぺんぺん草を目の前の相手に渡せそうな機会がやってくる。私と食事を共にする者が一本のぺんぺん草を喜ぶ相手ならいいが、そうでなければ全く面白くないだろう。大抵の人は私の脳内のぺんぺん草に理解を示してくれるものの、相手の笑顔を引き出そうとすれば私はぺんぺん草を百本の束にして振り回さなければならない。百本も束ねたら、それはぺんぺんどころではない。デンデンとかダンダラとかドンシャンとか、別の草である。


⁂


 学生の頃の思い出。
 修学旅行で、消灯後にお喋りがはじまった。
 同級生たちは賑やかで優しかった。どのような内容でもいいから、暴露話をするということで、教室でほとんど喋ったことがない私のことも仲間にいれてくれた。
 一人目が話したのは、好きな子のことだった。
 二人目が話したのは、はじめて恋をした漫画のキャラクターのことだった。
 三人目が話したのは、漫画に影響されて自分には超能力があると信じ、能力もないのにそれらしい態度をとっていたことがあるということだった。
 四人目が話したのは、本物の霊感があるらしい祖母のことだった。
 そして五人目。私の番だった。
 これといって話すことが思い浮かばず、困った。しかし黙ったままではいられない。せっかく楽しげにしているところに水を差すことになってしまう。そこで四人目が披露した心霊話に則って、話を捏造することにした。
「あまり見ないほうがいいと思うんだけど、この部屋の天井の換気口、ちょくちょく誰かがさ、指を突き出してきているよね。みんながいないときに、ふと天井を見上げたら、グリグリ動いていたよ。さっきも……」
 ぎゃあっとあがった悲鳴は、笑い混じりの愉快なものだった。いささか話を装飾しすぎた気もしたが、夜の特別な空気が私を助けてくれた。怖がりすぎた者は面白おかしくからかわれた。
 そこからは怪談話に花が咲いた。見回りのために部屋を覗いた教師の
「寝なさい」
 と言う低い声も効果的な舞台装置となる。
 でっちあげが功を奏し、楽しい雰囲気を壊さずに済んだことに、私は胸をなでおろした。
 翌日の夜、夕飯前の自由時間に部屋へ行くと、昨晩枕を並べた生徒が珍しくひとりぼっちでいた。私は
「そろそろ食堂に行かないと」
 と誘ったが
「うん……」
 と煮え切らない返事だ。その子はチラと天井を見上げた。私も見上げた。
 換気口から静かに空気が流れる音が聞こえる。
 その子は上を向いたまま
「あそこ……」
 と呟いた。声が震えていた。
 昨晩の私の作り話のせいだと思った。下手に怖がらせてしまったことを反省し、本当のことを話そうと心に決め、息を深く吸った。
 しかし私が話を切り出すより先に、その子はまばたきひとつせずに言った。
「やっぱり、いるかぁ」


⁂


 イギリスに対して、日本と同じ島国だというところに私はやけに親近感を覚えているのだが、どうも人の気質というか、超自然的な力の扱いは異なるように思う。イギリスが剣と魔法の国だというのなら、日本は刀とまじないの国で、使う道具を並べるなら、杖(英)と札(日)だろうか。
 魔力の扱いについて、杖は向けた先に作用する。エネルギーは自分の内部にある。札は自然から力を授かり、別のものに作用させている。エネルギーは自分の外部にあり、自分の体は媒介だ。
 ところで人間は鳥のように飛ぶことはできず、体ひとつで出来るのは水平方向への移動である。飛ぶ・浮くといったことは、人間は鳥や虫、ふわふわの綿毛ではないので、搭載されてはいない。できないことには神秘や聖を感じる。天から飛来するものは人間ではないし、授けられるものは上から下へ贈られる。
 魔法は水平の不思議な力で、まじないは垂直の不思議な力なのかもしれない。自然を制圧できるかできないかの違い(実際に自然を制圧することが可能かは別として、自然に対する意識やとっかかる姿勢の違い)があるような気がする。為ると在るの違いだろう。
 こういうことは、例をだしなさい&論理的に書きなさいとなるべきところだが、なんだか面倒くさいので、「なんとなく思った」でやめておく。全てが信用のならない所感である。


⁂


 仏僧が着る三衣のうち安陀会(あんだえ)は、古来では下着にあたるものを指しているそうだ。
「アンダーうエぁ」
 恵比寿顔で呟く。


⁂


 どういうわけか、最近「他人のことを考えろ」とやたら見聞きする。「他人の目線でモノを考えろ」「言葉は他人にどう作用させたいのか考えて発しろ」「あなたと接する人の気持ちを慮れ」等々。
 私の気遣いは現在、『節約モード』なので、そろそろ高く志していかなければならないなあと心の底で思っているのかもしれない。無自覚に、目と耳が先に働いている気がして、では少し気をつけてみようかと思った。
 このサイトで出来る他者への気遣いのひとつは、文章のレイアウトだろう。
 Bloggerには栞がない。青空文庫のアプリケーションのように、本と同じようにめくることのできる機能があればまだしも、私のホームページにそのような機能はないし、読み込みが重くなるので付ける気もない。通信制限中でも早く表示されることに重きを置いている。
 では栞のない不便はどうするかといえば、読み手側に、スクリーンショットで管理してもらうなり、ページを開いたままにしてもらうなりすればいい……ああ他力本願。工夫を余所に強いるなんて、他人のことを《考えていない》。
 これではいかん。栞の代わりに、ほどよい文字数でページを区切っておこうか、と考える。
 エェ、ほどよい文字数とはいくつなのだ。
 紙とインターネットと比較し、1ページに何文字があるのかと調べてみると、
 ・文庫本→見開きで約1200〜1500文字。
 ・ネットの記事→1000〜6000字
 らしい。
 がしかし、だ。
 現在、長くて3万文字でひとまとまりの文を掲載しようとしている。ネット記事の平均からすると、長すぎる。3万文字は短編小説の量である。区切ったほうがよさそうだが、私は「続きを読む」ために押すボタンが嫌いだ。正確には、タイトルからページに飛んだ後に、読むためにまたボタンを押すという選択が嫌だ。どうして「読む」という選択を既にさせておいて、数行しか表示させずに文字をだんだん薄くしていくのか。二度も「読む」と言わせるでないよ、一回で最後まで読ませなさいよ、と鼻息を荒くしてしまう。選択を二度、聞かれる──たったこれだけのことで、「そんなに先を読むか読まないか確かめてくるなら……」と読むのを止してしまう。
 以上は読む側としての苦情だが、本命は以下の通りである。
 投稿する身からすると、ページを区切るのは、面倒だ。
 ちまちまとページを区切って、次のページと前のページへのリンクを入れて……という作業をするのは、後から編集するのも、ややこしい。どうせ数ヶ月に一編しか投稿しないのだから、地道にやればいいのかもしれないが、気持ちよくない。ページを区切るのは、文の流れを不本意にせき止めるようで、気がすすまない。
 となると、何文字あろうが1ページに載せることになる。ページを区切らないのは、雰囲気を損なわないためである。興醒めないように……と一応、考えたうえでの決定なのだ。これで何とか、他人のことを《考えた》ことにはならないだろうか。

追記:ウェブサイトの背景をすべて黒にすると、画面の反射で鏡のようになる。目に映る情報量が意図せず増えてしまうので、デザインが崩れる。画面外からの干渉は少ない方が可読性も高まり、好ましく思う。


⁂


 虫がいない。以前は集合住宅の外廊下に、迷える尺取り虫・翅を休める蛾・転がるコガネ虫・飛ぶ蜘蛛・壁を歩く羽虫がぼちぼちいたのだが、めっきり見ない。暑さのせいで、ここまでやってくる気力が削がれているのだろうか。それとも外壁の色が塗り替わったことで、魅力を感じなくなったのだろうか。両方かもしれない。ハエトリグモと面妖な蛾が訪ねてこなくなったことだけはつまらない。こと昆虫に関して、私は差別主義者である。


⁂


 九月の末のことであるが、家の前の道路にカマキリがいた。腹に赤茶色の線が入った細身のカマキリだった。家の付近で出くわすのは一昨年以来である。そのときのカマキリの子かもしれない。一昨年のカマキリは階段の途中にいたため、踏まれやしないかと心配して私は傘を差しだした。あのカマキリは尻からふりふりと傘をのぼってきたのを覚えている。今年のカマキリは道路に居る。……こいつらはどうしてそう、いかにも踏まれそうな場所にいるのだ。すんでのところで立ち止まった私の足に、チラリと顔を向けてくる。
 私は
──家族の顔を知っているよ。
 と懐かしみ、傘を差しだした。途端にカマキリは傘の石突きに乗り、短距離走選手のような早さで駆け上ってきた。 
 私は、ぎえっと慄いて傘を地面に置いた。やはり虫は苦手だ。尻から登ってきた先祖といい、本当に、苦手だ。それでもちょっかいを出すのは、不注意にもぺしゃんこにされてしまう彼らを見たくないからだ。巨大生物や巨大車輪の往来が激しい道では、宙を見て呆けている場合ではない。
 傘を引きずり、道の端へとカマキリを寄せた。カマキリは怪しむかのように地面に下りた。
 今年も私は無事に傘を取り戻し、一方的に恩を売ったと思っている。


⁂


 プラナリアは無性生殖で知られている。切れば増える。切れば切るほど……は増えない。切り方を誤れば、ただ崩れ、溶けて消えるらしい。
 もし人がそのような生き物であったなら、切り離された自分′が元の大きさへ戻るまでの過程が、いま言うところの子育てにあたるだろう。
 その場合、自己愛の濃淡が、そのまま育成の優劣になる気がする。
 優劣がついてしまったら、やがて問う自分′がいるかもしれない。「なぜ、この世に刻み落としたのだ」と。
 アダムとイヴでもなければ、イザナギとイザナミでもない。起源は己の内に置かれる。光あれと呟いたのは余所の神ではなく、光があったと自分が呟いた。高天原にいたのは自分であるし、その後の仕事も全て自分が為した。偉大なる自己神である。
 地をのさばるうちに、どこかで判断するものが出てくるだろうか。「これ以上は切るべきではない」と。切断そのものを忌避する個体が現れないとはいえない。雑に切られた自分は、丁寧に切られた自分を羨むのか。羨望はどこかへ向くのか。
 祖の自分、原風景の自分というものが、自分と自分′と、そのさらにほか多数へと語り継がれてゆくわけだ。気分は挿し木である。困難に対する基本は、おそらく増殖になる。数で推して参るのだ。司令塔はいないが、何となく生き残る。有性生殖の現在より、死は……軽く、なるのだろうか。
 いや、そんなことはない。切断される前の自分は、あくまで自分でしかない。不運な自分にはなりたくないといって、苦い顔をするだろう。自分′が増えるほど、運の良い自分と悪い自分が、くっきりと分かれていく。至上の自分と劣悪な自分が、同時に存在していると知れてしまう。可視化に耐えられる気がしない。果たして自分が自分′を哀れんで、助けの手を伸ばすかどうか……。
 神は自分が無性生殖をする存在であることに気付けないよう、設計されたし。かしこみかしこみ申す。


⁂


 人を、人間ではない他の生きものに例える。たとえば女性ならば蝶や牡丹や蛇、男性なら兜虫や青竹や狼に例えることがある。それはその人の本質をもっとも表していると思われる面を、他の生きものの突出した特徴になぞらえているわけだが、これを対面で本人に言う時は、少し難しい。
 ある知り合いが、人間関係を説明するのにこの手法を使った。
「Xさんは豹でしょう、Yさんは雌ライオンでしょう」
 私はこのとき、にやにやしながら聞いていた。たしかに、Xさんはしなやかな性格をしており、たまにピリッと鋭いことを言う女性であるし、Yさんは実質その場の支配権を握る女性である。
 分かるなあ、と頷いていたら、知り合いは
「それであなたは……」
 と続けた。私のことも例えてくれるとは思ってもいなかったので、胸が高鳴った。
「ん〜……ハエ!」
 高らかな判決だった。知り合いは
「こう、まわりをうまいこと飛び回っているやつ。主に肉食獣の」
 と続けた。私は笑いがしばらく止まらなかった。当時の私は、あっちでもこっちでも人と喋り、人間関係の派閥というものにほとんど属していなかった。柔軟とも八方美人ともいわれる立ち位置にいた。
 知り合いは、ハエだと言ってもこいつは気を悪くしないと確信していたのであろう。目が悪戯っぽく輝いていた。
 自分がハエであると言われたことが嬉しかった。それは、知り合いが私の行動を十分に観察し、一般的には悪口のようでも破綻しない、と私との関係を信じてくれたからだった。
 これが
「あなたは蝶……女性のまわりをひらひらと飛んで、おいしい蜜を吸っているから……」
 なんて言われても、まあ、同じくらい嬉しいかもしれない。であれば、なぜ私はハエでなければならなかったのか。
 すばやさでは、ハエの方が蝶より上だろう。捕らえにくさもハエが上だろう。追い払ってもしばらくその場で旋回しているあたり、ハエである。胡麻を擂っているようで、実は毛繕いをしている手も……絶対に、ハエ!


⁂


 居酒屋が並ぶ裏通りを歩く。じきに日暮れである。電球がちらほらと光り始めている。私は道が人で溢れる前に、この道を抜けたかった。だから前方しか気にしていなかった。
 しかし何かが急に、私の顔を左に向かせた。
 十字に伸びた大通りの中央に、人が立っていた。
 実った瓢箪のように、頭部がくびれていた。両目がくびれを挟んで、ほとんど縦に並んでいた。よれよれのチェック模様のシャツを着て、その人はただ立っていた。立っていただけだった。
 私はその人を見たが、まさに見ただけで済ませた。
 立ち止まらなかった。それが全てだ。


⁂


 いかさま師の説明によれば
「TX500ルートは主人公Aの生体反応を記録する壊れたモニター遺伝子だった。アロゴスの定理によればTX500ルートは不休の回路を形成する」
「明暗を媒介する流体は昼相から夜相への転移を担う光相性物質である」
 とのことです。
 これを噛み砕くと
「神聖なる宇宙がそこにあります」
「光の移動が昼夜に関係しています」
 です。
 他の変換器にかけると
 「私は何も知らない」
 「私は賢い」
 です。

 難解な語彙で空虚を説明すると、簡単にSFや、ジャンルの枠にとらわれない新境地、巧みな筆致だと読むことができます。実際に書かれているものが何であるか、誤読であるのか、いかさま師は責任を取りません。その肩書きの元に遊戯をおこなっています。
 どうぞ真剣に遊んでみせてください。
 みなさんも是非、いかさま師を賞賛して、変換器の言葉をご利用ください。


⁂


「過去は後方に流れていくように感じられて、特に地元を自転車で走っているときは、自分の後頭部から後ろへフィルムが流れていくようだ」
 と言ったら
「格好つけすぎだ」
 と呆れられたことがある。私は恥じてそれ以降似たようなことを喋らないようにしている。
 だが喋らないようにしても考えてしまう。
 私は基本的に自分の目がついている前方へ動く生きものであるから、過ぎたこと──過去を自分の背後に感じるのではないか。もし私が前方を見ながら後方へ動くことが基本の生きものなら、過去は前方に流れるのではないか。未来を見据えようとすることが、感傷的な行為と呼ばれるようになるのではないか。


⁂


 例えば、会社なら「まあまあまじめな働き手としての労働力」友人なら「時間の消費方法のひとつ」恋人なら「必要とされる快楽」家族なら「パターン化された予測可能な資源」として人は私から何かを得ているかもしれない。だが、私が幽霊となって現実に関与できなくなったら、現実の座標は別のものが埋めるだろう。本質的には私ではなくともいい。
 全ての人間活動が無価値である。無価値で構わない。価値があると思うことで人は生きている。あるいは死ぬという行動をとる。あるものによって人生が変わったとしても、それは無価値だ。あるものによって変わった人生というものが無価値だ。
『生きることには価値があったほうがいい』
 これは今現在生きていて、生き続ける選択をとっている者が、一旦了承して従っている価値観だ。
 だが度々、気持ちは”拗ね”て
『価値があるというなら、その妥当な根拠を示してほしい』
 という。
 人生に価値があるという論に正当性はない。価値がないという論もそうだ。妥当が並んでいる。生きている時点で、ある程度の価値を認めている状態にその人は置かれている。価値の有無と生死の選択は分けられるべきものだが、生きているなら「まだ生き続ける価値がある、と僅かでも・無自覚でも・惰性でも・肉体の痛みを避けるためでも、認めていることになる。
 ”拗ねている”と言ったのは、価値を感じる力に対して、拗ねていないほうが楽に生きていけることを知っているからだ。今のあなたは捻くれていると制止することで、人々が作ったスープの皿に、細長いストローを端からのばせている。こういったことを考えていられる座標に、私は固定されている。このように私に戻ってくるのは、私なりの社会への具材提供のつもりである。これが真理だと語れるほど、私は旨い料理にこだわりが持てない。だが何が旨いか、自分の舌は分かっている。


⁂


 らせん階段におらず、だまし絵の階段にいる。